抱き止める。抱き締める。抱き上げる。高く高く。空にむかって。
おまえには高いところがお似合いだ。そうだろう? 涼宮ハルヒ。
高く、高く。高く抱き上げた感覚に俺の二の腕は違和感を訴える。なんだよおまえ、また軽くなったんじゃないか。バイタリティに溢れるはずの小柄な身体が今日ばかりはしょんぼりして見える。
ハルヒよ、俺は棒っきれみたいな細っこい女の子よりも、肉付きがいい女の子のようが好きなんだ。たとえば、そう、朝比奈みくるさんのような、ああいう……って殴るな。女の子の手は人を殴るためのものじゃないんだぞ、ハルヒ。いつになってもお母さんのおっぱいが恋しくてあまったれなどうしようもない男をめいっぱいにあまやかするためのもんなんだ。
さあ、ハルヒ。俺をあまやかしたまえよ。最近ごつごつと骨ばった男どもとしか付き合いのない俺にせめてもの癒しを。からっからに乾いた心に潤いを。おまえに癒しや潤いを求める俺も大概ヤバイかね。

しかし、細いな。
ちゃんと飯食ってるか。ちゃんと夜寝てるか。ちゃんと毎日が楽しいか。
彼氏、出来たか。手ぇ繋いだのか。キスは。もしかして、その先のことまで?
俺は不純異性交遊に関しては厳しいぞ。できれば婚前の性交はやめてくれな。できちゃった婚なんてもっての他。古臭いなんて言ってくれるな。人間、それなりのケジメが大事って話。ケジメさえ守ってくれれば、俺はおまえの幸せをいつだって祝福するぜ。おまえの幸せは、どうやら世界の平穏に直結するらしいからな。
おまえが男の手を引いて俺のところにやって来るであろういつの日か。俺はその日のために毎日ジムに通うことにした。サンドバッグを殴って、来るべき日のための予行練習に心血を注ぐのだ。おかげ様でビール腹とは無縁のまま。頭の生え際は……まあこれは遺伝なのでいかんともし難く。
だからおまえ、不用意に俺の髪の毛を引っ張るのは勘弁してくれな。おまえの豪力に耐えられるほど、俺の頭髪の毛根は丈夫でないらしいんだ。

話が逸れた。悪かった。だから殴るな。
とにかくだ、うん。俺は、俺は――。
「おまえが男を連れてきた日には、俺は泣いちまうかもしれない」
「何よそれ」
散々に俺の狭い1Kで暴れまわったハルヒは、ようやっと落ち着いたのか、今は王様のごとくちゃぶ台の上に胡坐かいてる。たった二枚しかない座布団を二枚とも占領して。俺はフローリングに正座。こういう理不尽な状況に今更俺は疑問は持たない。
しかし、ハルヒ、年頃の女の子が男の前で胡坐なんてかいちゃいけないと、何度言ったら……。
「うっさい! それよりもあたしの質問に答えなさい! 何よって訊いてんのよ、このあたしが!」
「わかったわかった」
わかったからハルヒ様、ちょっと黙ってくれやしまいか。せめて声のトーンをさげて。部屋の壁が薄いんだよ。
「未だ見ぬいつかの話」
「うん」
「俺はおまえが幸せになってくれることを心の底から望んでいる」
いっしょに幸せになろうな、とは言わない俺は、残酷か。古泉にはよく怒られるな。あなたは残酷だ、ってな。
それでもなあ、古泉。おまえが俺をいくら残酷だと罵ろうとも、俺はハルヒがときどき俺の部屋に飛び込んできてくれることがこんなにも嬉しい。朝比奈さんから送り主の住所も消印も切手もない手紙が定期的に届くことが嬉しい。長門とPCのメッセンジャーで偶に会話するのが嬉しい。
この狭い1Kを通じて、俺はあの文芸部の部室を思い出す。オブジェのような長門を時折見つめて、メイドみくるのお茶を飲んで、古泉とテーブルゲームをして、そしてハルヒが颯爽と爆弾を落としてくる。懐かしいなあ、おい。
涼宮ハルヒは口をぎゅっと結んで俺を睨んでいる。
怒ったのか。
俺が怒らせたか。すまんな、ハルヒ。あんまりにも久しぶりにおまえの顔を見たもんだから、俺は柄にもなく舞い上がっているらしい。それにおまえが持ってよこした泡盛もいけなかったな。頭がふわふわとする。
「何よ、興ざめよ、キョン」
そろそろとちゃぶだいの上から伸ばされた白い指が、俺の火照った頬を抓る。
「酒に弱い男なんてつまらない」
おい待て。そこの泡盛の瓶の中身の3割を消費したのは、いったい誰だと思っている。俺だ。確かに俺は酒に強くはないが、これでも大健闘だ。褒めてつかわしてくれ。ちなみに泡盛の残り7割は手付かず。ハルヒは一口二口しか飲んでない。
「ハルヒ」
「何よ、酔っ払い」
おまえが飲ませたんだろうに。
「また遊びに来てくれな」
おまえが今日何を決意してこの部屋にやって来たのか、わからないほど俺は鈍くはないんだ。
決意しても尚、素直になれないおまえは、暴れるだけで。見ろよ、この無残な部屋の有様を。昨日掃除したばっかりだってのにな。
嗚呼。こんなふうに暴れることでしか自分を表現できないおまえが、それでも俺は愛しい。だが、どんなに愛しくとも、俺はおまえの気持ちに応えられない。未来はわからん。でも少なくとも現段階では無理だ。アルコールの力をもってしてもおまえにいたずらしようとは俺は思えない。いつかのように、キスならできるかもしれない。猫と猫が鼻を寄せ合うような、そんなキスだ。

