彗星のカケラ




「何をしにきた」と雲雀恭弥が尋ねるので、「洗いざらい話せ」とここぞとばかりに噛み付こうとしたら、逆にガブリとやられた。――100倍返しで。
ひっくり返ってじたばたと喘ぐ蜘蛛のような、なんとも間の抜けた体勢で沢田綱吉は呻いた。強かに打ちつけた腰もさることながら、トンファーで襲われた胸のあたりが鈍い痛みを訴えていた。肋骨にヒビがいったかもしれない。
(しかし、まあ、なんと、病み上がりの人間になんて容赦のない男!)
トンファーを構えて臨戦態勢の不穏な空気をびしばしと放っている雲雀を、綱吉は睨みつけた。もちろん、視線で射殺さんばかりの勢いで睨み返されたけれど。
「に、逃げるな、卑怯者」
息も絶え絶えに、それでも綱吉ははっきりと言ってのけた。卑怯者、とこの一言がどうしても言いたくて、ここまでやってきたのだから。
「ヒキョーモノ?」
聞き捨てならないね。雲雀は心底不愉快そうに顔を歪めた。
「卑怯者、だろう?」
こんなところに逃げ込みやがって。悪態をつきながら、綱吉はあたりを見回す。
イタリアの中心にありながら、こんな和風な建築を拝む日が来るとは思わなかった。松やら鶴やらが描かれた襖、艶やかな光をはなつ板の間に、懐かしい香りのする畳、そしてよく手入れの施された日本庭園。趣味がいいんだか悪いんだか、綱吉にはわからないけれど、お金がかかっているらしいことぐらいはわかる。
(まったく、自分が知らぬ間に、アジトの地下にこんな空間を勝手に作ったりなんかして)
「ふん。君みたいなぼけっとした子に、よくここがわかったね」
「そりゃもう驚きましたよ、自分の部屋に隠し通路を見つけたときはね。ここに続く道です」
「そう」
「どういうことですか、これは」
ドン・ボンゴレの私室から、雲の守護者の部屋に続く道が作られていたという事実は、いったい何を意味するのか。考えるだけで、空恐ろしい。
(いやいや、まさか自分に限って)
自分に“ソノ手”の趣味はなかったはずだが。
「教えてなんかあげないよ」
雲雀は綱吉に薄く嗤ってみせた。
「ヒバリさん!」
「イヤだね」
「拗ねるな!」
すかさずトンファーが一本ぶっ飛んできた。それを紙一重でかわせば、雲雀は忌々しそうに舌打ちした。こめかみを伝う汗を拭い、綱吉は猛然と雲雀に抗議した。舌打ちしたいのはこっちのほうだ、と思った。
ああ、胸が痛い。呼吸をするのも億劫だ。
「あなたね、人を殺す気ですか!」
「死んじまえばいい」
どくり、と心臓がイヤな音を立てた。とんでくるトンファーよりも強烈に、その声は綱吉を鋭く打った。
呆然と目を見開く綱吉に、死んじまえばいい、と雲雀は追い討ちをかけるように繰り返した。
「君みたいなろくでなし、死んでしまえ。そんで二度と僕の前に現れるんじゃあないよ」
「む、無理です嫌です却下です承知できません」
歯を喰いしばって、綱吉は雲雀の顔をじっと見返した。食いつくように、縋りつくように、負けてしまわないように。雲雀の顔はおっかなかったけれど、綱吉は踏ん張った。逃げてなるものか、と自分に言い聞かせる。雲雀の黒い双眸を真正面から見据える。
ややあって、先に目を逸らした雲雀に、綱吉はいよいよ絶望した。
(なんで、あんたがそこで目を逸らすのさ!)
「ヒバリさん」
「ヒバリさん」
「ヒバリ、さんっ」
「こっちを向いてよ!」
――俺を見て!
