惑いの果て



「場所を移そう」
セーウはクラにそう提案した。何を言い出すんだ、と言わんばかりに顔をしかめるクラにまったく構わず、さっさと一界(エンシェント)遺跡の闇のなかに消えていこうとするセーウを慌てて制したのは、クラではなくかぐやだった。
「セ、セーウさ……」
「カガミを巻き込むわけにはいかないだろう」
漆黒のマントを掴むかぐやの手をちらりと見やってから、セーウは抑揚に欠けた声で彼女に言った。それにはっとしたようにかぐやは遺跡の最奥で横たわっている黄金の竜を見た。セーウとクラが戦うということは、つまり“生ける武器”同士が戦うことを意味する。セーウの月状水銀(リューナートマーキュリー、通称ルナー)とクラの夜行(ニュクスライト)が衝突して作り出す衝撃のすさまじさは、今まで幾度となく生ける武器が戦う様をみてきたかぐやにとって想像に難くない。そして、今そこで横たわっている竜がその衝撃に耐えられるかと問われれば、間違いなく無理だと答えるより他なかった。
クラもセーウの言わんとすることを理解したようだが少々不服そうに顔を顰め、そして何を思ったかかぐやを見る。そんなクラの視線にいち早く気づいたのはかぐや本人ではなく、その隣にいたセーウだった。
「お前はカガミの傍にいてやれ」
俺たちに着いてくるな、とばかりにセーウは自分のマントを掴むかぐやの手をはらう。
「……おい、ちょっと待てこの糞皇子……」
セーウがかぐやにかけた言葉にクラは一層不服そうに顔を歪ませるが、セーウはやはり頓着せずにマントを翻して闇に消えてしまった。
「あ、おい!物臭皇子!」
クラのそんな言葉には耳を貸す気はないらしいセーウが闇から戻ってくる様子は微塵もない。クラは忌々しそうに鼻を鳴らすと、呆然と立ちすくみセーウの消えていった闇を見つめているかぐやの肩に手を置いた。はっとしたようにかぐやは、クラを見上げる。
「皇子はあんなことを言ってたがな、あんた自身は俺とあの皇子の戦いの行く末を見届けてくれる気はないのか。あなないの姫」
クラの低い声にかぐやはしばし沈黙を守っていたが、やがてゆっくりながら首を振った。
「わたしはここに残ります」
「……そうかい」
「カガミさんが心配だから」
おや、とクラは眉をひょいとあげてみせる。
「セーウのことは心配ではないとでも?」
ほんのりと頬を赤らめるかぐやにクラはくつりと喉を鳴らし、かぐやの答えを待たずに彼もまたセーウの後を追って遺跡のどこかに消えていった。


眠ったように横たわる黄金の竜の頭を撫でてやる。竜がほんの少しだけ身じろぎした。気持ちがよいのか、それとも撫でてやることによって少しでもその巨体にかかる負担を減らすなり紛らわせるなりできたのか。どちらにせよ竜はかぐやに触れられることを嫌がってはいないようだった。それならば、とかぐやは何度も何度も大きな竜の額を小さな手で撫でてやった。かぐやの目に見えぬところで必死に戦っている竜を思いやって、何度も何度も。
「カグヤ」
ふいに名前を呼ばれてかぐやは頤を上に向けると、バンヴィヴリエが相変わらずの無表情でかぐやを見下ろしていた。その硬質な美しさは同姓のかぐやでさえ見ほれてしまうほどだ。
「バンビちゃんはいつでもどこでも綺麗ね」
「あなたは顔色が悪いわね」
バンヴィヴリエの白い手がかぐやの頬に触れた。そのひんやりとした感触が心地よくて、かぐやはほんのりと笑って見せる。
ふと微かに聞こえた地響きのようなものにバンヴィヴリエは眉を顰めた。
「相当派手にやらかしてるわね。カグヤ、付いていかなくて正解よ」
(まあ、あの皇子もこれを見越してこの娘(こ)を置いていったんでしょうけれど……)
今ごろこの広く暗い一界(エンシェント)の遺跡のどこかで、セーウとクラがその生ける武器を手放すか否かをかけて戦っていることだろう。竜とかぐやの待つ遺跡の最奥には、ときたま怒号とも破壊音ともつかぬ音が微かに響いてくるだけだったが、その戦いの激しさは十二分に想像できた。
「もう少し静かにできないものかしら」
あまりにも不快そうにバンヴィヴリエが顔を歪めるものだから、かぐやは苦笑い気味に彼女に尋ねた。
「バンビちゃんは、セーウさんとクラさんがどうなるか気にならないの?」
「結果が目に見えてるものを気にしたって仕方ないでしょう」
驚いたように目を見開くかぐやを、バンヴィヴリエは山奥の湧き水のように澄み切った瞳で射抜く。
「“あなないの娘”が誰を選んだかなんて明白すぎるわ」
どこか不機嫌そうなバンヴィヴリエに、かぐやは少しだけ首を傾げて見せてからぎこちなく笑った。嘗て、あなないの娘は、より多くの人が生き残る道を探す“ひと”を選ぶと言い切った。やがて、時は満ち、すべての条件がそろった今、彼女が誰を選んだのか、今更バンヴィヴリエが問うまでもなかった。
かぐやには難しいことはわからない。先ほど賢者メシエが言っていたことさえ、半分以上はおぼろげにしか理解できなかった。それでも、この多次元宇宙を正しいあるべき形に戻せるというのなら。それによってより多くの人を救えるというのなら。
“生(せい)”というものにまったく執着がなさそうに見えて、その実、誰よりも生きたい、と願っている彼を選んだ。彼に宇宙の未来を委ねようと思った。永い刻を孤独に生きてきたあの皇子の勝利を祈ろうと思った。
「いまでもね。わたしは自分が“あなないの娘”だなんて言われても全然実感がわかないんだ。それにこの選択が正しかったのかもわからないの。バンビちゃんは、わたしが間違ってると思う?」
バンヴィヴリエは首を振る。
「正しいとは思わなくても、間違ってる、とも思ってないくせによく言うわ」
ふふ、とかぐやは笑って、横たわる竜の額を掌でやさしく撫でた。
「ねえ、バンビちゃん。あのね、今なら……今ならカードをめくっても白は出ない気がするの」
この手で何十回、何百回、何千回、何万回引いても白かったカードが、今この瞬間なら別のものを引ける気がした。そしてかぐやは、自分がどのカードを引き当てるのかも知っている。それは彼女が自らの意思で選び取るカードだから。
「明日がいい日であるといいね、バンビちゃん」
「そうね」
ほん少しだけ口の端をあげたバンヴィヴリエにかぐやは嬉しそうに微笑み返す。
そして、かぐやは竜に寄り添い、セーウたちを待ち続けた。

プラネット・ラダー|050614