ふと壁越しに聞こえてきた隣室のピアノの音。
真一は徐に、手元の楽譜から顔を上げ、ぴかぴかの白い壁を見つめた。
まったく、あいつには一般常識というものがないのか。こんな夜更けにピアノを弾いたりなんかしたらご近所迷惑だ、と文句を言う輩だっているだろうに。
呆れたようにため息をつきつつも、真一は黙ってその多彩な音に耳を傾ける。
壁越しに僅かに聞こえる程度の音量でも、こんなにも自分を惹きつけてやまない彼女の音色。この音を聴くときばかりは、あの変態女にたいする真一のお小言も身を潜めて、“得体の知れない変態女”は“素晴らしきピアニスト”という存在となる。
相変わらず奇天烈な演奏をするヤツだな……。
白い壁の向こうで、完全に自分の世界に浸りながら鍵盤を思う存分叩いている彼女の姿が、閉じた瞼の裏に鮮やかに浮かぶ。きっと、彼女は今、口をあの妙な形で尖らせているであろう。そんな彼女を想像して、真一は人知れず口元を緩め、そして、楽譜をテーブルに置くと、彼女の音にさらに聴き入った。


050212