絹のこども、麻のひと



 豊かな里だった。
 水に潤った大地は一年と通して四季に彩られ、死者を弔う共同墓地にはいつだって色とりどりの花が添えられている。里のあちらこちらからこどもたちの笑い声が絶えず、一度(ひとたび)里の中央の商店街を歩けば屋台から漂うラーメンの香ばしいかおりに身体が空腹を訴える。
 木ノ葉の里は平和を絵に描いたような場所だ。
 そしてそれらすべてを守るのが、火影と呼ばれる者の使命であった。
 金色の稲田のむこう側を白い雲がゆっくりとゆっくりと流れてゆく。空は透きとおるように青い。清んだ空気のなかを鳶が気持ちよさそうに舞っている。この里は人だけでなく、動物も植物も、里中の生きとし生きるものが輝いていた。
 ふり返れば、遠く、歴代の火影の顔が刻まれた崖が見える。そこに六人目の顔が刻まれて久しい。
 里のどこにいても眺めることができるあの崖のように、当代の火影の気配はいつだって里で暮らす者たちの傍にある。あたたかく、おおらかに、やさしく、里を見守っている。
 火影は忍だ。お天道様を避け、常になにかしらの影に隠れ、或いは影そのものとなって生きる者たちを忍と呼ぶ。忍とは本来、そうやって自らの気配を殺してナンボの生業である。はたけカカシもずっとそうやって生きてきた。カカシが師と仰いだ忍たちも、カカシを師と仰ぐ忍の卵たちも。――たったひとりの例外を除いて。それが当代の火影だった。里一番の忍である当代の火影の気配は、忍らしからぬことにいつだって里中に満ちていた。
 当代の火影は幼少の折から、どこに身を潜めていたって気配がもれやすい子であった。成長しても尚、気配を殺すことを不得手とした彼は、いっそのことならと下手に気配を殺すことを放棄した。強く、鮮烈な彼の気配は、里を狙う愚か者たちを怖気づかせ追い払うにはちょうどよかったし、逆に火影の気配で怯えぬような屈強の忍は、彼が気配を殺してみたところで結局は彼の居場所を突き止めて襲ってくるのだ。それならば気配を殺すも殺さぬも同じではないか。当代の火影はそう言って、闊達に笑い、開き直っていた。
 はたけカカシは頭(こうべ)を垂れる稲穂に指先を絡ませながら、空を流れてゆく雲のようにゆっくりとゆっくりと稲田のなかを進む。その稲田のなか、ほけっと佇む火影に、思わず苦笑した。火影の帽を被っていない青年忍者の髪はまるで保護色のように金色の稲田に溶け込んでいた。彼の気配はこんな具合に里に自然と溶け込んでいる。まるで火影が里そのものであるかのように。
 目を閉じて、その気配に身を委ねれば、火影という存在にすっぽりと包まれて守られているかのような安心感を覚えた。同時に、かつての教え子でもある彼がこの先理不尽に傷つかぬよう守っていかなきゃとも思った。
 里のために、陰でそっと息絶えてゆく忍の仲間たちを想って涙を流す火影を。
 里のこどもたちといっしょに大騒ぎしながら野山を駆け回る火影を。
 屋台のあつあつのラーメンを心から愛する火影を。
 何百という忍を闇に屠ってきた血塗られた手を愛しいと握り締めてくれる火影を。
 忌々しい過去が凝縮された左目にやわらかな接吻をおとしてくれた火影を、守りたいと思う。
 忍としての絶頂期は既に過ぎてしまった自分ではあるけれど、里を守らんとする火影の盾ぐらいには充分なれるだろう。カカシはそう自負していた。
「ナルト」
 金色のつんつん頭がふり返って、破顔する。おかえりなさい! 長い任務をご苦労様! と、底抜けに明るい声がカカシを包(くる)んだ。
 駆け寄ってくる足取りは、幼い頃のそれとなんら変わらず軽やかで。ただしその身丈が自分よりも頭ひとつ分大きくなってしまった教え子にほんの少しばかりの嫉妬を覚える。それでもやっぱり教え子の成長ぶりが嬉しくて、誇らしくて、カカシは火影の久方ぶりの抱擁を笑顔で受け入れたのだった。

ナルト|title by ダボスへ|090208