人体錬成によって片腕と片脚、そして最愛の弟の身体を失って、幾年。
いつの夜のことであっただろうか。夢現のエドワード=エルリックが弟の呻き声に気づいたのは。
夜毎何かに耐えるかのように、何かに抗うかのように、鎧の弟が呻き苦しんでいた。それが、魂と人あらざる物の結合が微妙に揺らぎ始めた印だとエドワードが勘付くのにそう時間はかからなかった。尤も、姉に心配をかけまいとしているのか、当の弟はそれを一切口にしようとはせず、その事実をひた隠しにしようとしていたようだが。
時間がない。エドワードは唐突に知った。
自分はまだよい。しかし弟に残されている時間は極めて少ない。このままずるずると旅を続けても、彼に残されている道はあまりにも残酷だった。
時間がない。エドワードがそれを理解した瞬間、彼女はあろうことか最愛の弟のもとから逃げ出していた。瞬間的に彼女の頭のなかに描かれた未来に、耐え切れなかったのだ。姉の考えていることなど知るよしもない弟の制止の声を振り切って、エドワードはひとりリゼンブールからセントラルまでの最終列車に飛び乗って、そして列車のなかでがたがたと震えていた。
それは、三ヶ月ほど前――まだ夏にもなり切れていない、そんな、ある夕刻のことである。
深夜。エドワードの乗る列車がホームにつくやいなや、車両からから飛び降りた彼女は、改札口を飛び越え、夜のセントラル街へと飛び出した。目指すべき場所はひとつだ。この時間ならば、さすがのあの男も自宅に戻っていることだろう。
セントラルの一角にあるその家の扉は、五回ほどインターホンを鳴らし続けたところで、開かれた。
「……鋼の?」
洗い髪から雫を滴らせたまま、目を丸くしているロイ=マスタングを見上げて、エドワードはにっと歯を出して笑ってみせた。無理に笑おうとしているのが、受け手にはありありと伝わってしまうような、そんなぎこちない笑顔だったことに、エドワード自身は気づいていない。
「驚いたな」
マスタングは口ではそう言いながらも、真夜中の突然の訪問者を部屋のなかへと招き入れてくれた。追い出されるとも思わなかったけれど、こうも嫌な顔ひとつされずに家にあげてくれるとは思わなかったエドワードは、若干拍子抜けした。
――カチリ。
扉が閉まらぬように左手で抑えていてくれたマスタングとのすれ違い様に、硬質な音を耳で拾ったエドワードは、訝しげに彼を見上げた。エドワードの視線に気づいたマスタングは、ああ、と苦笑をこぼした。徐に差し出されたマスタングの右手のなかにあった黒い物体に、エドワードはぎょっと目を見張る。拳銃だった。エドワードは、さも当然のように拳銃を携帯しているマスタングは、やはり軍人なのだと当たり前のことを改めて実感していた。
一方、マスタングはマスタングで、硬直するエドワードを見やって、苦笑を深いものにしていた。たかが拳銃でこうも驚くこどもはやはり軍人ではないのだ、とマスタングは改めて気づく。マスタングがそんなことを考えていたことを、もちろんエドワードは知らない。
「物騒なもん持ち歩いてんのな」
「こんな時間の訪問者だからね。いったい何者かと思って」
「あー……」
エドワードは納得したような声を出して、そして「突然で悪かったな」と言った。真夜中のアポなしの訪問は、いくらなんでも非常識にも程があったようだ。エドワードはすっかり気が動転してそこまで考えが及んでいなかった自分に気づき、意気消沈した。
口を噤み項垂れた様子のエドワードに、構わんよとマスタングは敢えて軽い調子で答え、玄関扉を閉めた。
「これだよ」
と、マスタングに差し出された分厚い書物に、エドワードの金色の瞳がきらりと光った。
