その日、SOS団長命令は朝礼後すぐに下された。曰く、本日のSOS団の活動は中止。放課後、終礼を終え次第、校門前に集合せよとのことだった、らしい。
「おい、あいつは確か今週は掃除当番だったはずだ」
氷枕のつめたさの心地よさに思考があわや飛びかけていたキョンは、古泉一樹の聞き捨てらならぬ話にかっと目を開いた。と、視界に古泉の手がこちらにむかって伸びてくるのを認めて、その手を脊髄反射のような動きで叩き落とす。病人とは思えぬ機敏さだ。
痛い、と古泉が呻く。知るか、とキョンは目を険しくさせた。何せ古泉一樹といったら神人とやらと戦って世界を守っちゃうようなすんごい男なのだ。その身体の丈夫さといったら折り紙つき(なはず)である。酷い、と古泉が言う。知るか。知るかってんだ。そんなことよりも――。
「サボったのか」
「心配だったのでしょう」
あなたが、と言いながら古泉はふたたびキョンの額に手を伸ばした。転んでもたたでは起きない男だ。今度はキョンによって振り払われるよりも前に、学習した古泉のほうが器用にキョンの抵抗の手を絡めとってしまったので、キョンの額は古泉の手のなかに落ちてしまった。
キョンは額に覚えた感触にうひゃあと妙な声をあげる。気色悪ぃ! キョンは背筋を戦慄かせた。額の古泉の手も気色悪いが、自分の声のほうはそれに輪をかけて気色悪い。何が、うひゃあ、だ。野郎(古泉)に触られて、何が嬉しい。野郎(キョン)の奇声を聞いて、何が嬉しい。
(古泉、おまえはどうしてそこで笑う……。)
「そうやっておまえたちは掃除をサボったハルヒの後ろをついて、俺のところにのこのこ来たのか」
「友人が風邪をひいたと知れば、誰だって心配します」
もちろん僕だって。古泉はそう言って、キョンの額から手を退けた。
「まだ、熱いですねえ」
「これでもだいぶ下がったんだよ。あのな、心配してくれたっていう気持ちはありがたくもないが、病人は寝かせておいてなんぼだ。ありがた迷惑って日本語、知ってるか?」
いかん。こういう言い方はよくない、とキョンは言った傍から反省していた。どうも、熱のせいで言葉を選ぶ能力が著しく低下しているらしい。もともと古泉に対してはキツイ口調になる傾向があるキョンだ。それに今日は拍車がかかっている。熱に甘えていいところと、悪いところがある。熱が出たら学校を休んでもゆるされるが、熱が出たからといって人を傷つけていいわけがない。いかなる場合においても、人様の厚意を踏みにじるような言動はいただけない。
「悪い」
そっと古泉の顔をうかがえば、彼は特に何かを気にしたようすもなく、いつもの調子の笑みをうかべていた。それに、キョンは安堵する。
「とんでもない。わかってます。もちろん涼宮さんも。だから彼女はあなたの顔を見て早々に朝比奈みくる、長門有希を連れて階下に下りていった。あなたの代わりに、妹さんとシャミセンのお守りをかってくれたわけです」
「おまえがまだここで俺の安眠を邪魔しているな」
「僕は僭越ながらも涼宮さんより直々にあなたの看病をするようにと申し付かったもので」
「どうせなら俺は朝比奈さんがよかった」
いや、長門のほうがいいかもしれん。あいつなら、俺の安眠を妨害することはないだろう。朝比奈さんだとちょこちょこ動き回ってくれてしまって、逆に気を遣いかねん。――キョンは真面目に思考した。
「朝比奈みくるや長門有希に着替えさせてもらったりするおつもりですか?」
「おまえにだって着替えさせてもらったりするおつもりはねえよ。だいたい着替えくらいひとりでできる。一応、母親も家にいる。おまえも会っただろう玄関で。事足りてるんだよ、古泉。おまえはいなくていい」
だから、おまえ、帰れ。キョンは咳をひとつ、そのまま布団のなかに潜り込んだ。さあ、帰れ。布団のなかから念じる。念じる。さらに念じる。でもベッドサイドの気配は一向に部屋から出て行かない。
何故自分に超能力が備わっていなかったのだろうか、とキョンは平凡をこよなく愛するキョンの分際で自分の平凡さを呪った。熱のせいだ。きっと、そうだ。