蹲って喚き散らす綱吉に、雲雀ははじめこそ厳しい表情を崩そうとはしなかったのだけれど、綱吉があんまりにもこどもっぽく喚くものだから、とうとう根負けしたのか。雲雀は困ったように眉根を寄せ、そうして嘆息をもらした。
「卑怯者はどっちだ」
え? と、綱吉が顔あげるよりもはやく、ぐいと胸倉と掴まれた。身体を持ち上げられる。息が詰まる。胸元がずきずきと痛む。いつの間に間合いを詰められたのかと綱吉が疑問を抱く暇(いとま)もなく、眼前に雲雀の顔が迫っていた。
「追いかけておいで、沢田綱吉」
雲雀の声は今まで綱吉が聞いたどのそれよりも熱っぽかった。ざわり、と綱吉の肌が粟立った。雲雀の瞳とかち合う。雲雀が綱吉を見ていた。綱吉の肌が戦慄いた。
(あんた、いったい誰を見ているのさ)
雲雀は、綱吉を見ていながら、綱吉を見ていない。綱吉はそれを本能的に嗅ぎ付けてしまった。こういうときに限って敏感に働く超直感とやらが心底疎ましかった。
血の気の引いた面持ちの綱吉に向って、雲雀はふんと鼻を鳴らした。同時に、胸倉を掴んでいた手が離れ、綱吉はその場に投げ捨てられた。咳を繰り返しながら、息を整える。視界が涙で滲んでいた。
「君の記憶を追いかけておいで」
雲雀の声はやはり熱っぽかった。いっそ憎らしいほどに。
(なあ、それは、誰に向けた熱だ?)
――いったい誰に。
綱吉は無意識のうちに地面に爪を立てていた。
「君が捨ててしまったものを拾ってくるんだよ。ひとつ、ひとつ、丁寧に拾い上げておいで。だって……」
ふ、と雲雀が息をつく。
「だって、君、今、辛いだろう? さむくて辛いんだろう?」
違う、と綱吉は思った。辛いのは自分ではなく。 漆黒の瞳の奥に、ゆらめく感情を見る。雲雀が必死に押さえ込んでいる何かがそこにある。
「君は本来、馬鹿みたいに色んなものを抱え込んで、ガラクタも宝石もいっしょくたに仕舞い込んでくような、そんな阿呆な人間なんだからね」
嗚呼、と綱吉は顔を掌で覆った。咽喉の奥が痙攣を起している。涙が頬をつたっていった。
「……俺は、あなたを……」
唐突に理解した。
捨てたのだ。切り捨てたのだ、俺は、この人を。
言葉が続かなかった。
彼に問いただしたいことが沢山あったのに、あらん限りの罵詈雑言を投げつけてやろうと思ったのに、そのためにここまで追いかけてきたというのに、携えてきた疑問や言葉はすべて自分へと向けられるべきものだと綱吉は気づく。
どうして、自分はこの人を切り捨てた? どうして? なんのために?
こんなにも苦しい思いをしてまで、どうしてこの人を忘れなきゃいけなかった?
「どうして君が泣く」
だって苦しいんだ。苦しいんだ。苦しいんだよ、ヒバリさん。
あんたがその腕を俺に差し伸べてくれないんだ。あんたはそこで腕を組んだまま、絶対に動かない。
あんたの目は俺を見てくれない。
欠けた俺じゃ駄目なんだろう? そうなんだろう? 俺なんか用なしだって言いたいんだろう! 雲雀、恭弥!
――ちきしょう。
「君でもそんなおっかない顔をするんだね」
云われて、はっとした。雲雀がそこで嗤っているのだ。悠然と構えながら。
雲雀のそんな顔を綱吉ははじめて見た。いつかの学ラン姿の少年の獣のような目とは違う、歳を重ねた者だけに許された余裕に満ちた……。そこまで考えて、綱吉は、違う、と心のなかで首を振った。そんな格好いいもんじゃない。彼は諦めているのだ。ぜんぶ、ぜんぶ、諦めちまった、そんな目だ。もうどうとでもなれとでも言わんばかりの。
一週間前、綱吉が目覚めると同時に見た雲雀のあの切羽詰った顔を思い出す。あのとき、あんたは今にも死にそうな顔をしていたくせに。俺を、さわだ、と熱く呼んだくせに。俺が記憶を失ったと知った途端に、あんたは、俺を見限った。
ちきしょう。
綱吉は足を踏ん張って、つい今しがた雲雀が「おっかない」と云った顔で、雲雀を睨めつけた。ちきしょう、ちきしょう、ちきしょう!
