旅に出よう。
 マフィアの幹部である少年はそう言って、カタギの少女の手をとった。二日前のことである。
 二日経ったところで、少女は少年にそろそろ帰ろうと提案した。少年には少年の仕事があるし、少女だってラーメン屋のバイトをこれ以上は休めない。太陽が燦々と照る日中のことであった。

 その夜、少女は安い宿の安っぽい明かりを落として、さあ寝るぞと意気込んで布団を頭から被った。終始恨めしげな少年の視線を感じていたけれど、少女はそれを敢えて無視し続けた。
 帰るといったら、帰るのだ。明日の朝、少女は日本へ、少年はイタリアへ。
 布団に潜った少女の横で、少年は何を思ったか、突然つらつらと語りだした。砂を吐きそうになるほど甘い言葉の羅列――愛の詩(うた)だった。少女はそれでも少年を無視続けた。少女の無視もなんのその、少年はちっとも懲りた様子もなく、くさい愛の言葉を散々連ね続けた。
 そして、その挙句、泣き出した。昔のようにだらしなく大口をあけて泣き喚くことはしないまでも、声変わりをとうに果たした少年がすすり泣く声は一種異様な響きをもって、否が応でも少女の眠りを妨げる。
「イーピンイーピン寝ないでよ。聞いてよ聞いておくれよ」
 布団の上からわさわさと揺すられる。
「私に言われても困るから。愛の告白は、きちんと愛する人本人にしてあげてちょうだい」
 極限まで苛々していた少女は布団から顔も出さずに、無理だと承知しながら、少年にそう冷たく言ってやった。
「そんなこと言わないでよ。ねえ、イーピン、おれはもうどうしたらいいか……」
「知りません」
「ねえ、イーピンは寂しくないのかい? だってハルさんが……ハルさんが結婚しちゃうんだよ?」
 久しぶりに本気でこの馬鹿で阿呆で考えの足りていない牛をひっぱたいてやろうかと少女は思った。寂しくないわけがない。寂しくないわけがないのだ。布団のなかで少女は、唇を噛み締める。泣いてなるものかと踏ん張った。
「ねえイーピン。おれはもう寂しくて寂しくて、死んじゃいそうだよ」
 大好きな人が愛する人と結婚するというのに、寂しい寂しいと駄々をこねる少年は、つまるところ、どうしようもなくこどもなのだ。声変わりをしようが、きれいなお姉さんたちと遊んでようが、こどもなのだ。そして、駄々をこねないまでも、心のどこかで素直に祝福できないでいる少女もまた、こどもだった。
 ふたりのこどもは、寂しくて、寂しくて、泣いていた。
 やがて、暗がりのなか、もそりと音を立てて布団が内側からあがった。少年はすかさず布団とベッドの隙間に身体を滑り込ませて、布団のなかの少女の身体にしがみ付いた。頬と頬を寄せて、少女もまた涙していたことに気づいた少年は、ますます悲しくなった。
「イーピン、イーピン。帰りたくない。帰りたくない」
 この期に及んで駄々をこね続ける少年の身体を抱きしめて、少女は帰らなきゃ、帰らなきゃ、と繰り返した。
「帰ろうよ、ランボ」
 そして、大好きなあの人を祝福してあげよう。ふたりの祝福に、あの人が心から喜んでくれることを、ふたりはちゃんと知っている。


二日目の麦畑
200705114

inspired by 麦畑にかえれ 【フルッタジャッポネーセ】