ソフィーの通うカレッジの一年次必修授業のひとつ“基礎魔法論”は、基礎とは名ばかりのかなりハードな授業であることで有名だった。その授業内容の難易度の高さの前に、優秀なカレッジの生徒たちは次々を打ち負かされ、おかけで単位を落とす者も少なくない。基本、四年制のカレッジだが、この“基礎魔法論”のせいで落第を余儀なくされる者もいるくらいだ。
そして、例年と同じく、今年も学生泣かせの授業に「何が、基礎だ! 糞食らえ!」 と、悪態をついたのはソフィー=ハッターの友人のマリーウェザー=ゴールドだ。学年主席で入学したウィリアム=ジョーンズも、マリーほどあからさまに嫌な顔はしないが、やはり“基礎魔法論”を不得手としている節があった。
ようは、センスの問題なんだ、とソフィーは思う(ちなみに、ソフィーは“基礎魔法論”を嫌だ、と思ったことはない。強いて文句をつけるとすれば、昼食後一発目のコマだから、時折眠くなってしまうので、授業時間をずらして欲しいと、そんな程度のものだ)。
魔法は、そういうものだ。センスがないことが、決して悪いことではない。ただ、人には向き不向きというものがあって、魔法という分野はその向き不向きに大きく左右され、それが顕著に現れるものなのだ。
そして、ソフィーの場合、たまたま魔法のセンスを少なからず持っており、マリーとウィリアムは魔法のセンスを持ち合わせてこの世に生まれてこなかった。――――それだけのことだ。
それだけのことなのに、カレッジの学生には、これは死活問題だった。何せ、各々の進級、ひいては卒業できるか否かという問題に絡んでくるのだから。もはや、センス云々などと言っている場合ではない。それこそ、マリーは死に物狂いで勉強し(ときたまソフィーに泣きついて慰めてもらったり)、ウィリアムもそのプライドの高さからあまり表には出さなかったものの、家でこっそり相当に魔法を勉強していたらしい。
毎週毎週、授業のたびに行われる小テスト(もっともこれも“小”とは名ばかりで、それはそれは難しいテストだった)に泣かされ、まだ見ぬ学年末の一発試験におびえ。毎週が恐怖だった。
このコマの講師(彼自身も魔法使いだ)の顔が、いかつかったのも頂けない、とこぼしたのはウィリアムだ。これで、見目麗しく可愛らしい魔女が教壇に立っていたとしたら、皆すすんで授業に積極的に取り組んでいただろう、と彼は言う。「皆、っていうか、男どもが、でしょう」と鋭いツッコミをマリーがいれ、ソフィーもそのツッコミに頷けば、ウィリアムは「わかってないなー」とこぼす。
「いいかい?マリー?教壇に、ソフィーが立っていると思ってみろよ。おまえなら、どうする」
「死に物狂いで勉強するわ」
即答したマリーにウィリアムは満足げに頷き、ソフィーはそんな二人のやりとりを苦笑い交じりにきいていた。どこまでが本気で、どこまでが冗談なのか。ソフィーには未だに、このあたりの判断がつけられない。もっとも、マリーとウィリアムにしてれば、“大”がつくほど“真面目”なのだが、ソフィーのほうが全く取り持ってくれないのだ。
話がずれた。いったん、“基礎魔法論”に話を戻そう。
とにもかくにも、基礎魔法論はカレッジの学生泣かせの授業だ。学年主席をがり勉させてしまうほどに、ハードで辛い授業だ。
ハードすぎる授業に耐える一方の生徒たちは、いったいどこにこの鬱憤を爆発させるべきか考える。否、考えるまでもなく、もはや本能的にその場所を見つけ出す。――――講師だ。
生徒を苦しめ、苦しめ、自分だけ涼しげな顔で教壇の上にたつ講師を呪い、影口をたたく。こういうときにこそ、魔法が使えたら、と思う。魔法で講師をやっつけてしまいたい、と切に願う。どうせ魔法の授業をやるのなら、魔法論なんていう抽象的な論理の塊を教えられるよりも、こういうときに役立つような、もっと実践的な魔法を習いたかったと考え、そしてどこまでいっても役に立たない“基礎魔法論”とその講師を嫌うのだ。まさに、悪循環だ。
「あんの、糞講師、いつかしばいたる」とマリーは万年筆を握り締めながら、呪いの言葉を吐き、ウィリアムは「美しくない…ゲテモノめ…!」と言い捨てた。風の噂によると、授業中に小テストのあまりの出来の悪さを名指しで怒られた某青年が、毎晩毎晩東洋式の“ウシノコクマイリ”という方法で、基礎魔法論の講師に呪いをかけているとか、いないとか。そのあたりの真相は定かではないが、それくらいに彼は学生から嫌われているのだ。
そして、ある日、事件は起きた。
「やったー!!」
掲示板の前でマリーは万歳三唱をして、ソフィーに抱きついた。ドサクサ紛れに、マリーと同じように抱きついてこようとしたウィリアムを、得意の踵落としで地面にめり込ませてから、ソフィーはマリーを狂喜乱舞させている掲示板をまじまじと見つめた。
「事故?」
掲示板曰く、ソフィーたちがうける“基礎魔法論”の講師が事故にあったため、しばらく基礎魔法論を休講にするという旨が、簡潔に記されていた。
「あんの糞講師が、事故だって!あっはは!」
目尻に涙さえためて、マリーは笑う。
「ジョニーくんの呪いがきたのかしら?あー傑作だわ。早くみんなにも知らせてあげなくっちゃ!」
「マリー、あんたね、人の不幸をそこまで喜ばなくても……」
「因果応報」 と、呟いたのはウィリアムだ。
「いんがおーほー?」
「東洋の宗教の言葉さ。過去における善悪の業が、現在の幸不幸にそのまま結びつくってね!ぼくらを散々苦しめてきた彼がいけないのさ」
へー、とソフィーは初めて耳にした言葉に、目を丸くしながら頷いた。確か、ウィリアムは東洋宗教の講義をうけていたのだ。あたしも今度受けてみようかしら。
「とにかく、明日の基礎魔法論の授業はないわけだ」
「しばらく休講って言ってるくらいだから、きっと来週の基礎魔法論もないわよ。……なんか、けっこう重傷なのかしら?」 と、マリーも流石に眉をしかめた。
「魔法使いって基本、打たれ弱いんだよ。物理的な痛みに激しく敏感だって、本に書いてあったしね」 ウィリアムは言う。
「あーそれはよくわかるわ」 思わず、ソフィーは呟いた。ハウルを思い出したのだ。
え? と、振り返ったマリーとウィリアムに、ソフィーは慌てて首を振る。
「ま、まあ、よかったわね。これで、しばらくは、あの苦しい時間から開放されるわけだし…」
我ながら少し強引な話の運びだったかも、とソフィーは思ったが、マリーとウィリアムはさして気にしている様子もなく、いたってふつうに、そうだね、と笑顔で言った。
「これで、楽しい学生ライフを過せるわ」 と、マリー。
「願わくば、この平穏が長く続きますように、ってね?」 と、ウィリアム。
(ハウルの動く城,2005/08/07)
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