そんな電話のやりとりが、エドワードとマスタングの間でなされた三日後のことである。
「まさか、と思って来てみれば……」
駅の改札口を抜けた途端に、冷ややかな声を浴びせられて、エドワード=エルリックと、その両腕に抱えられているアルフォンス=エルリックはぎくりと肩を震わせた。
エドワードたちの往くてを阻むように、仁王立ちしている男は、ロイ=マスタング大佐だった。マスタングが蒼穹の軍服ではなく私服を着ていたものだから、エドワードたちがマスタングをマスタングだと認識するのに、数秒の間が必要であったけれど、そこに立つ男は確かにロイ=マスタング大佐だった。
「セントラルにはしばらく帰ってくるなと、私は言っただろう!」
人目を憚ってか、マスタングの声音は決して大きいものではなかったが、それはエドワードたちを震え上がらせるには充分の迫力があった。
マスタングが怒っている。エドワードはぶわりと額に汗が吹き上がるのを感じた。マスタングが本気で怒っている。そして彼の怒りの対象は、まぎれもなく自分たちだ。
「お、怒るなよっ」
“無能”の代名詞を持つロイ=マスタングなんぞにビクついた自分に少々腹を立てつつ、エドワードは言った。
確かにエドワードたちは三日前の電話口でマスタングに「セントラルに帰ってくるな」と言われた。その言葉に反して、こうしてセントラルにやってきてしまったのも事実だ。だから、マスタングが怒るのも無理もないかもしれない。が、エドワードにはどうしても納得できないことがあったのだ。だから、自分たちがこんなふうにマスタングに頭ごなしに怒られるいわれはない、とエドワードは思っている。
「あのな、こっちだっていきなりセントラルに帰ってくるなとか言われたって、意味がわかんねーんだよ」
「帰ってくるなと言ったら、帰ってくるな。そのままの意味だ」
そう言い放つマスタングは、眉ひとつ動かないという徹底した無表情だった。だからこそ余計にエドワードたちは、目の前のマスタングが恐ろしかった。いっそ彼が鬼のように顔をかっかと高揚させていてくれれば、ここまで恐怖を感じなくてすんだかもしれない。
「どうしてそうなったのか説明しろって言ってんの。人の話も聞かないで一方的に電話切りやがって。あの後、俺が何度電話したと思ってるんだよ」
エドワードの金色の目にするどく睨まれたマスタングは、そこではじめて表情を変えた。困惑したような、そんな顔だった。黒い眉が八の字に下がっている。
「……そうだね、私のほうも説明が足りなかったね」
「そうだよ。全然足りてないんだよ」
エドワードに言われて、マスタングは先ほどのあの怒気が嘘のように項垂れた。
いったいなんなんだ?
エドワードもエドワードで困惑を禁じえない。怒ったり、項垂れたり、今日のマスタングはいったいどうしたんだ。腕の中のアルフォンスと目を合わせれば、彼もどうしたものかと言わんばかりに、鎧の首をぎぎと傾けた。
「あのな、大佐。電話をあんな切り方されりゃ、誰だって心配するだろう?」
「心配してくれたのかい。ありがとう、鋼の」
「……」
ちょっとやさしい声をかけてやれば、途端にマスタングはいつもの不遜な笑顔を浮かべる。転んでも決してただでは起きないというか、調子がよすぎるというか……。呆れた男だ。
「さて、あまりこんな人目につくところに長居もしてられんな。ホテルまでに君達を送ろう――が、そのまえに……」
と、エドワードとアルフォンスを交互に見やるマスタングの目が、まるで珍獣を見るかのようなそれだったので、エドワードは不愉快そうに顔をしかめた。
「あんだよ」
「……先ほどから気になっていたのだが、何故アルフォンスは……その……解体?……されてるんだ?」
エドワードの小さな身体が抱えていえるのは、手足のもぎとられたアルフォンスの胴体。胴体に頭だけがくっついている鎧はたいへん気味が悪かった。
「ああ、これね。ここまで無理やり列車のチケット取ってきたからさあ。どうしてもひとり分の席しか取れなくて。だから、こうやって荷物扱いにしたわけ」
「……」
アルフォンスの両手足はエドワードの黒い鞄のなかに詰められているとのことだった。