アルフォンスと共に、ピナコの様子見ということで故郷のリゼンブールにいたエドワードがマスタングから新しい文献が手に入ったとの連絡を受け取ったのは、ほんの数日前のことだ。エドワードがアルフォンスをリゼンブールに置いて、ひとりになるには絶好の口実であった。正直助かったというレベルの話ではない。動揺のあまり混乱した頭を冷やすためにも、今後の旅の方針を探るにも、マスタングが用意してくれた書物の役割は大きい。
「私もざっと見てみたが、そこそこに役には立つとは思う」
サンキュウ、とエドワードはやはり先ほど玄関で見せた笑顔と同じような表情で礼をいう。
「……何か、あったのか?」
「ん? 何が?」
きたな、とエドワードは心のうちで臨戦態勢でとりつつ、表向きだけはすっとぼけてみせた。先ほどから自分がいったいどんな表情をしているかを知らないエドワードは、マスタングの鋭さにただただ舌打したくなるばかりだ。
「何がって。君に何かあったのか訊いているのだが?」
「何か、って何が?」
上司の言わんとしていることが理解できないでいる風を装うエドワードに、マスタングは自分の杞憂だったのだろうかと内心で首をひねりつつも、なんでもないといってとりあえず会話を切った。
余計なことを訊かれずに済んだことに助かったと内心ほっとしながら、エドワードは早速表紙を捲りだした。時間はない。とにもかくにもこの本を頭に叩き込んで、次の旅の算段を立ててゆかなければならない。
立ったまま本を読むつもりなのか。マスタングは苦笑交じりにエドワードの小さな背中を押して、リビングのソファに座らせた。
「何か飲むかね?」
「いらねーいらねー。あのな、俺のことは放っておいてくれて構わねぇよ、こんな時間に突然お邪魔した俺が悪いんだし」
「アルフォンスはどうした?」
「んー? 置いてきた」
本から顔もあげずに、エドワードは淡々とこたえる。脈絡のない話題の切り替えは、マスタングの常套手段のうちのひとつだ。長年マスタングと付き合ってきたエドワードはもう慣れたもので、動じる素振りすら見せない。もともと、ここに来ると決めたときからマスタングには訊かれると予め充分に予想できた質問だ。いつもエドワードの傍にいて離れない、鎧の弟の姿が見当たらないとなれば、マスタングでなくとも驚くというものだ。
「置いてきたって、リゼンブールにか?」
「そうだよ」
「……アルフォンスと何かあったのかい?」
そこではじめて、紙を捲るエドワードの指先が動かなくなった。しまった、とエドワードは思ったが、平静を装おうと必死な彼女は決して本から顔をあげない。敏いマスタングは、たったそれだけのこどもの小さな変化で、だいたいのことを理解してしまったようだったが。
「……何も」
喉から搾り出すようなエドワードの声に、マスタングは苦笑する。この子はつくづく嘘が下手なこどもだと思う。
「喧嘩でもしたのかね」
「何もない」
エドワードはむすっと口元をへの字に曲げている。それのどこが「何もない」表情なのか。なるほど、どうもいつもの騒がしいほどの元気がないと思ったら、そういうわけか。たまらず吹き出したマスタングに、エドワードは一層顔をしかめて、マスタングを睨みつけた。
笑いながら隣に腰掛けてきたマスタングに、エドワードは「何だよ」と抗議する。
「君は、今回はいつまでこちらにいるつもりだい?」
「は?」
「君の予定を聞いているのだが」
「……。これを読み終えたら、一旦、リゼンブールに戻るつもり。アルフォンスを拾ってこなきゃいけねぇし」
「次の行き先にあてはあるのかね?」
ないな、とエドワードは正直に答えた。「まあ、あんたが寄越してくれたこの本次第だな。何か手がかりがこれに載ってれば、それに従って行動する」
「ふむ、なら君は今は特に急いでいるわけでもなさそうだな。――どうだい、鋼の。明日、私に少々付き合ってくれるかね?」
「何の仕事?」
「いや、仕事ではない。舞台観賞」
