キョーコは蓮を一瞥してから、すすすと何事もなかったかのように視線を別の方向へと泳がせた。
 あらあらあら。何処からか鳩の鳴く声がする。頭が痛い。これは俗に言う二日酔いというものかしら。というか、これは気のせいかしら、体中が軋んで痛いわ。
 体中から脂汗を吹き出しながら、キョーコは完璧に固まってしまったらしい。そんなキョーコの隣にいる蓮は、いよいよキョーコの様子が心配になってきた。雲行きが怪しい。
「大丈夫? 最上さ――」
「何も!」
 キョーコがあまりにも大きな声を張り上げるものだから、蓮は驚き、目を瞠った。
「何も、何も、言わないでください」
 お願いします。頼みます。後生です、と言って泣くキョーコは、今にも蓮の前に土下座でもしそうな勢いだ。が、蓮は決してキョーコに土下座してもらいたいわけではなく。
「あのさ」
「黙っててください!」
「無理」
「その口を縫って差し上げましょうか!?」
 あたしお裁縫得意なんですよ!とキョーコは肩をぐるぐると回してみせる。
「で、最上さんは、昨日のこと、ちゃんと覚えてるのかな?」
 彼女が“昨日のこと”を覚えているか覚えていないかで、この状況の意味合いは随分と変わってくるのだ。場合によっては、蓮は昨日から今に至るまでの経緯を彼女にきちんと教えてあげなければならない。
「思い出させないでください!」
 うわんとシーツに泣きつくキョーコの背を撫でながら、蓮はこそりと安堵の息をこぼした。一応、記憶は残っているらしい彼女に、蓮は大いに安心した。そうとわかれば、彼女が落ち着くまで、ゆっくりと待てばよい。彼女が泣きたいのなら、思う存分泣かしてやればいい。
 時間はたっぷりとあるのだ。
「どうでしょう、敦賀さん。提案です。この際、きっぱり忘れましょう」
「いや、無理」
「何故!」
「そりゃあ――」
「ああ、けっこうです。何も言わないで!」
「何でさ。俺も最上さんのこと好――」
「黙れ!」
 蓮を一喝して黙らせたキョーコは、涙ながらに蓮に訴えた。
「敦賀さん、あのねえ、据え膳食わぬは男の恥なんて言いますけどね、でもね、こんなろくでもない据え膳なんか食べるものじゃないんですよ、敦賀さん。ねえ、敦賀さん。あなた、きっとお腹痛くなりますよ。今から一時間もすればお腹ピーピーですよ!」
「――いえ、十分、美味しくいただけました」
 掌を合わせて、ご馳走様でした、と深々と頭を下げる蓮を、キョーコは絶望的な気持ちで見やる。
 泣いて、縋って、大好きなんです、なんて。そんなことを口走ってしまった昨夜の自分を絞め殺してやりたかった。


2007年5月某日