「失踪!?」
車の後部座席から素っ頓狂な声をあげたエドワードとアルフォンスに、マスタングがハンドルを握りながらああ、と頷いた。
アルフォンスの鎧を組み立てなおしていた手を止めたまま、エドワードはマスタングの後頭部をくいいるように見つめる。
「錬金術師が!?」
そう、とマスタングは再び頷いた。
「なんで!?」
「それがわからないから、困っているのだよ」
「軍は何やってんだよ。憲兵隊はっ!?」
「先鋭調査中とのことだ。憲兵の調書を掻い摘んで説明すると、そこそこに名の知られている錬金術師ばかりが数十人、ここセントラルで、次々と消息を絶っている――ということらしいよ」
「……掻い摘みすぎだろう」
「なかには銀時計を持つ国家錬金術師も含まれているらしい」
なるほど。だからマスタングは自分にセントラルに来るなと言ったのか。エドワードはやっと合点がいったように、頷いた。
「失踪ってのは? 拉致とか、殺しとかの可能性は?」
「わからない、と憲兵部は発表しているね。何せ錬金術師たちは跡形もなく消えてしまっているんだ。捜査の手がかりになるものが少なすぎる。争った形跡もない。死体はあがってこないから、殺人事件とも断定できない。或いは、行方不明の錬金術師たちが自発的に何処かに消えていったとして、だが、その可能性も低い。彼らの親族たちは一様にして、彼らが失踪なんぞする様子はなかったと主張しているしね。それに行方不明者は皆“錬金術師”であるということ以外、共通項らしいものが見当たらない。集団失踪とか、集団自殺とか、具体的に言うと、そうだね――例えば宗教的ななんらかの集会に巻き込まれた等という可能性も低いわけだ」
「八方塞じゃん」
「そう、八方塞だ。憲兵部のなかでは、国家錬金術師の失踪に関してはスカーの仕業ではなかろうかという声もあがっていると聞くが、スカーの仕業とするには不自然なことが多い。今までのスカーの手口とは合わない。彼が犯人だというのならば、必ずや残されているはずの国家錬金術師の死体あがってきてないんだからね。……まあ、とはいえ、スカーが犯人であるという可能性は否定しきれるものでもないから、彼の指名手配書にはまた新しい容疑が付け足されたわけだ」
「……その失踪事件はいつ頃から始まったんだ?」
エドワードは低い声でマスタングに尋ねた。
「ふた月ほど前だ」
「うん、それなら、尚更だ。犯人はスカーじゃない。ぜったいに違う」
「何故そう言い切れる?」
「スカーにサウスシティで会ったんだよ。俺たちもスカーもしばらくはあの街に滞在してたんだ。ちょうど2ヵ月前だ」
よし、とエドワードがアルフォンスの肩を叩いているところが、バックミラー越しに見える。どうやらアルフォンスの身体の組み立ては終わったようだった。
「ほう」
「それに奴は今頃、シンじゃねぇのかな」
「どういうことだ」
「スカーが言ってたんですよ」 今度は、アルフォンスが答えた。
「随分と仲良くなったものだなあ。まあ、いい。その件については、私から憲兵部に報告しておこう。――ところで、鋼の。先日私のところにアームストロング少将から君宛の電報が届いたのだが……」
え、とエドワードの叫び声が背後から聞こえたと思ったら、次はごん、という鈍い音が車内に響いた。バックミラー越しに後部座席の様子を確かめれば、エドワードが頭を手で抱えながら、悶絶していた。どうやら興奮のあまり、座席から腰を浮かせて、そのまま勢いよく頭を低い車の天井にぶつけてしまったらしい。
「兄さん、大丈夫? すんごい音したけど……」
「だ、だいじょ……ぶ……。しょ、少将はなんって……あいてて」
「何をそんなに興奮している?」
「う、うっせーよ。で、少将はなんて?」
「あのね、鋼の。私は人様宛の手紙を勝手に見るような人間ではないのだけどね?」
「じゃあ、その電報はっ! 渡せ!」
運転席のシートと助手席のシートの間から、身体を乗り出してくるエドワードを視線で諫めて、マスタングはハンドルを切った。
「鋼の。危ないから、きちんと座りなさい。それから、アルフォンス、出来るだけ座高を低くしてくれたまえ。外から見られたくない」