ぶたいかんしょぉぉーぅ? 素っ頓狂な声をあげたエドワードに、マスタングは笑いを噛み殺しながら、説明する。
「いやね、明日とある方と芝居を見に行く約束をしていたのだけれど、今日になって突然相手の都合が悪くなってしまってねえ。有給もチケットももう取ってしまったし、どうしたものかと思っていたのだよ」
マスタングのいう“とある方”というのは、つまり――。
「女か」
「……人をそう汚いものを見るかのように見ないでくれたまえ」
「女に断られたのなら、次は他の女を誘えばいいじゃん。俺はこの本読んでるから、安心して行ってこいよ。あ、夜は、この部屋を使うのか? 使うよな。うーん……だったら、俺は司令部の仮眠室を借りるか、ホテルをとるかてきとうにするわ。何にせよ、あんたの恋路の邪魔はしねぇから安心しろ」
「安心しろって君ね……」
ひどい言われようである。マスタングは気を取り直すように咳払いをひとつした。
「私は君を誘っているのだが」
「俺みたいな野郎を誘ってどうするよ」
「君相手なら余計な気をつかわなくてすむから、楽だ」
そうかい、とエドワードは気のない返事をしつつ、紙を一枚捲った。
俯いた頬にハニーブロンドがかかり、薄っすらと影がさすその横顔を、マスタングは凝視した。エドワードも、マスタングの視線に気づいているはずだ。
「……あのな、大佐。俺、時間ねぇのよ」
「そうかね? 君の話を聞くだにそうは思えんがね」
「早く、アルんとこに戻ってやんなきゃいけない」
「喧嘩をして、逃げ出してきたくせに?」
図星をさされたエドワードがマスタングを鋭く睨みつけた。眼前のマスタングは飄々と笑っている。その笑顔が癪に障って仕方なく、エドワードは唇を噛み締める。本を持つ指先がかすかに震えていた。
「どうだね、鋼の。たまにはガス抜きをしておかないと、はかどる仕事もはかどらない。君が一刻も早く身体を取り戻したいと焦る気持ちもわからないでもないが、少しは休みも必要だと思うがね」
わからないでもないだと? あんたに俺の気持ちの何がわかる。俺たちの事情のひとつも知らないくせに。俺がこうしている間にも、アルフォンスは苦しんでいるのだ。――そう怒鳴り散らしたい気持ちを、辛うじて抑え付けて、エドワードは嘆息をこぼした。
これは八つ当たりだ。自分だけは苦しむ弟から逃げ出しておいて、マスタングに当り散らすだなんて、馬鹿な話はあるか。それに、マスタングのいうことも理にかなっているのだ。血ののぼりきった頭でいくら貴重な資料を読んだところで、骨にも肉にもなりやしない。それこそ時間の無駄だ。
「……いいよ」
軽く目を見開いたマスタングに向かって、エドワードは重ねるように「いいよ」と繰り返した。
「いいよ、付き合ってやるよ」
「あー!良く寝た!!」
劇場を出るなり、両腕をあげて背筋を伸ばすストレッチをしだしたこどもに、マスタングはただただ呆れたように嘆息を零した。
マスタングたちと同じように劇場から出てきた客の間からも、くすくすと笑い声が漏れてくる。恥ずかしい。恥ずかしすぎる。マスタングは頭を抱えた。
「そんなによく眠れたのかね?」
「最高。こんなによく寝たのマジで久しぶりー」
エドワードの動きに合わせてぴょんぴょんと跳ねるアンテナもご機嫌そうだ。
「……。それはよかった……ね」
生意気なこどもの滅多に自分に向けられることのない満面の笑顔がすぐそこにある。マスタングはこれを素直に喜ぶべきか否か、本気で悩んだ。元気がなかったこどもを慰めてあげようふいに思い立って外に連れ出したわけで、実際こどもが元気になったのだから、ここは喜んでよいのかもしれない。が、複雑だ。芝居を見に来て、「よく寝た!」はさすがにどうだろう。