「怒ってますか?」
古泉が言った。
「わかるか」
キョンは憤然とした声で答えた。
「ええ、いつになく、怒ってますよね」
「なんでおまえらはあいつを野放しにする」
「……」
古泉の沈黙に耐えかたキョンは、気づいたら布団のなかから飛び出していた。
「たかが掃除当番! されど掃除当番! わかるぜ、あいつは俺を心配してくれてるんだろうよ。あいつは一等団員思いだからな。いつもはこれでもかと虐げるくせに、あいつときたらここぞというときに困っちまうくらいに過保護になるっ」
ひと思いに捲くし立てたところで、咳が止まらなくなった。慌てた古泉が背中を擦ってくる。触るんじゃねえ、とは言える状態じゃなかった。差し出された水を飲んで、呼吸を落ち着けた。古泉はまだキョンの背中を擦ったまま。嗚呼、とキョンは嘆息した。
「あまり興奮しないでください。病人なんだから」
そうだ、興奮しすぎだ。落ち着け。キョンは自分に言い聞かせながら、穴にでも埋まりたい気持ちになった。熱くなるのは性分じゃない。だのに、ときどきどうしても抑えきれない何かが、キョンのなかで渦巻く。キョンを熱くさせるものは十中八九がSOS団絡みのことだ。困ったものだ。
「くそったれが……」
呻くキョンに、古泉が困ったような顔をする。
「怒れよ、古泉。あいつに注意ぐらいしてやれ。お掃除はさぼっちゃあいけません、てな」
「僕が、神に?」
「そういうのが俺は気に食わん」
「……」
古泉はより一層困ったような顔になった。
「神だとか、機関だとか、監視だとか。もう聞き飽きたんだよ」
(おまえも、朝比奈さんも、長門も。もうどれくらい一緒にやっているのかと……!)
「そんなんじゃあ、あいつはずっとひとりだ」
言いながら、涙が溢れそうになって、キョンは大慌てで布団のなかに戻った。
ややあって、古泉が、躊躇いがちにキョンを呼んだ。
「うるさい。俺は、熱が出ている。高熱だ。超高熱だ。だから頭が正常に働いてない。異常異常異常。脳内にバグがたいりょう発生している。バグは睡眠が除去してくる。俺はこれから寝る。寝て起きたら、何も覚えてない。だから」
古泉はキョンの布団に額を押し付けた。苦笑がこぼれ落ちる。
「だから――、おまえも、ぜんぶ忘れろ」
「明日、涼宮さんたちと一緒に、他の掃除当番だった人たちに謝りにいってきますよ」
誓います、と古泉はしっかりとした口調で言った。
「それから、あなたの泣き顔は僕の胸のなかに秘めておいてさしあげます」
飛んできた蹴りに古泉の身体は見事に吹っ飛び、古泉がイテテと腰をさすりながらベッドの上のキョンを見上げれば、彼は真っ赤な顔をしていた。
「とっとと帰れ! じゃねえと風邪がうつっちまうぞ!」
あ、とキョンが口を押さえる。
ふふうと古泉が笑う。
「本当にあなたって人はやさしいんだからなあ」
熱で苦しいだろうに。いつだって人の心配ばかり。
今度こそ古泉はキョンの部屋をたたき出された。どうしよう、口元の緩みがとまらない。
「古泉くん?」
ふと階段の下から気遣わしげな表情をして身を乗り出している4人の女の子と1匹の雄の姿を認めた古泉は、口元に人差し指をあて、その4人と1匹に向かって微笑んでやった。
キョンはひとり、ベッドの上で、お見舞い、といってハルヒたちが持って寄越したノド飴の袋を見つめていた。よーくノドに利くのだそうだ(ハルヒ曰く)。ハルヒと朝比奈さんが一生懸命選んでくれたんだそうだ(古泉曰く)。
一粒、口のなかに放り込む。すっとしたはっか独特の爽快感がノドをつく。鼻を刺激する。涙腺を緩める。身体が弱っていると、心まで弱っちくなっていけないな、と思う。
もし次にSOS団の誰かが風邪をひいたら、キョンは学校を早退してお見舞いにいってやろうと思った。ハルヒには 「本当はどんなときだって学校はサボっちゃいけねえけどな。でも、なかまの非常事態だもんな」 とでも言ってやればよいだろう。
あの子をかみさまだなんて呼ばないで 20071106
(title by でんでん虫)