「私、黎深のことが好きなのかもしれません」
 世界が眩しくてくらくらする、と言って悠舜は顔を覆った。


花咲ける。



「青春だな、悠舜」
(せーしゅん……)
 悠舜は呆けた顔で鳳珠の言葉をゆっくりと咀嚼し、ややあってひくりと頬を引きつらせた。
「真っ青な春だ。青い」
 嗚呼、そんな畳み掛けるように言わないで欲しい。悠舜は深く息をついた。
 胸がどっどっどと高鳴るのはきっと、鳳珠の無駄に美しすぎる顔と至近距離で向かいあって、加えて破壊力抜群と専らの評判の鳳珠の美声を耳にしてしまったからだ。――などと、もうかれこれ20年ほど鳳珠の美貌美声に平気で付き合ってきておいて、そんな言い訳染みたことを悠舜は考えた。そもそも誰に対する言い訳なんだ、悠舜は自分で自分の思考に困惑した。
 実際どきどきはしている。心臓はたしかに忙しなく脈打っている。
 鳳珠の美しさにもびっくりしている。彼はこんなにも綺麗な人だっただろうか。彼の声はこんなにも艶やかだっただろうか。今になって、鳳珠の美しさの威力の凄まじさを実感するだなんて。
「鳳珠……」
「ん?」
 視線の定まらない悠舜に、美貌の友人もとい鳳珠が気遣わしげに首を傾げてみせた。
「あなた、本当に美しい人ですね」
 絶句して眉をひそめる鳳珠は、それでもやっぱり美しかった。
「……遅すぎる青春で頭に虫でも湧いたのか」
「そうなのかもしれません」
 たしかに鳳珠に言われると、そうなのかも、と思えてしまう。なるほど、世の中の人間が鳳珠を前にすると自我がぶっ飛んで人形のようになるのもわかる。鳳珠の美貌はそういった魔性の類だ。悠舜は今更ながら納得した。
「いやはや黄奇人の美貌とはかくもおそろしいものなんですね」
「おい」
「頭がくらくらします」
「大丈夫……じゃなさそうだな。さすがのおまえも許容量を超えたんだろう」
「そうですね、あなたの美しい顔を見るのがこんなに辛いなんて」
 そういうことじゃない、と鼻白む鳳珠には悪いが、悠舜は謝る気にもなれない。美しすぎる顔によい思い出のない鳳珠が自らの顔について言及されるのをひどく嫌うことを、20年来の友人の悠舜が知らないはずもなかったが、今の悠舜に美しい友人を気遣う余裕はほんの一欠けらもなかった。
 頭がパンクしそうだ。感情が嵐のように身体のなかで渦巻いて、これをどう吐き出したらよいのかがさっぱりわからない。目の前がチカチカとする。目を閉じても、瞼の裏が極彩色の花火で眩しい。あまりの感情の忙しなさに、吐き気がしてきた。
 顔を掌で覆って俯く悠舜の肩に、鳳珠が手を置く。
 やさしい手だ。やさしい友人だ。鳳珠は昔からやさしい。でも鳳珠のやさしさがこんなにも身に沁みたことはなかった。
「わ、私は彼のことが、や、やっぱり、す、好きなんでしょうか」
「あまりおススメはしないがな。いや、正直止めておけと言いたいくらいだ」
「私もそう思います」
「才ある男なのは認めるが、アレは人が羨む才能をドブに捨てておくようなダメ男だぞ」
「まったくあなたの言うとおりだと思います」
「でも好きなんだろう」
 悠舜はこたえられなかった。
 咽喉の奥が震えて、声にならなかったのだ。
「青春だなぁ、悠舜」
 美声は変わらずやっぱり美声であったが、そこには感慨深げな響きがあった。
「私、これでももうすぐ40になるんですが」
 擦れた悠舜の声は拗ねたこどもの口調とまったく変わらぬそれで、悠舜は自分で自分に呆れた。
(なんという体たらく!)
「……あーもうっ!」
 どん、と膝を拳で叩いて、悠舜は自分に喝をいれる。深呼吸を繰りかえして繰りかえして、なんとか心を落ち着けると、鳳珠に頭を下げた。
「……鳳珠、ごめんなさい」
「何故謝る」
「あなたに迷惑をかけているでしょう」
 鳳珠は虚をつかれたように一瞬目を瞠ったが、ややあって微笑んだ。
 もし仮にこの状態の悠舜を、彼が自ら言うように迷惑だと定義するとして、だとしても今まで散々悠舜に迷惑をかけてきた(と十二分に自覚している)鳳珠が何か言えた義理じゃない。鳳珠はそう思う。そもそも迷惑だなんて微塵も思っていない。――そう言って笑う鳳珠は、悠舜には殊のほか美しく見えた。
 その美しい鳳珠の笑顔に見とれながら、青春はどうして青い春と書くのだろう、と悠舜はふと思い至った。
 愛だの恋だの友情だの、そういうものに振り回されている自分は現在進行形で青春なるものに侵されていると思われるのだが、悠舜のふたつの眼が捉える世界はちっとも青くなんかない。たしかに春めいてはいるが。
(目の前にある顔が美しすぎるのかしら)
 そう思って目を瞑って、視覚を閉ざしてみる。
 瞼の裏に描く世界は変わらず極彩色だった。そしてその中心にいるのは紅蓮の炎のように鮮やかで不遜な笑みだ。
「どうしましょう、鳳珠」
「うん」
「あなたより黎深のほうがかっこよく思えてしまうんですよ」
「そりゃあ……」
 恋してるからだろう。
 肩をひょいとすくめる鳳珠に、悠舜は泣きそうな、困りきったような、そんな顔で笑った。
 恋を知った。暗く閉じていた世界が急に光に満ちた。親友の美しさとやさしさに今更気づいた。世界は自分が思っていたよりも、ずっとずっと美しかった。でもやっぱり一番美しいと感じるのは、そう、黎深の存在だ。
 悠舜は恋をした。紅黎深、その人に。

20100915