エドワードを弟のように溺愛するホークアイ中尉あたりなら、ここで喜ぶにちがいないが。いや、ホークアイの誘いであったならば、エドワードはどんなに退屈であったとしても、手の甲に鉛筆を刺してでも目をかっ開いて、最後まで舞台を見ていたことだろう。そして、公演の後「楽しかった? エド君」と尋ねたホークアイに、エドワードはとろけるような満面の笑みで「うん!」と答えるに決まっているのだ。
……我ながら、悲しくなる想像だ、とマスタングは思った。ホークアイと自分の違いはなんだろう、とマスタングはいつも考えている。おとなげないだの、鬼畜だの言われるマスタングとて、彼なりにエドワードのことを可愛がっているのだ。後見人として、エドワードの無鉄砲、自由奔放っぷりには、頭を悩ませ、殺意を抱くことも少なくないが。
「そんなに面白くなかったかね?」
マスタングからすれば決して悪い芝居ではなかった。ストーリー自体はどこにでも在りがちな、割とスタンダードな恋愛物ではあったけれど、演出も役者もそこそこによかったように思う。エドワードみたいに大口を開けて眠ってしまいたくなるような、そんな芝居ではなかった……はずだ。
実際、この芝居は巷でも評判だと聞く。今日の公演にしたって、平日の昼間であるにもかかわらず、ほぼ満員御礼の盛況ぶりだった。
「んー……よくわかんねえ」
だって観てないし、とエドワードは言った。それはそうだ。ちゃんと観なくして、どう評価しろというのだ。
「そもそも俺にはああいう……愛とか恋とか、男とか、女とか、よくわかんねぇんだよ。興味もあんまない」
「こどもだな」
「そうだな、俺はきっとこどもなんだよ」
「は?」
「あんだよ」
「い、いや……」
こども、と言われて怒らないエドワードがあまりにも珍しくて、マスタングは思わず口をぽかんと開けたまま言葉を失ってしまった。ただえさえ年齢の割りに身体が小さいことを気にしているエドワードは、こども、と言われることに過剰に反応する傾向がある。何かとエドワードをこども扱いするマスタングに反抗的なのも、そのためだ。
が、今日に限って、エドワードは怒鳴るわけでもなく、拗ねるわけでもない。なんと表現すればよいのか――強いて言うのならば、今のエドワードはひじょうに落ち着いているように見える。
昨晩遅くにマスタングの家のインターホンを連打したエドワードのあの切羽詰った顔つきとは大違いなその様子に、ガス抜きは一応成功したらしいと、マスタングは思った。
「ただなー……、俺はああやって好きだ嫌いだってまわりを巻き込んでぐっちゃぐっちゃにするのは好きじゃねぇよ。勝った負けたって駆け引きみたいなのも嫌だ。好きなら好きって突っ走ればいいと思う。つか、本当にそいつのことが好きなら、そうなっちゃうんじゃねぇの? まわりのことなんか見えなくて、兎に角自分が思うままに突っ走って……」
しんみりと語るエドワードに、マスタングは何か言おうとして口を開き、そしてまた口を閉じた。自分はこどもに何を言うべきか、自分はいったい何をこどもに言いたいのか、彼自身にもよくわからなかったからだ。
「――なんだかんだと、ちゃんと観ていたようだな、鋼の」
そうしてやっと口から出てきた言葉は、実に皮肉っぽい響きがあった。
「うっせーよ。そりゃあ、ところどころは見てたさ。でもほとんど寝てたぜ。つかさ、女の人ってのは、ああいうのが好きなのかねぇ? 劇場のなか、女ばっか。女くさくて、俺どうしようかと思ったよ」
うえええと喉を押さえるエドワードが可笑しくて、マスタングは笑った。
「そうだね。女性でああいう話を好む人は多いね」
「男の俺にはとんと理解できませんな」
「……後学のために理解しておくのもよいと思うよ。女心のひとつやふたつを知らずして、男とは言えん」
「じゃあ、女たらしな焔の大佐殿は完璧に女心を理解できてるんだ?」
どうかな、とマスタングは空を仰いだ。空の向こうで色とりどりの風船が浮かんでいた。どこかでお祭りでもしているのだろうか?
