ときは十日ほど遡る。その日、鋼の錬金術師と鎧の弟は、サウスシティから在来線を二時間ほど乗り継いだところにある街にいた。
「……は?」
挨拶もそこそこに一方的に切られた電話を前にして、さすがの鋼の錬金術師エドワード=エルリックも絶句し、動けなくなった。ツーツー、と間の抜けた機械音が受話器から聞こえてくる。
え、なによ、どうゆーことよ?
目をぱちぱちと瞬かせるエドワードの様子を、その巨体故に電話ボックスのなかに入れなかった鎧姿のアルフォンス=エルリックが、電話ボックスの格子状の壁越しに伺っている。気遣わしげな弟と視線を合わせて、エドワードはなんとも形容しがたい顔をした。エドワード自身、この状況にいまいちついてゆけていないのだ。
「大佐、なんだって?」
「知らん。つか、切られた」
「え?」
「大佐の野郎、いきなり電話切りやがったっ」
ええ? アルフォンスが驚き、仰け反れば、彼の鎧がぎぎぎっと軋んだ。
「な、何で?」
信じられない、とアルフォンスは呟いた。
エドワードが大佐、こと、ロイ=マスタング大佐に電話をすれば、決まって怒涛のような質問攻めとお説教が待っているのが常だというのに。今何処にいるんだだの、いつ帰ってくるのだだの、派手な行動は慎みたまえだの、何故連絡を遣さなかったのかだの、エトセトラエトセトラ。
一度旅に出たらろくろく連絡をよこさないエドワードに絶対的な非があるとはいえ、それを差し引いたとしても、マスタングのお説教は長い。もちろん、マスタングの長いお説教は彼がエドワードの身を案じているが故のものであって、決して弱いものイジメなどの類ではない(はずだ)。エドワードとてその辺りのことは一応理解しているのだが、如何せんマスタングのお説教は長すぎる。長すぎるうえに、陰湿で、皮肉っぽく、粘着質だ。マスタングのお説教は直球直情型のエドワードにとっては大変理解しがたく、拷問にも等しいものだったのだ。
だからエドワードはよけいにマスタングへの連絡を渋る傾向があったのだが、今日は少し違った。今日に限って、エドワードがふと思い立ったように「大佐に電話する」と言い出したのだ。そして、エドワードが電話をしたと思ったら、今度はマスタングが自ら電話を切ってしまったという。
今日は変なことが重なる日だなあ、とアルフォンスは思った。
「どういうこと?」
「知らねぇよ。なんかやたら慌ててんの。『少しの間黙って待ってろ』って待たされたと思ったら、今度は『直ぐに掛けなおす。十分ほどそこで待っていなさい』――だってよ」
「掛けなおす? え、だって、こっちは公衆電話だよ?」
掛けなおせるわけがないじゃないの、とアルフォンスは言った。
「逆探知でもしてたんじゃねぇの?」
「こんな短時間で逆探知なんて出来ないでしょう」
「いや……ぎりぎり出来るんじゃねぇ……かな?」
と、エドワードは頭の中で逆探知にかかる時間から逆算する。うん、出来ないことは、ない。
「というか、なんで逆探知する必要があるのさ」
「うーん……」
エドワードは眉を寄せた。
ひゅるりらーと吹いてきた秋の冷たい風が、エドワードのハニーブロンドのアンテナを揺らす。
「なんつーか……嫌な予感が……しなくもない」
「う、うん……」
急に鳴り出した公衆電話に驚いたのは二人だけではない。彼らを遠巻きに見ていた通りすがりの人間たちもぎょっとしていた。公衆電話がどうしてひとりでに鳴り出すのだという周囲の不躾な視線に、アルフォンスはこの場からいますぐ逃げたくなった。ただでさえ小柄でいかにも生意気そうなこどもと大柄な鎧のセットは、否が応でも人目をひくというのに。
イヤだ。嫌な予感がする。電話を取りたくない、と渋るエドワードの代わりに、アルフォンスは受話器を取り上げる。とにもかくにも、アルフォンスはこれ以上無駄に悪目立ちするのは切実に遠慮願いたかったのだ。
アルフォンスは受話器をエドワードに押し付けると、ぎゃーすぎゃーすと騒ぐその小さな身体を、電話ボックスのなかに無理やり押し込んだ。
「アル……!」
「とりあえずお説教はちゃんと聞いておくんだよ!」
