もうもうもう! これだからおとなは嫌なんです! とランボさんは地団駄を踏みました。
ランボさんは大真面目ですのに、おとなたちはちっとも真面目に取り合ってくれやしません。血なまぐさい場面では、恐ろしいくらいに頼りがいのある兄貴達ですが、ふだんの彼らの堕落っぷりといったらもう、酷いのです。いっそおぞましいレベルです。
うひゃうひゃと腹を抱える獄寺氏の顔は凶悪そのものです。
その横で、ぐるぐる包帯に包まれた山本氏がにたにたと笑いながら、無精髭を指先で弄っています。目つきも指の動きもいやらしいことこの上ありません。以前、十代目ボンゴレは山本氏をナチュラルにエロいから手に負えないとおっしゃっておりましたが、まさにその通りです。山本氏はやることなすことが、いちいちエロいのです。だからでしょう、山本氏は春を売るお姐さんたちにリボーンと並んで絶大な人気を誇っているのです。
――あ、話が思いっきり逸れました。
「いやぁ、しかしなぁ、夢精なんてなぁ、中学生じゃあるまいしなぁ」
青いなぁと山本氏が感慨深げに言えば、獄寺氏が青い青いとうひゃひゃうひゃひゃ笑い転げております。
ここは神聖な病院内であるからして、本来は静かにすべき場所です。この三十路のおとなたちには、すぐそこの“お静かに!”という注意書きがちゃんと読めていないのでしょうか。いったい何度婦長さんにお叱りを受ければ気が済むのでしょうか。山本氏がこの病院に運びまれたのはつい昨日のこと。既に婦長さんのお説教の回数は片手では足りないほどです。
「おいおい、アホ牛。てめぇ、十代の頃は随分と遊びまわってたじゃねぇのよ。そのくせ今更なーにが夢精だよ。抜き方もわからんガキじゃああるめぇーし」
「夢精とか抜くとか、大きな声で止してください。恥ずかしいっ破廉恥なっ」
心なしか頬が熱くなるのを必死で取り繕いながら、ランボさんは獄寺氏を睨みつけました。
お恥ずかしながら、十代の頃のランボさんは獄寺氏のご指摘どおり、けっこうなプレイボーイでございまして。もともとの顔のよさと物腰の柔らかさが、姐さんたちの母性本能をくすぐったようです。手取り足取り、姐さんたちはランボさんをそれはもう可愛がってくださいましたけれど、そんなランボさんが姐さんたちの元に通うのを止めて、随分と時は経ちました。
「破廉恥なのはてめーだろ。卑猥な夢見て、善がってんだろ?」
どうなんだよ、あん? と、獄寺氏はランボさんの顔に煙草の煙を吹き付けました。
院内で騒ぐだけにとどまらず、この悪いおとなは煙草まで吸っているのです。とんでもないおとなです。これだからマフィアはけしからんとか言われて、世の中の人々に白い目で見られてしまうのです。何故でしょうね、同じマフィアでも門外顧問チームリーダーなんかはとても真っ当な方ですのに。
「よ、善がってるって、ししし失敬な! い、いいんですよっ若い証拠ですよ……って、アイテテテ!」
「誰がジジィだって? このクソアホ牛ッ」
「痛い。痛いですってばー獄寺さんっ」
誰も獄寺氏がジジィだなんて一言も言ってやしないのですが、獄寺氏の鼓膜と聴神経は日常的に接触不良を起こすようでして、こういう謂れのない暴力はそれこそいつものことです。
「山本さん助けてー」
「やー俺はこの通り怪我人なんでなー」
ギブスで固定された左腕を右手で指差して、山本氏はにんまり笑います。
まったく、何をおっしゃいますやら。自由の利く右腕だけで腕立て伏せをしてはお医者さんと婦長さんに怒られているのを知らないランボさんではないのですよ!
「ランボ、ランボ。出ちまうもんは、仕方ねぇよ。生理現象だけはどうもしようもねぇからな。ただの溜まりすぎだとは思うけど、本当に心配だっていうなら病院行って、医者に相談してみるとか……。うん? こういうのって何科に行きゃいいのかね?」
「産婦人科……は女だから、泌尿器科じゃねぇか?」
獄寺氏がううんと首を捻りながら答えました。
「それだ。ランボ、たしかここの病院にも泌尿器科の外来もあったはずだから、行って来いや」
「ええ? 今からですかあ?」
「心細いっていうなら、俺が付き添ってやろうか?」
獄寺氏は親切な兄貴を装っているつもりなのでしょうけれど、顔がにやにやしています。面白がっているのです。
「……謹んで遠慮させていただきます」
丁重にお断り申し上げたランボさんに腹をたてた獄寺氏は、なんだとー!とアイアンクローを噛ませてきました。いやはや、冗談じゃなく痛いのですが、とランボさんはもう半泣きです。身も心もズタボロです。
やはり相談する相手を間違ったでしょうか? とランボさんは考えます。ここはやはりボンゴレ一の常識人なバジルさんかスクアーロさんに相談すべきだったでしょうか。
「医者に診てもらうのが嫌ならあれだろ。とりあえず寝る前に一発は自分で抜くておくとか。それとも女買うとかすればいいんじゃねぇの?」
まあいちいち金を払わずとも、お前なら相手がいないわけじゃないだろう、と山本氏は言いました。
そうですね。その通りです。その通りなんですけど、でも、違うのです。
「バッカ野郎」
獄寺氏が心底呆れたように、山本氏の頭を小突いております。