「ぜ、善処します」
と、アルフォンスは荷物に埋もれるように鎧の身体を縮めた。
「おい、大佐! 電報!」
「運転中の人間に無茶を言うな。後で渡してやるから大人しくしていなさい」
エドワードはむぅとマスタングに不服そうにしていたが、やがて諦めたのか、シートに腰を戻した。
エドワードたちがマスタングに連れてこられたホテルは、いつも兄弟が愛顧にしているホテルとは違う場所だった。エドワードたちの足がつきにくいようにするためだろう。
エドワードの黒い鞄を持ったマスタングを先頭に、鎧のアルフォンスが、さらにその後をエドワードが続き、細い階段を上ってゆく。
「兄さん、読みながら歩くと、転ぶよ」
諫める弟に、オリヴィエ=ミラ=アームストロング少将からの電報を読むエドワードは、んーと生返事だけを返した。視線は一心に紙面に綴られた文字を追っているというのに、エドワードは器用に障害物を避けて、その歩みに淀みはない。器用にも程がある。そんなエドワードの様子に、アルフォンスは呆れたように肩を竦め、マスタングは苦笑した。
辿り着いた部屋は階段に近い部屋だった。何かあったときには、すぐにでも逃げ出せそうな、そんな場所だ。窓からは、通りが見下ろせる。これなら外の異常もすぐに察知できるだろう。
それにしても、マスタングはいったい誰の目から逃れようと必死なのだろうか。
「……随分と用心深いじゃん」
電報を読み終えたエドワードが揶揄するように言えば、マスタングは口だけで笑い返してやった。
「念には念を、というじゃないか。――カーテンは昼間もきちんと閉めるようにしておきなさい。いいね?」
「へいへい」
「外に出ることも控えなさい。とくにアルフォンスはその形(なり)じゃあ目立つからね。外には絶対に出ないで欲しい。どうしてもというときは、鋼の、君が変装でもして外に行けばいい。……が、あまりひとりで行動されるのも危険だからね、しばらくはここでおとなしくしていてもらいたい」
「んだよー、軟禁状態じゃん」
ぶーと口を尖らせたエドワードをねめつけて、マスタングは言った。
「文句を言うんじゃない。そもそも君が、私の忠告を無視して、セントラルにのこのこやってきたんだろう?」
ぐうの音も出なかった。
「念のために、列車の乗客名簿を逐一チェックしていてよかったよ」
と、マスタングがエドワードたちの顔の前で、小さく折りたたまれた白い紙をひらひらとさせる。おそらくは各列車の乗客の名前が記された紙だろう。
「鋼の。人の制止も聞かずにここにやってきてしまったことには呆れたが、まあ、偽名を使ったことは、誉めてやろうか」
ふん、とエドワードは鼻から息をだした。
銀時計を使うな、と言っていたのは、マスタングだ。国家錬金術師の象徴である銀時計を使うなというからには、エドワード=エルリックの名前は伏せろといわれたも同然だ。最年少天才国家錬金術師として“鋼”の二つ名を持つ、エドワード=エルリックの名前を知らない人間は少ないのだから。
「なかなかいい偽名だっただろ? あんたに俺だってわかってもらおうと思って、そりゃあもう一生懸命考えたんだよ」
にたにたといやらしい顔をするエドワードに、マスタングは口端をくっとあげてみせた。
「私のよく知っているマデリーンは、もっとグラマーでそれはもう綺麗な女性なんだがねぇ?」
マデリーンとは、マスタングの恋人のうちのひとり“だった”女性の名前だ。尤も、マスタングの二股やら三股やらがばれて、彼女にマスタングはこっぴどく振られたらしいのだが。
おとなの傷を抉るとは。つくづく生意気なこどもだ、とマスタングは思った。
「いやしかし、男の君が女装もしないで、女性の名を語るとは……。よくもまあ、駅員たちに怪しまれなかったものだ」
「あれ、大佐、知らなかったのか?」
目を丸くするエドワードに、マスタングは首をかしげる。途端、着かない様子でそわそわとしだした鎧の弟にも、マスタングはさらに首をかしげた。
はてさて。自分がいったい何を知らないというのか。マスタングは眉を寄せた。
「俺はね、そこらの女よりよっぽど美人なのよ?」
美人?