セントラルは今日も賑やかだ。道行く人は皆笑顔で、それが軍人たるマスタングには嬉しくもあり、逆に、何も知らない能天気な民を恨めしくも感じる。今日も国境線では血が流れ、人が死に、或いは何処かでテロリストが暴れまわっている。その手のニュースは毎日のように流れているはずなのに――セントラルの人々はつくづく暢気なものだ。
この仮初の平和がいつまで続くのやら。
「大佐?」
急に口を閉ざしたマスタングを、エドワードの金色の瞳が覗き込んでいた。
「……うん? あ、ああ。どうだろうねえ……。女心は男にとって永遠の謎ともいうし。理解したい、理解しようと常々思ってるよ」
「へー? で、思った結果が、色んな女にとっかえひっかえ手ぇ出して、で、ことごとくふられてゆくわけだな」
「は、鋼の。君って子はねぇ……」
「あんたはきっと本気で人を好きになったことなんてねぇんだって、誰かが言ってたな。俺もそう思う」
「酷いことを言う。初恋もまだな君に言われたくないな」
「初恋ぐらい、あるわい」
「ほう?」
初耳だ、と言ってマスタングは顎に手を当てる。
「いつだね? 幼稚園時代の隣の席の女の子とかいうのは駄目だぞ」
ぐうと押し黙ったエドワードに、マスタングは勝ち誇ったように笑ってみせた。そしてひとしきり笑ったあと、呟くように、囁くように、言った。
「まあ、君のようなこどもからすれば、私のようなおとなは汚いものにしか見えないだろうがね。でもね、形振り構わずたったひとりだけを想うにも、おとなには縛りが多すぎてね」
ああ。エドワードは頷いた。
「それは、なんとなく……わかるよ」
エドワードは、マスタングやホークアイや、ハボックや――たくさんのおとなを見てきた。だから、わかる。恋愛沙汰に限らず、何をするにしても、彼らを縛るものは多い。
「――さて、てきとうに夕飯を買い込んで、家に戻るかね。君も早く本を読んで、アルフォンスと仲直りをしにリゼンブールに帰りたいだろう?」
「だ、だから! 喧嘩なんかしてなっ!」
「朝方、アルフォンスから電話があってね。君をよろしく、と」
呆然と目を見開くエドワードに、マスタングは言った。
「随分と心配していたよ。色んなところに電話をかけまわっていたみたいだね。君はあんなにも兄思いの弟に行き先ひとつ告げずに、飛び出してきたようだ」
俯いて唇を噛み締めるエドワードのハニーブロンドを撫でて、マスタングは笑った。
「おや、泣いているのかい?」
頭のうえから聞こえる低い声は、やさしい。それが腹立たしい。エドワードは四肢に力を入れて、ぐっと涙を堪えた。
「うっせー!」
エドワードをからかうように大笑いするマスタングは、しかしただ笑うばかりで、結局それ以上の追及をエドワードにしなかった。それが、エドワードにはありがたかった。
「さて、鋼の。いくか。はぐれるんじゃないぞ」
「俺をガキ扱いすんなっての!!」
ぎゃーぎゃー騒ぎながら往来を横切る三十路(とは言え彼はそうとうな童顔なので二十七・八にしかみえない)と目つきの悪い小さい少年(本来の性別からすれば少女なのだが、それを知る人間は少ない)は、その日のセントラルの街中ではとても目立ったに違いない。
そして、その日、エドワードが見たセントラルはいつ見たときよりも、大きくて、広くて、賑やかで、楽しかった。エドワードはそう記憶している。
三ヶ月前にマスタングと共に見た同じ空、同じ街を見渡しながら、エドワード=エルリックは眉間に皺を寄せた。
妙だな。
ホテルを飛び出したエドワードは、セントラルのダウンタウンをぶらぶらと歩くなかで、まずそう思った。