裏切り者めえ、とエドワードは恨めしげにひとりごち、そして嫌そうに耳に受話器を寄せた。
『……し? もしもし? もしもし? 鋼の?』
受話器の向こうから、マスタングの低い声が聞こえた。世の女性達は、皆、この声が好きなのだという。エドワードにはその手のことは、いまいちよくわからない。
「――もしもし? 大佐?」
『鋼のだね?』
畳み掛けるようなマスタングの口調に、エドワードは戸惑いを隠せなかった。
なんだよ。なんなんだよ。
「う、うん、俺。なんだよ、そんな慌てて」
『ああ、すまない』
受話器の向こう側で、胸元のシャツを握り締めて息をついているマスタングの姿が、エドワードは見えた気がした。
怒られるような気配はない。いつものお説教が待っているような雰囲気でもない。が、エドワードはひじょうに落ち着かない気分だった。状況が飲み込めないことに、苛立ちにも似た感情を覚える。
「おい、何があった?」
『すまないね。この回線も100%安全とは言えないんだ』
だから答えられない、とマスタングは言下で言う。
何の安全だ、とは尋ねるまでもなかった。――盗聴だ。
この回線“も”とマスタングが言うからには、先ほどエドワードが電話を掛けた軍の内線にも盗聴の可能性があるのだろう。
軍で何かあったのか?
「何か……。何が、あったんだよ」
『鋼の、君たちは今どこに……ああ、いい。言わなくていい。とりあえず、君たちはしばらくセントラルには帰ってくるな。銀時計や小切手の使用も控えなさい。足がつくからね。それから、派手な行動は慎みなさい。わかったね?』
エドワードの質問に答えることもなく、マスタングは一方的にまくしたてると、最後はいつもの言葉で締めくくって、勝手に電話を切ってしまった。
ツーツー、と間の抜けた音が受話器から聞こえる。その音にひどく馬鹿にされているような気がして、エドワードは半ば叩きつけるように受話器を置き、叫んだ。
「くそったれ!!」
受話器を置いたところで、セントラルにいるロイ=マスタングはそっと息をついた。
今頃、エドワードは遠い街の公衆電話の前で、肩を怒らせているかもしれない。少々強引だった感は否めないが、いつだれに盗聴されるともわからない電話で、あれ以上の何がマスタングに言えただろう。
エドワードが使っていた公衆電話の番号を走り書きしたメモ用紙を、発火布の上で燃やす。これで、エドワードとアルフォンスの足取りをつかめるようなものを消し去った。あとは、彼らが大人しくしていてくれることを願うのみだ。大人しくしていてさえくれれば、彼らの安全は保障されたも同然だ。仮に危ない目にあったとしても、彼らの力をもってすれば、ここひと月の間に次々と消息を絶っていった有名な錬金術師たちのようにはならないだろう。
なにかと暴走してはあちこちで騒動を起こすエドワードたちではあるけれど、決して馬鹿者ではない。マスタングとのこの数分の短い電話ひとつで、こちらがのっぴきならない事態に陥っていることを悟ったはずだ。
大丈夫だ。マスタングは自分に言い聞かせる。
エドワードからの電話は、ここ最近のマスタングの最大の心配事を解消してくれた。よかった。エドワードたちは無事だ。他の錬金術師たちのような目にはあっていない。本当によかった。安心した。
後は、もう、マスタングは己がすべきことを、するだけだ。
マスタングは電話ボックスに背を預け、もう一度息をついた。
硝子越しに、そう遠くない場所に構えられた建物を見やる。アメストリス国軍中央司令部だ。軍服にはじめて袖を通した頃は、あの建物がとてつもなく大きく見えたものだ。しかし、今はどうだろう。ただの砂の塊にしか見えない。少し突付けば、いとも容易く崩れ落ちていってしまいそうな――そんな風にしか見えなくなってしまった。
マスタングが目指してきたものは、あんなブリキの玩具のような建物の天辺ではない。
黒いブーツの底でしっかりと地面を踏みしめ、この地面の下にある巨大な空間を思う。
マスタングが目指すべきものは――倒すべきものは、そこにある。
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