ランボさんがお日様の匂いのするお布団のようにやさしい、やさしいあの女の子と最後に会ったのは、いつのことであったでしょうか?

あれれ。あれれのれ、とランボさんは目をぱちくりとさせました。
十代目専属の意地悪なヒットマンと一緒にローマを闊歩していたと思ったら、ランボさんだけが白昼堂々文字通り煙に巻かれて、極東の島国に連れてこられてしまったようです。今頃、あのヒットマンの横で小さな少年が鼻水と涙を撒き散らしながら、癇癪をおこしていることでしょう。
まあ、そんなことはどうでもよいんです。ランボさんが知ったことではありません。
大事なことは、今ランボさんが見る現実。世界の時計が十年前に遡ろうとも、しかしランボさんの時計はいつもどおり刻一刻と時を刻みます。これは現実です。九年前にバイバイと手を振り合ったあの女の子が目と鼻の先にいるこの光景が、紛うことなき現実なのです。
「ラ……ランボちゃん?」
「ハルさん!!」
とにもかくにも、ランボさんはナイス十年前の俺!と心のなかで大絶賛しながら、目の前の女の子に抱きつきました。もちろん彼女は奇声を上げてランボさんの身体を引き剥がそうと必死でもがきます。でも、彼女がまさか二十も間近の男の本気に力で勝てるはずもなく、結局ランボさんはまるまる五分間、彼女を目一杯抱きしめ続けることに成功しました。
やさしい、日本の、太陽の匂いが、しました。
懐かしさと愛しさがごちゃまぜになって、ランボさんの目から思わず涙が零れ落ちそうになりましたけれど、ここは男として、が・ま・ん!――です。
ハルさんはこの一年後、皆と別れがくることをまだ知りません。十代目ドン・ボンゴレであらせられる沢田のツナさんが、個性派揃いの腹心の部下たちプラスαを連れてイタリアへと渡ったのは、彼が御歳十八のときのことです。
あの日、ハルさんは涙ひとつ見せずに、笑っていました。大好きなツナさんのために、最後まで笑顔でした。一方、肝心要の十代目は目を真っ赤に充血させていましたけれど。
綿菓子みたいだといって十代目が心を寄せていたもうひとりの女の子も終始笑顔でした。彼女が心の底で、いつかわたしもイタリアにあなたを追いかけてゆくのだから!と決意の炎を目に宿していたことに気づいていたのは、きっと骸さんだけです(あの人、人のこころを読めてしまうらしいです。スゴイデスネ)。
「ランボちゃん、痛いよー」
腕のなかで困惑しきった声が聴こえます。
知るものですか、とランボさんは毒づきました。痛くていいんです。痛ければ、これが現実だと教えてくれるでしょう? 痛みの伴わない幸せなんて、夢と一緒ですもの。
そうです。ハルさん、ランボさんは今、とても、とても幸せなんです。
「ハルさん。ハルさん」
細い首筋に鼻を寄せて、ランボさんは喉をごろごろと鳴らします。
あの日、女の子たちと別れたあと、ジャンボジェット機のリクライニングチェアに座ったまま放心しているランボさんがいました。泣くことも出来ずに、ぶるぶると震えているランボさんを、目を真っ赤にさせている十代目はやさしく抱きしめてくれました。
――ランボ。ねえ、ランボ。お前はランボであって俺じゃないんだから、お前はお前の好きなようにすればいいんだよ。
守るものたちのために、十代目が諦めてしまったものは、数え切れないほどです。でも、どうして。どうしてあなたが諦めてしまったものを、ランボさんが手に入れることができるでしょうか。ご自身を非力だとおっしゃるあなた以上に、力を持たないランボさんがどうやったら、諦めないでいられるでしょうか。
「ねえ、ハルさん。ハルさん」
好きなんです。大好きなんです。
苦しくて、切なくて、幸せで、死んでしまいそう。

気づくとランボさんは再びローマにいました。目の前にはリボーンが不機嫌そうな顔で突っ立っていました。でも、それが彼のデフォルトのお顔であるということを、ランボさんはよーく知っていますから、今更動じません。
おやおや。よくよく見れば、リボーンの黒いジャケットの胸元が、少しテカってやしませんかい? それは――もしや――
「鼻水……って、イタ――!!」
リボーンの蹴りは強烈です。
「うっせー! 男がぴーぴー泣くなッ」
「泣いてないよッ。ねえ、まさか、あなた、十年前の俺にもこんなことしたんじゃないでしょうねえぇ? うぁ!? っぶ、ぶほ!」
投げつけられたジャケットを持ったまま呆然としているランボさんに、リボーンは洗っておけとだけ言葉を残して、ローマの街中に消えていってしまいました。相変わらず逃げ足だけは速い男です。
ジャケットにひっついていたテカテカの正体は、やはり鼻水でした。まさかあのリボーンがジャケットで自らの鼻水を拭うとは思えません。だったらこれはいったい誰の鼻水だと……。――嗚呼! リボーンはあの極悪な顔でいたいけな小さな少年を抱き上げて、あやしてくれたのでしょうか。
ありがとうリボーン。ありがとうありがとう。
じわりじわり。眦にたまってゆく液体の正体はなんでしょうか。が・ま・ん。が・ま・ん。何度も何度もおまじないのように唱えて、でも涙はどうしたって溢れてきます。
堪らなくなって、ランボさんはリボーンのジャケットに顔を埋めて、わんわん泣きました。わんわん、わんわん泣きました。
ジャケットからはお日様の匂いなんてしません。血と泥と汗の臭いと男臭さだけが、鼻につんと刺激を与えます。
これが、ランボさんが生きる世界なのです。
こんな世界でしか生きる術を持たないランボさんが、あたたかいお日様に恋焦がれてしまうのはいけないことでしょうか。想えば想うほどに、自分が傷つくだけだとわかっていますのに、どうしてこうも恋しいのでしょうか。


余談ではありますが。さらに五年後、このローマでランボさんはハルさんと劇的な再会を果たすことになるわけですが。
ハルさんは、いったい誰を追いかけてきたのやら。
彼女の真意を知っているのは、今のランボさんではなく、五年後のランボさんなわけで――。


- これで おしまい? -
君と花筵のベッドへ 20070501