ハルヒ。俺はお前が好きだよ。愛しいよ。
ほんとうに。なんて。なんてかわいいの。

きっと、おまえにこどもできたら、べっぴんさんだろう。困ってしまうことに、一等べっぴんさんに決まっているのだ。むしゃむしゃと喰ってしまいたいくらいにかわいいだろう。
俺は女の子ほうを希望しているが、この際、男でもいい。小さな怪獣に俺はきっとめろめろだ。
困った、泣けてきた。
細い、女の子の指が俺の髪を梳く。やさしく。やれば出来るじゃないか、ハルヒ。あ、おい、引っ張るな。毛根が……、俺の毛根くんたちが悲鳴をあげているのが、聞こえんのか。
「こら! 痛いと言ってる!」
ハルヒの身体をちゃぶだいの上から引き摺り落として、悲鳴をあげるハルヒを抱き込んで、俺は腕にありったけの力を込めた。抱き締める。
3時間ほど前にこいつが俺の部屋にやってきたときと同じく、めいっぱい抱き締める。
花の香り。いつの間に香水なんてものをつけるようになっちまったのか。随分と女くさくなっちまって、まあ。
そうして抱き上げる。高く高く。空にむかって。
低い天井にこいつの頭が着いちまいそうだ。今度はあの懐かしい母校の近くの桜並木の下で高い高いをしてやるか。そっちのほうがきっと雰囲気が出る。どんな雰囲気かって、まあ、なんだ。そこは深く追求するな。なんとなく、だ。大した意味はない。
ただ俺は高いところにいるハルヒが好きで。
「ハルヒ」
「痛い」
「ハルヒ」
「はなしなさい、キョン」
はなせといいながら、暴れないおまえ。
「また、ここに来いよ」
俺のところに帰ってこい。
「あたしに命令しないでよ」
「命令じゃない」
これは懇願だ。俺の、我侭な。
嗚呼、きっとまた古泉に怒られるな。いつまで涼宮ハルヒをかき回すのか、と。
それでも、俺は。
「……いいわよ」
ほんのり赤く染まった膨れた頬がすぐそこにある。
「来てあげても、いいわよ。仕方ないわね」
是非そうしてくれ。
「ふん」
ハルヒはそっぽを向いて鼻を鳴らした。
さて。そうと決まればおまえはそろそろ家に帰れ。女の子が一人暮らしの男の家に外泊なんて俺は絶対に許しません。駅までちゃんと送るからさ。
歩くのが面倒くさいと駄々をこねるのなら、今日は特別に駅までおぶさっていってあげてもいい。
今日だけだぞ、今日だけ。


星の海から駆けてゆく 20071014