らくに300百人は収容できるだろうと思われる大きな階段教室に、講師の声が響き渡る。基礎魔法論だかなんだか知らないけれど、そもそも魔力というものを持たないマリーウェザーにとってこの講座は至極退屈なものであった。生徒の自主性を他のカレッジ以上に尊重すると謳うこのカレッジでの数少ない必修科目が、よりによってどうしてこの基礎魔法論なのか。未だに、マリーには理解しがたい。
 世界でも魔法使いの人口が多いとされるインガリー国。近隣諸国と較べてみれば、ウェールズに引き続き魔法使い人口は高い。それだけに、当然魔法教育も盛んだ。もっともカレッジでなされる魔法教育なんてたかが知れているのだが(魔法使いの多くは幼少の頃から特定の師匠について勉強をすることが多いと言われている)、それでも今マリーが受けている基礎魔法論だとか、それと酷似したものが国内のカレッジの多くで必修科目として定められているというのも事実だ。
 しかし、マリーに言わせて見れば、ここは“カレッジ”だ。それ以上でもそれ以下でもない。ことさらマリーたちの通うカレッジは、国内にとどまらず、世界中の勉学を志す若者(なかには年齢のいった人も紛れている)が集う場であるが、果たしてそのなかにいったい何人の魔法をつかうのに十分な魔力を保持している者がいるのかというと、実際のところ片手で数えられる程度なのではなかろうかとマリーは考えている。そもそも魔法を使うためにはある程度の魔力をもっていなければならい。インガリー国のほとんどの人間が魔力を持って生まれているとされているようであるだが、実際のところ、魔法を使用するためには少なからぬ魔力が必要とされている。その最低ラインの魔力を持ち合わせている人間自体は極めて少ない。かつ、魔法を習得するためには、半端ない努力と修行が必須条件だった。
 そんななかで、基礎が頭につくとは言え魔法論を学んでなんになる。興味があるのならまだしも、興味もなにもないのに、どうしろというのだ。魔力がないから、魔法の知識なんて持っていても役にもたたない。役にはたたないわ、おもしろくもないわ。こんな科目が、何故必修科目に指定されているのか。考えれば、考えるほど、どんどん嫌になってしまう。
 マリーがそっとため息をつくと、隣の席に座っていたあかがね髪の親友もため息をついていた。
 昼頃、突然カレッジにやってきたマイケルという少年の話をよほど気にしているらしく、あれからソフィーはずっと元気がなかった。旦那のことをきちんとわかってあげていなかった自分が情けないとでも思っているのだろう。ソフィーの旦那の弟子だというマイケルの話はなかなか壮絶で、流石のマリーもびっくりしたものだ。
 それにしても、ソフィーの旦那とやらは一体何者なのか。弟子を取るような職業についているのは確かだが、それ以外のことがよくわからない。癇癪だけで家を半壊させたこともあるらしい。どんな怪力男だ。よほどマッチョなのか?ソフィーの旦那がマッチョ?あまりにも似合わない取り合わせだ。そして、その半壊した家をソフィーがカレッジから帰宅する前にきっちり修復したというカルシファーも一体何者なのだろうか。風呂好きだという旦那の風呂沸かしまでやっているらしいカルシファー。かなり優秀な小間使いだとマリーは見ているのだが、やはりその正体は明らかではない。マイケルもマイケルで謎だ。癇癪持ちで、怪力の旦那からいったい何を学んでいるというのか。しかもその修行の間に、旦那から術らしきものをくらって、生死の境をさまよったというのだから、すごい。
 兎にも角にも、一番謎なのはカルシファーでもなくマイケルでもなく、ソフィーの旦那。――――ハウル。
 そういえば。
 マリーははたと気がついたように、ノートをぱらぱらとめくりだした。
 やっぱり、とノートをまじまじと見つめる。そこに書いてある人物名。王室付き魔法使いハウル。どこかで聞いたことのある名前だと思ったら、ソフィーの旦那の名前は大魔法使いと崇められている人物と同名だったらしい。
 自信過剰で、弱虫で、癇癪持ちのハウルと、歴代王室付き魔法使いのなかでも屈指の存在と謳われるハウル。
 ソフィーには失礼かもしれないが、同じ“ハウル”でもまるで天と地のような差だ、とマリーは思った。




 退屈な講義が終わると、外はすっかり日が傾きつつあった。オレンジ色に染まるカレッジの並木通りの並んで歩きながら、マリーはソフィーに言った。
 「今日は頑張って旦那孝行するのね」
 頑張ってね、と肩を叩いてやれば、あかがね色のカレッジ一の優等生は疲れきったようにため息をこぼす。もう少し元気そうだったら、基礎魔法論の講義の間中考えていた疑問を、ソフィーに片っ端から訊いてみようかとも思ったのだが、当のソフィーがこんな様子では流石にかわいそうだ。今日はとりあえず見逃してあげよう。
 「返事は?」
 「うん」
 さて、どうしたものか、とソフィーは思案する。
 マイケルから聞いた話によると、ハウルの荒れようは笑い話で済むとかそんなレベルではない。よくもまあ死人がでなかったものだ、と思わずにはいられない。ハウルの魔法を受けて生きていたというマイケルには、拍手をおくってあげたいくらいだ。
 このぶんだと、ハウルの勤め先の同僚であるサリマンにも、かなりも被害がいってたりするのではなかろうか。今度、レティーの家に遊びに行ったときにでも、それとなく訊いてみよう。場合によっては、ハウルの妻としてきちんと謝罪しておかなければ。
 嗚呼、頭が痛い。
 「まあ……」
 「うん?」
 「あたしもちょっとハウルには悪いことしたかなっと…」 ふぅと息を吐き出して、ソフィーはオレンジ色の空を見上げた。 「カレッジに入学できて、新しい環境に飛び込んで。浮かれすぎてたのかしら…」
 「旦那さんもわかってるわよ。だから、あんたには文句言わなかったんでしょう?」
 「………」
 「あんたが新しい環境に馴染めるように必死にやってたことくらい、あんたの旦那なんだからわかってるはずよ」
 ね?と、親友の顔を覗き込めば、彼女は少々照れたように、うん、と頷いた。そんなソフィーに満足したように、マリーも軽く頷く。
 と、何か思い立ったようにマリーはぽんと手を叩いた。 「ねえ、ソフィー。さっきのマイケル君の涙ながらのハウルさん話を聞きながら思ったのだけどね」
 「うん」
 「………似てるわよね……??」
 誰が。誰に。とは、今更言葉にせずとも、二人の間では了解済みだ。
 「……まぁね……」
 「ハウルさんには……」
 「ウィリアムのことは話してないわよ」
 誰が、そんな恐ろしいことをしますか。あんな似たもの同士が二人並んでみなさい!もう怖くて怖くてたまらないわ!! と言わんばかりのソフィーに、それもそうよね、とマリーが頷こうとした、その瞬間。
 「ぼくが何だって?」
 「――――!!??」
 「やあ、偶然だね。きみたちも今から帰るんだろう?ぼくもなんだ。一緒に帰ろうよ。って、あれ?どうしたの?二人とも、かたまっちゃってるよー??」
 突然、背後から登場したウィリアム=ジョーンズに、ソフィーとマリーはひっと奇声を上げて体を硬直させ、状況についていけないウィリアムだけが頭上に疑問符を浮かべていた。


(ハウルの動く城,2005/02/25)(2006/01/01改)
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