――――時はほんの数日ほど遡る。
インガリー国の城内の一室で頭を抱えている魔法使いがいた。
「ハウル……」
もう勘弁してくれとでも言いたげに王室付き魔法使いサリマンが同僚にして義理の兄の名を呼ぶと、ハウルは手元の大量の紙の山から顔をあげることさえせずに、
「なんだい?」
と事務的な声でこたえた。さも自分は大切なお仕事から手が放せないのだ、と主張しているかのようだ。
もういい加減にしてくれ。サリマンは無言でハウルに訴えかける。頼むから。頼むから“真面目”に仕事をして欲しい。
やがて、やっと面を上げたハウルは憎らしいくらいの笑顔をサリマンに向けた。 「なにがだい。言いたいことはズバリと言うべきだよ。黙ってるなんてずるいぬるぬるうなぎがすることだ」
「それは、ソフィーの受け売りかい、元祖ぬるぬるうなぎ殿」
「やあー義弟よ。ぼくのかわいい義妹は元気? 義兄のぼくとしては、一刻も早く姪っ子の顔を拝んでみたいのだけれど、その予定は?」
「ハウル!!」
怒っているのか照れているのか(おそらく前者だ)、頭のてっぺんから喉元まで完熟トマトもびっくりなくらいに真っ赤に染め上げて怒鳴り散らすサリマンに、しぶしぶハウルも紙から手を放した。ただし、一枚だけ残して。
「……サリマン、ぼくは慈善的な王室付き魔法使いになるよ」
神妙な顔つきでいったい何を言い出すかと思いきや。
サリマンはひとつ息をつくとハウルに言った。 「それは『真面目に仕事をするよ』と解釈してもいいのかな」
「好きにおしよ」
では遠慮なく、と机の横に鎮座していた本日中に消化しなければならない資料の山をハウルの前に移動させるべく手を動かそうとしたそのとき、ストップとハウルから静止のお声がかかった。
またか…。サリマンは嗚呼、と軽く宙を仰ぐ。またこの同僚は何だかんだと難癖をつけてこの仕事のやまから逃亡しようというのか。しかし、今日ばかりは逃してなるものか。 「ハウル、きみにこの切羽詰った状況がわからないわけではないだろう?」 と山のような仕事に埋もれた部屋をぐるりと指差す。
「わかるとも。わかっているとも。だからぼくは慈善的な王室付き魔法使いになるとさっきから言っているじゃぁないか」
「だったらまずこの資料を……」
「あー!待って待って!」 まったく、あんたって人はどうしてそうせっかちさんなのかね。とハウルは独りごちた。
せっかちも何も…、きみが日々真面目に仕事をしないからじゃないか。サリマンが内心そう毒づくのも無理がないというものだが、当のハウルはお構いなしだ。だんまりしたサリマンを見るやいなや、これ幸いとばかりに身を乗り出してサリマンに先ほどの一枚の紙を突き出す。
「ねえ、これをご覧よ」
「なんだい?」
いいから。いいから。そう言ってサリマンをせかすハウルに、せっかちさんはどっちだ、と思いつつもサリマンはハウルに言われるとおりに紙に書かれている文字を読んだ。
「……………ハウル……」 まさか。
「ねえいい話だろう?慈善活動にはもってこいだとは思わないかい?」
「………ハ・ウ・ル……!!」 まさか………。 「ココはソフィーの……」
「よく知っているね。そのとおりだよ」
まさか、まさか。 「きみは、この仕事を請けるつもりかい!?」
「ああ、そうさ。あんたのご希望通り、真面目に仕事をしてくるよ」 それで問題ないだろう、サリマン?
「ないでかっ!!!」
ハウルの紙曰く、―――急募 魔法学の臨時講師を一名募集中 ○○大学学長 ――― 云々。
「きみは、王室付き魔法使いという立場をわかっているのか!?」 激しい痛みをうったえる頭をおさえながらサリマンは言った。
「なにを今更」 ふん、とハウルは偉そうにふんぞりかえる。 「ぼくが何年この職に就いてると思っているんだい」
「だったら……!!」 嗚呼、とサリマンは豪華な天井を見上げた。
「だったら?」 なんだい、とハウルは言った。
「いいかい、ハウル。こうい仕事はだね、わたしたちのような者ではなく、もっと下級の魔法使いにやらせるものだ。我々がすべきことは、彼らにこういう仕事を斡旋してやることであってだね……」
「ああ、サリマンっ、あんたって人は! 上にたつ者がそうやって厄介ごとを下っ端に無理やりこき使うから、世の中はますます物騒になるんだよ。下っ端の怨み辛みは怖いんだよ」
「何をわけのわからないことを……」
「いいんだ、いんだよ。サリマン。だったら、ぼくにだって考えがある」
いよいよ目のすわりだしたハウルを目の当たりにして、サリマンはたらりと自身の背中に汗が伝うのを感じた。
「レティーに、『きみの旦那は、か弱き下っ端の魔法使いをこき使いまくる悪魔だ!』って言ってやるから!」
「馬鹿なことを言うのは、ほどほどにしておくれ!ハウル!」
「知るもんか!」
知るもんかって……。きみはいったい何歳だ……。駄目だ、もはや理屈が通じない。サリマンはぐったりと肩を落として、たまりにたまった書類の山のなかに顔をつっこんだ。
(ハウルの動く城,2005/08/10)
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