ぴゅーと吹く恋嵐
ただの恋わずらいと思いきや、事態は思ったより深刻だった。と、玄徳はおっかしそうに破顔させながらその深刻な事態とやらの話をしてくれた。
さすが、若いくせに堅物だと専らの評判の子龍――敬愛する玄徳への忠心と花への恋心との間で板ばさみになっていたのだという。そしてついに玄徳に暇まで要求をしたのだとか。つまり 「ボクはフタゴコロを抱いたサイテーな部下です。だからもうゲントクサマにお仕えするシカクなんてないんです……!」 ということらしい。
「……それはまあ子龍らしいというか」
頭が痛い。雲長はこめかみあたりを指で揉み解しながら、嘆息をひとつこぼした。まったく、自分も大概柔軟性に欠ける人間だとは思うが、子龍はそのさらに上を行く。
いままで浮いた噂ひとつなかった子龍に最近ひょっこり訪れた春の気配を周囲のおとなたちが面白がらないわけがなく。とはいえ子龍はおとなたちの野次馬根性を生来の堅物さでもって頓珍漢な受け答えをしては見事に撃退していたので、雲長もたいした心配はしていなかった。――いなかったのだが、玄徳の話を聞くだにたしかに事態は深刻である。内容が内容なだけに玄徳が大笑いするのもわかるが、今この状況下で子龍に抜けられるのは玄徳軍にとっては痛手だ。
嗚呼、と雲長は頭を抱える。
「大丈夫だ、雲長。子龍にはきちんと話をしてやったから。愛情と忠心は別物だとな」
大真面目に考え込む雲長を落ち着かせるように、玄徳はゆったりとした口調で言った。
「あとはアレが自分のなかでどう折り合いをつけるか、だが」
「俺が言うのもなんですが、子龍の堅物さはもはや天然の域ですよ」
はは、と玄徳は笑った。
「笑っている場合ですか、玄兄」
子龍に負けじ劣らじ、雲長も玄徳を敬愛してやまないけれど、玄徳ののんびり具合をはがゆく思わずにはいられないときがある。
玄徳軍のなかでも絶対的な安定感を誇っていた子龍が、ここにきてとんでもない不安要素を抱えだしたのだから、雲長は玄徳のように笑ってはいられない。誤算も甚だしい。
そもそも雲長には玄徳がそうするように仲間の私生活にまで心を砕いてやれるほどの余裕も甲斐性もない。自分の懐の狭さは雲長自身が一番よくわかっている。だからこそ、雲長はせめて玄徳が目指すものを妨げるような不安要素や敵対要素を徹底的に排除しようと、それだけを考えて今日までこの軍のなかで奔走してきたのだ。
故に子龍の件は、雲長にとって忌々しき事態である。笑い事ではない。正真正銘の深刻な事態だ。
「俺はよい傾向だと思うがなあ。守りたいと思うものがあればこそ、男は強くなる」
「人によりけりです。子龍がそうとは限らない。だいたい今の子龍の体たらくを見てたら、玄兄のように悠長に構えてられませんよ」
にべもなく言い放った雲長に、さすがの玄徳も苦笑をこぼした。
「おまえはほんっとうに身も蓋もない」
「生まれつきの性格なもので」
芙蓉姫曰く“不幸臭がぷんぷんする陰気臭い顔”をさらに陰気臭くして、雲長は俯いた。
「まったくなあ……子龍も子龍だが、おまえもなあ」
「だから生まれつきなんです」
「わざと突き放すようなことを言って、自ら嫌な役を買ってでるのが生まれつきのおまえの習性なのか?」
「そんなつもりは」
「ないか? そうか? おまえだって子龍を心配してるだろうに? おまえ、孔明に子龍をからかい過ぎるなと釘をさしたそうじゃないか」
押し黙った雲長に、玄徳はにやりと笑った。
「実はだな、子龍のことは別の意味で心配なんだ」
「は?」
「ほら、前に翼徳がふざけて子龍に春画を見せたときがあっただろう」
「ああ」
もうずいぶんと前のことを思い出して、雲長は頷いた。
あれは花が玄徳軍にやってくるより少し前のことだったか。あのとき、子龍は春画を見ても顔色一つ変えなかったものだから、翼徳も他の武将たちもえらくつまらなそうにしていたのだが。
「違うんだ、雲長」
「え?」
「あれは顔色ひとつ変えなかったわけではなくてだな、驚愕が過ぎて硬直していただけなんだ」
「…………」
事の真相は雲長を絶句させるには充分だった。
「花のほうもそういう方面にはとんと疎そうだからなあ。心配でたまらん。ふたり揃ってあんな感じでこの先大丈夫なのか?」
ここで 「イエイエ玄兄、イマドキの現役のジョシコーコーセーを甘く見てはいけませんよ! けっこう強かなものなんですよ!」 と部下らしく主を励ますその言葉が雲長は言えなかった。雲長の知る“イマドキなジョシコーコーセー”なる生き物と花がどうしても等号で結ばれないのだから、いい加減なことは言えない。
だいたい子龍は任務やら情報収集やらで“その手の店”に出入りすることも少なくない身で、よくも春画ごときで固まってしまえるくらい純情でいられたものだ。意味不明にも程がある。理解しがたい。
「玄兄、あのふたりのことはもういいんじゃないですか。似たもの同士で仲良くしてもらえれば」
陰気臭い顔で散々っぱら悩んでおいて無理とわかれば投げやりになってしまうのが雲長の悪い癖だが、まあ雲長の言う通りふたり仲良くしてもらえればよいだけの話なので玄徳も頷いてみせたのであった。
ただただあの年若いふたりの幸せを願うのみである。
20100520