大喝采に壇上の女性ピアニストがおたおたとしている。先ほどの会場中の人間を圧倒させた演奏をした人物と本当に同じ人間なのか、と疑いたくもなるような彼女の立ち居振る舞いに会場が一層沸き立つ。童顔で可愛らしい東洋人ピアニストを観客は皆、笑顔で見つめていた。いつまでも鳴り止まぬ拍手の中、指揮台から降りた指揮者にエスコートされて舞台裏に消えていった彼女を見ながら、一般客に混じって客席にいた真一は人知れずため息をついた。
この感情をなんと呼んだらよいのだろう。
会場は未だ、拍手の嵐だった。




慣れ親しんだ巴里の街を歩きながら、真一はまたため息をついた。もやもやと胸の奥で渦巻くくすんだ色の感情。この感情をなんと呼んだらよいのだろう。
嫉妬か、羨望か。

誰に対する?

彼女の演奏は完璧だった。多彩な音はそのままに、しかし今までの彼女とは違う演奏。体がふるえるほど感動する一方で、真一は彼女のことを誰よりもわかっていると思っていた自分は何て愚かだったのか、と思わずにはいられなかった。
彼女はあんな演奏もできたのか。今日の演奏は終始新たな発見の連続だった。そんな彼女の新たな一面を引き出したのは、言うまでもなくあの指揮者であって。彼は真一より5歳ほど上だという、ドイツ出身の今世界的に名を売りつつある男だった。
彼女とは学生時代からもうかれこれ何年も一緒にいるはずの自分が気付かなかった、否、気付けなかった彼女の奥底に眠っていた才をさらに引き出して見せたあの男に、言いようのない感情を覚えた。
嫉妬か、羨望か。
真一は顔を顰める。
指揮者としてのプライドか、それとも仮にも彼女の“恋人”という立場にいるらしい(その辺の境界線はいまだ曖昧なままである)自分の男としての意地か。
どちらにせよ、自分はまだまだ精進しなければならないらしい。
きゅっと口元を結んで眉間に皺をよせながら真一は早足で帰途につく。
とりあえず、今日彼女が演奏していた曲を片っ端から総復習してやろうか。


2005/03/26