「追いかけておいで、沢田綱吉。僕はここで君を待っていてあげよう。これが、僕の最大限の譲歩だ」
尚も雲雀は嗤った。
なんて、つめたくて、やさしくない言葉をこともなげに言ってくれる人なんだろう。綱吉は思う。
「だいじょうぶ、僕は存外、気が長いらしいことが最近わかったんだ」
「なにが、だいじょうぶっ」
そもそもあんたの性質のどこをどう見たら気が長いなんて云えるのか。俺の記憶喪失を知るなり、背を向けたあんたを、誰が気が長いと云うのか。
綱吉は喚いた。喚くほかに、どうしたらよいのかもわからなかった。涙だけが自分勝手に頬を伝っていく。
「僕を勝手に忘れてくれたのは誰だい。君も少しは苦しめばいいんだよ」
「俺はっ!」
どうして、どうして。この一週間ぐるぐると腹のなかで渦巻いてきた疑問は、答えに辿りつこうと足掻けば足掻くほど深みにはまり、結局はこうして自分に戻ってきてしまった。
どうして、俺は、この人を忘れたんだ。
どうして、この人に、こんなろくでもない顔しかさせることができない?
俺は、ただ、微笑んで欲しいだけなのだ。
雲雀恭弥が微笑む? そんな、馬鹿な、と云い捨てることが出来ない。空白の3年間のなかから、辛うじて拾い上げた断片に、雲雀の笑顔を見つけてしまったのがいけなかった。苛立たしくて、腹立たしくて、くやしくて、かなしくて、気が狂ってしまいそうだ。
無理やり掘り起こした記憶は、綱吉の救いになるどころか、結局綱吉を苦しめるだけだった。忘れたものをふたたび掘り起こしてゆくのは、こわい。かといって、このまま空白を埋めないでいるには、むなしすぎる。
「ヒバリさんは、そんなに、沢田綱吉が、好きだったんですか」
自分と彼の間に、何があったかなんて知らない。誰も教えちゃくれない。
でも、何があったとしても、結局はあんたを忘れちまうような薄情者の沢田綱吉が、そんなに好きか。愛しいか。大切か。
「そうだよ」
躊躇いのない肯定の雲雀の声に、綱吉がかっとしたのはほんの一瞬のことだった。すぐに肩の力が抜けてゆく。なんだろうこの脱力感は。人ののろけ話を聞いて、腹いっぱいになってしまったときと似たような気分になる。
――ああ、もう!
ずかずかと雲雀との間合いをつめる。腕を伸ばす。びくり、と雲雀の肌が震えるのを空気で感じる。構わず雲雀の胸倉を引き寄せる。顔をこちらに固定させる。漆黒の瞳を覗き込む。できるものなら、彼の心の内側まで暴いてやりたい。きっと、綱吉でない綱吉は、彼の内側まで入り込んでいた。どちくしょうめ。
噛み付くように唇を重ねた。いや、奪った。見開いた漆黒の瞳を見つめる。自分がいる。雲雀のなかに自分の姿が映っている。
「必ず、ここに帰ってきてみせます」
「あなたとの思い出をひとつ残らずひろいあつめて」
「だから、だから、首洗って待ってろよ、雲雀恭弥!」
最後は怒鳴り声になった。
鳩が豆鉄砲食らったような顔をしている雲雀をいい様だと心のうちで罵る。綱吉は、しとどに濡れた己が頬をシャツの袖で乱暴に拭いさり、胸の痛みを堪えながら、最後にもう一度叫んだ。
「わかったかあああ!!」

リボーン|071215