駅からホテルまでの道のりは、マスタングの車に半ば強制的に乗せられての移動だったことに加え、エドワードはマスタングに話を聞こうと躍起になっていたものだから、街の様子にまで気が回らなかったのだ。そして今、街を少し歩いてみただけで、エドワードはその不自然さに気づいた。
国の中央なだけあって、人の出は相変わらず多い。東方もイースト・シティのような主要都市であれば、そこそこに人は出ているけれど、セントラルはその比ではない。店が軒を連ねる商店街の賑わいぶりも、車の多さも、セントラルにおいてはすべてが桁違いだった。
忙しない街中で人酔いしそうになる自分はやっぱり田舎者なんだろうな、とエドワードは思う。故郷のリゼンブールがむしょうに恋しくなった。
何はともあれ、今日のセントラルはおかしい。一見、エドワードが知るセントラルの街のようでいて、しかしそれが逆に不自然だった。
(錬金術師の失踪事件が続いてるってのに、どうしてこんなに憲兵隊の数が少ないんだ?)
いや、少ないわけでは決してない。ただ、憲兵隊たちの配備の仕方が奇妙だ。一部には極端に集中していたり、一部にはまったくいなかったり。何かの意図があってそうしている風でもない。強いて言えば、統制がまったくとれていないような――そんな印象を受ける。
下を統制すべき頭(トップ)が、揺らいでいる証拠だ。
(……軍はよっぽどやばいのか?)
過敏になっていたマスタングの様子を思い出す。
軍内部がごたごたしている。それは間違いなさそうだった。そして、それを一般市民が知っているような素振りはなかった。街の賑わいから、それは一目瞭然だった。軍事国家たるアメストリス国の軍にもしものことがあれば、国民に不安がらないはずがないないのだから。そして、おそらくは、錬金術師の続けざまの失踪事件も、国民の前には伏せられているのではなかろうか。
さもなくば――。
(大佐がほらふきやがったか……)
失踪事件とやらが、そもそもマスタングの狂言だったとして……。
うーん、とエドワードは唸りながら、赤みを帯びている空を見上げた。空を見上げたって、真実がわかるはずがないのだけれど。
ポケットから北方司令部のアームストロング少将からの電報を取り出し、嘆息をつく。電報はお茶の誘いだった。お茶のついでに、賢者の石、またはそれに匹敵する新しい情報を流してくれるというのである。美女でありながら偏屈なあのアームストロング少将に、よくぞここまで気に入られたものだなあ、とエドワードは我が事ながら感心してしまった。
さて、どうするか。ここは北方に行ってしまうがよいか。お茶はともかくとしても、彼女が握る情報はエドワードが咽から手が出るほど欲しているものだ。マスタングに相談すれば、彼はいちもにもなくエドワードに北方へ行けと言うだろう。彼はどうあってもエドワードにセントラルに留まってほしくない様子だった。留まるなら、せめておとなしくして欲しいと切々と語っていた(そして、言われるままにおとなしくしているようなエドワードではない)。
「でも、こっちもこっちできな臭ぇんだよなあ……」
何かが匂う。ここは、賢者の石に一番近しいと思しき、ホムンクルスの活動拠点たるセントラルだ。
「中央司令部に行ってみるか……」
あそこに行けば、何かわかるかもしれない。マスタングには司令部には近づくなといわれたが、外から様子を見る程度ならたいして問題にはならないだろう。運がよければ、知り合いのひとりやふたりをひっ捕まえて、話を聞きだそう。北方に行くのは、その後でも遅くはないはずだ。
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