「これだから野球野郎は野球馬鹿でいけねぇんだ。女買って済む問題なら、とうに買ってるぜ。なあ、アホ牛?」
獄寺氏はもうすべてをわかっていらっしゃるような顔をしております。
わかったのですか。わかってくださったのですね。うう、と感極まったランボさんは耐え切れずに泣きながら山本氏のベッドに突っ伏しました。
「どうしたよ、ランボ」
困惑しきった山本氏がランボさんの頭をわしゃわしゃと撫でます。折角のセットが台無しですが、今は気にしている余裕もありません。
「ランボ、泣いてちゃわかんねぇよ」
ねえ、山本さん、獄寺さん。俺はたかが23歳の青二才で、あなたたちに比べればまだまだこどもですけれど、もう知ってしまっているのです。
たとえ、この肉体の乾きを代用品で補ってみたところで、心までは決して満たされないのです。自分で自分を慰めたって、それは同じことなのです。むしろむなしいだけなんです。寂しい快感のなかで、あの人の名前を呼べば呼ぶほど、切なくて。――だから、俺は春の姐さんたちと遊ぶことを止めたのです。
「卑猥な夢のなかの相手が特定されてるんだろ? そういうことだろ、アホ牛」
獄寺氏がランボさんの背中を撫でてます。暖かな、大きな掌です。
「は?」
山本氏は目を点にしております。
「まだわかんねーのか。恋だよ、こ、い」
「あ? あー……あーなるほど!」
やっと合点がいったかのように、山本氏は頷きました。鈍すぎるぜ、と獄寺氏が溜息をこぼします。
「なんだよ、それなら話は早いじゃねぇか」
告っちまえ。そんで押し倒しちまえ、と山本氏はあっけらかんと言いました。
「そ、それが出来てれば苦労は……」
ええ?と山本氏が困ったように眉を八の字にしてます。
「苦労しちまうような相手なのかよ。なんだよ、も、もしかして、死んじゃったりしてたり……死んじゃってら確かに告白は無理だなあ」
「い、生きてますよ! 死んでなど……死んでなど……」
死んでなどいません。死んでたまるものですか。
縁起の悪い!
縁起の悪いことをおっしゃった山本氏のせいで、ランボさんまで縁起の悪い想像をしてしまいました。
血溜りのなかで横たわっている細い身体を、想像してしまったのです。その光景を前にしたランボさんは絶望のあまり跪いて、ぴくりとも動かないその身体を抱き寄せて、うわんうわん泣くのです。死なないで、死なないで。せめて元気で。俺の隣にいてくれなくても構わないから、どうかどうか、元気で。
ただの想像ですのに、あまりにリアル過ぎて、ランボさんはもう悲しくて悲しくて。折角の顔も涙と鼻水でぐちょぐちょです。
「あー泣くな泣くな」
男のくせに。そう言って獄寺氏はランボさんの頬を抓ります。
「ご、獄寺さんが抓るから泣くんですっ」
「そうかいそうかい」
「ふ、ふえ……。だ、大好きなんです。大好きだから、幸せにっ、幸せであってほしいんです」
嘘つきなランボ。
隣にいてくれなくてもいいだなんて、本当は真っ赤な嘘。
本当は欲しくて欲しくて堪らないくせに。夜毎、淫らで、幸せな夢に、魘されて。罪悪感に襲われて。それでも求めずにはいられないだなんて。
「ハルさぁああん、あーんあーん!」
ぷっつんと何かが切れたかのように号泣しだしたランボさんに、獄寺氏は眉を寄せて、嗚呼、と呟きました。ああ、あのウルサイ女な。そうかアホ牛はあいつのことが好きだったのか。そうかそうか。そう言って、ランボさんの頬を一層強く抓ります。
「随分と懐かしい名前だな。んー? でもあの女は十代目のことを……」
「し、知ってますよーハルさんは十代目のことを愛してらっしゃったんです」
「てことはーなんだ。お前のライバルは十代目か」
ぶわははは、と獄寺氏が笑い出します。
「ハードル高すぎじゃね? アホ牛の分際でドン・ボンゴレに勝てると?」
「うわ、ひっど!」
人が一番気にしていることを……!
一方、山本氏は、ひどく神妙な顔で、ハルさんの名前を口にしました。
「ランボ」
「ふぁい」
「ハルって、三浦ハル?」
「は、はい。そうですが?」
それが何か?
「あーハルか。今の今まですっかり名前忘れてたんだけど、どーっかで見たことのある女だと思ったら、ハルだハルだ」
「はい?」
「一昨日、この近辺で、ハルを見た」
一拍あけて悲鳴をあげ大騒ぎしたランボさんは獄寺氏と共に、悲鳴の直後にすっ飛んできた婦長さんより今後一切の病院への立ち入りをかたく禁じられ、そのまま病院を追い出されてしまいました。そういうことで、ランボさんは山本氏に詳しい話を聞くまでには至らないという、残念な結果に終わってしまいました。
翌日、獄寺氏は仕事でラスベガスへ。さらにその次の日には十代目が六道氏をお供にしてモスクワへと旅立ってしまいました。残されたランボさんは、仕事を全部雲雀氏に押し付けて(とはいえ、ランボさんははなから当てにはされていないのですが)、日がな一日街をほっつき歩いては、ハルさんを探し回りまして。
かくして、ランボさんは望みどおり、ブーツ型の国のちいさな街で、ハルさんと出くわすことになるのですが。
はてさて、どんな再会劇が繰り広げらたのかと申し上げるのは、また別の機会に。
- これで おしまい? -
20070506 20080203加筆修正