「に、兄さん……」
「あんだよ」
「……仮にも、お、男が自分を美人とかいうのは……」
ちらりちらりとマスタングを見るアルフォンスの怪しいこと。
「ふむ」 マスタングは顎を手で擦って言った。 「鋼の、それを言うなら、私のほうが美人だ」
絶句するアルフォンスの横で、さすがのエドワードも呼吸をとめた。ここにも、自分を美人だと堂々と言ってのける変な男がいた。
(というか、俺は冗談のつもりだったんだけどよ……)
エドワードは口元を引き攣らせる。
マスタングは、おそらく本気の本気で言っていた。本気で自分は美人だと言ってのけたのだ。“みそいち”の男が! 恥ずかしがる素振りも見せずに!(マスタングが恥らっている姿というのも、それはそれでひじょうに気色が悪いものではあるのだが。)
硬直するこどもたちを前に、マスタングは気を取り直すように、こほんと咳をする。いけない、ついこども相手に本気で対抗心を燃やしてしまった。
「――それから、電話のことだが、これも基本は使わないこと」
話は強引に軌道修正されたが、それについてエドワードもアルフォンスも文句を言わなかった。
「盗聴かよ」
「そういうことだ」
「この前から気になってたんだけどよ、いったい誰に盗聴されるってんだ?」
「ほら、私も色々敵を作りやすい立場なのでねぇ。優秀な私を嫉む輩も多いわけさ」
「あんたは一度くらい死んだほうがいいんじゃねぇかと思うぜ。――まあ、あんたが軍で“より一層”微妙な立場にいらっしゃってるらしいことはよーくわかったよ」
「君はどうも一言多いねえ」
「あんたに言われたくないね。しっかし、電話を寄越すなっていったってなあ? あんたに連絡をとりたいときはどうすればいいわけ? 直接司令部に行けばいいのか?」
「一日一回、私の部下をここに寄越すから、そのときに言付けてほしい。必要なものもそこで言えばいい。翌日には届けるようにする」
「……司令部には来るなってことか?」
「面倒は避けたい」
いったいどんな面倒だよ。エドワードは毒づき、顎に手を当てる。
「随分必死だな、大佐。錬金術師の失踪事件に、軍内部のごたごた……。俺には話が見えてくるようで、いまいち見えてこねえ」
むむ、と眉間に皺を寄せるエドワードに、マスタングはこれ見よがしに溜息をついてみせた。
「こどもが気にすることではない」
「いちいちむかつく男だな、てめ」
「軍属であって、軍人ではない君に言えないことは山ほどあるということだ」
なるほど、マスタングの言うことはエドワードにもわかる。エドワード自身、正規の軍人になるつもりはない。が、マスタングの言い方はどうにもこうにも、いちいちエドワードの癪にさわってくる。おもしろくない。ひじょうに不愉快だ。
一層眉間の皺を深くしたエドワードに、マスタングは何を思い立ったのか、突然ポン、と掌を叩いた。
「そうだそうだ。アームストロング少将からの電報のほかに、君にもうひとつ渡すものがあったんだよ、鋼の」
「あんだよ」
「そう怖い顔をするな。ほら、後ろを見たまえ」
と、彼が指差した先に、ひと箱のダンボール箱。エルリック兄弟はお互いの顔を見合わせて、首を傾げた。
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