恋心というやつ、いくら罵りわめいたところで、おいそれと胸のとりでを出ていくものでありますまい。
ウィリアム=シェークスピア(英,1564-1616)

 図書館という空間は魔性の類だとマリーウェザー=ゴールドはつくづく思う。勉強しよう! と意気込む勤勉な学生の決意をいとも容易くへし折って、眠りの世界に誘おうとするのだから。
 眠い。とにかく眠い。
 人間、三大欲求には勝てやしない。マリーは眠気と戦うことをそうそうに諦めてレポート用紙と資料の山を放棄した。欠伸をひとつ噛み殺して、机の向かい側に座る同級生を見やった。真面目な同級生はマリーの不躾な視線に気付いた様子も、眠そうな様子もなく、黙々とレポート用紙に几帳面な文字を綴っていく。彼女が書く文字は、そのまま彼女の性格を現しているかのようだ。真面目で、努力家で。そして気が強い。
 インガリー国内でも有数のこのカレッジに彼女が編入してきたのは、学期の途中の12月のことだった。普通受験での入学も大変だと言うのに、特別枠での途中編入。生半可の頭のよさでは到底実現できない話だ。前例のほとんどないこの編入者に、当時カレッジ内は大いに沸き立ち、噂の編入生は注目の的となった。何を隠そう、マリーも編入生に興味津々のうちの一人であったのだが。
 いったい、どれだけ優秀な人物なのか。歳の頃合は? 性別は?
 色んな憶測が飛び交う中、颯爽と姿を現したのが、このマリーの前で黙々とレポートを書いている少女。――ソフィー=ハッターだった。
 少しくすんだあかがね色の髪。同色の瞳は一点の曇りもなく、その上には意志の強そうな眉がきりりと形作られている。絶世の美女と言うわけではない。でも、彼女はたしかにきれいな人だった。
 静かな図書館のなかに、さらさらとペン先と紙が擦れる音だけが響いている。その心地よい音に耳をすませながら、マリーは同級生をじっと見つめ続けていた。大きな窓から差し込むやわらかな日差しにあかがね色の髪の毛がきらりと光る様は、いつ、どれだけ見ても厭きないのだから、不思議だ。長い睫毛が頬に陰を落とす様子も、彼女の知的さを一層際立てさせている気がする。
「……あんたって、きれいよね」
 は? とソフィーが顔をあげる。
「あんたって本当にきれいよね」
「なに、馬鹿なこと言ってるの」
「馬鹿かしら?」
 訝しげに眉をひそめるソフィーに、マリーはおどけた様に首を傾げて見せた。
「そんなお世辞言ったって、レポートは写させてあげないわよ」
「あんたはもう少し、ひとの言葉を素直にきけないわけ?」
「素直もなにも。事実無根のこと言われたって、素直に聞けるわけがないでしょう」
 本当に、この友人は、つくづく自分の魅力がわかっていないというか、なんというか。鈍感なのよね。殊更自分のこととなると、余計に。
 マリーはそっとため息をつく。そして丁度手にしていたペンの先をずいっとソフィーの鼻先につきつけた。
「いいかしら、ソフィー?」
「なによ」 ペンを向けられたことが気に入らなかったようで、ソフィーは少し不快そうに眉をひそめた。
「あんたは、もう少し、自分のことを知るべきだわ」
「マリーったら、突然なに?」
「あんたは、世間一般から見て、けっこう可愛いの。美人なの。おわかり?」
「……ウィリアムの受け売りね」
「違うわよ。あんたって、ほんとうに美人さんなんだから。わたしは事実を言ったまで」
 ソフィーはもう止めてくれと言わんばかりにこめかみ辺りに手を添えた。
「あんたまで止してちょうだい。今朝もウィリアムから散々追い掛け回されて、気が滅入ってるんだから」
「愛されてるわねぇ」
 感慨深げに呟くマリーを、ソフィーはぎろりと睨みつける。
 おお、怖い。マリーはひょいと首をすくめた。
「まあ、あんたが疲れちゃうのもわかるけど……」 脳裏に思い浮かべるのは、マリーの同級生にして幼馴染のウィリアム=ジョーンズ。 「悪い奴ではないのよ…。一応、幼馴染として弁解しておくわ」
「知ってる」
 しかし、ものには限度と言うものがある。とソフィーは思う。
 ソフィーがこのカレッジに編入してきて初めて得た友人がマリーだであり、ウィリアムは彼女の友人ということで紹介された。視初対面のその日、その時、その瞬間が、運命だったんだ!! とウィリアムは主張してならない。つまり彼がソフィーに一目ぼれしたというわけだ。あの日、あの時、あの瞬間から一ヶ月、ウィリアムはソフィーに執拗に交際を申し込み続けていた。毎日。毎日。ウィリアムは厭きるとか、諦めるといった類の言葉を、己の辞書に持ち合わせていないらしい。
 朝会えば、「ソフィー、ぼくと付き合ってくれ!」 授業が終われば、「ソフィー、大好きだ! ぼくと付き合ってくれ!」 休み時間には、「ソフィー、今日も可愛いね! ぼくと(以下略)」 昼食時には「ソフィー、今日は一層きれいだね! ぼく(以下略)」――などなどなどなど。
 しかも、満面の笑みオプションに、爽やかな声を高らかにあげて。人前だろうがなんだろうが、構わずだ。迷惑ったらない。
 そしてソフィーはそれらから全力で逃げ続けていた(最初の頃こそ、丁寧にひとつひとつ断わりをいれていたソフィーであったが、あまりにもウィリアムがしつこいので、相手にすることを放棄した)。
「“ソフィーに捧ぐ☆愛の賛歌”には、びっくりしたけどね」
「マリーったら、中庭のど真ん中で、お腹かかえて笑い出すんだもの」
「いや、もうあれは傑作だって」
 傍から、彼らのやり取りを見てる側は、とてつもなく楽しい。面白い。娯楽代わりだ。下手な漫才などより、数倍も面白い。もはや、カレッジの名物コンビと化していることを、ソフィーとウィリアムだけが知らないでいる。
「ウィリアムはいい奴よ? 自信家で、思い込みが激しいところがあるけど」
「だからって、あたしには付き合う気はないし、そもそもあたしはどうしたって付き合えません」
「あら、どうして?」
 ソフィーはきょとんと目を丸くした。
「あんたにはまだ言ってなかったかしら?」
「なにを」
「あたし、これでも立派な既婚者よ」
「あら、それのなにが問題……」
 があるの? という言葉は、結局ソフィーの耳に届くことなく、マリーの喉下に突っかかってしまった。
「既婚者?」
「そう、既婚者」
 口をあんぐりとあけて呼吸さえ忘れてしまったかのような友人を見て、ソフィーは至極申し訳なさそうに 「言い忘れててごめんなさい」 と付け加えた。
「な……な……」
 既婚?キコンシャ?
 若奥様?ワカオクサマ?
「なんですって――――――!!??」


ソフィーの秘密
(ハウルの動く城,2005/01/10)(2006/01/01改)