愛の使者に愛を
助けたのは気まぐれでも何でもなく。ただ、キラキラ紳士スマイルという名の爆弾よりも恐ろしいものが、数メートル離れたわたしに向けられていたからだ。
曰く、助けてくれなきゃ、タダじゃおかないよ? と。
こうなれば、わたしに残された選択肢はたったひとつだった。
「ぎゃー!!」とわざと気が狂ったような女を演じつつ、たまたま乗っていた自転車をその群れのなかに突っ込む。ぴーちくぱーちく黄色い声をあげていた化粧臭いヒヨコどもは、突然の乱入自転車に「きゃー!?」と奇天烈な声を発しながらちりぢりに散った。そして、散った中心にはわたしが恐れ戦いてならない似非紳士。似非というからには、彼の紳士ぷりは嘘の塊なのよ。その本質は、かの鉄腕アトムやウランちゃんより恐ろしい(にしても、アトムとウランってものすごい名前よね!)。何万馬力のアトムより、彼の笑顔は強く、人を人形のように動かしてしまうのだから。
「乗ってください!」
わたしがそう叫び終えるかいなかの微妙なタイミングで、彼は迷わずママチャリの荷台に飛び乗り、そのままわたしは、また「ぎゃー!!!」と、叫び声をあげながら呆然と立ち尽くしているヒヨコどもの間を駆け抜けた。
お日様に照らされた街のなかをかける暴走自転車。あまりの暴走っぷりに恐れをなした通行人は、さっと自転車をよけるものだから、運転は実にスムーズだ。
歩道が赤信号になれば、車道を駆け抜ける。車道が赤なら歩道。自転車ってフリーダムすぎる。
「最上さん、天才だよ、君、天才」
わたしの腰にしっかり腕をまきつけた彼は、わたしの背中に額を押し付けていた。がたがたと揺れる自転車とは別に、微かに感じる振動の正体は、彼が必死に抑えている笑い声だ。
「いやーすごいスピードだね」
わたしはというと、息も上がりきって、すっかり苦しくなっているというのに、後部荷台の彼は随分と悠長なものだ。この、似非紳士め!と、文句を言おうにも、息が切れて酸素を取り込むのに精一杯だ。(もっとも、口がきけたとしても、彼に面と向かってそんな口はたたけないけれど)
とりあえず、オフィス街の一角にある緑地帯に自転車を止めた。芝生に倒れこんだわたしを置いて、お礼ひとつも言わずに消えてしまった彼に、心の中で「馬鹿やろー!」と思い切り怒鳴りつけてやる。
なんだというの。わたしだって、暇では……さっきは丁度暇だったけど! だけど、ファンの女の子たちに囲まれて身動きすらとれずにいた彼を救出したわたしにお礼ぐらい言ってほしいものだ。ボランティア活動じゃないのだから。
「敦賀蓮なんてアトムにやっつけられちゃえばいいんだわ」
「オレは、正義の味方にやられる悪党か」
と、頬に、冷たい感触。
「ぎゃ!つ、冷た……!な、なにするんですか、敦賀さん!」
わたしの目の前には、例のキラキラ紳士スマイルの最上級バージョンをたたえた彼―――敦賀蓮―――がいた。大きな手には、冷たいウーロン茶のペットボトル。
「お疲れ様、最上さん」 そして、いつ何時も忘れない、笑顔。
彼が姿を消したのは、このウーロン茶を買いに行くためだったらしい。
「どこで買ってきたんですか」
「そこのコンビニ……」
「コンビニ!?」 また、人ごみに行ったのか? さっき散々ぴーぴーうるさい女の子たちに囲まれてたくせに!?
「……に行こうと思ったんだけど、途中で自販機があったから、そこで」
「さいですか」
「本当に、君が通りかかってくれて、助かったよ。身動き取れなくて困ってたんだ」
「なんで、あんなことになったんですか」
「いや、ちょっと空いた時間に買い物に出たらね」
「買い物!?」
「家の、サランラップが切れてて」
「サランラップ………」
「何、その顔」
「いえ、なんでもない……です」
そりゃ、そうだ。世の中、そういうものだ。アイドルだって、トイレには行くし、敦賀蓮だって、サランラップくらい使うだろう。サランラップだって使われれば、なくなるし、なくなったサランラップは買わなきゃ手に入らない。サランラップを使う敦賀蓮は、サランラップを買わなきゃいけない。
「世の摂理」
「は?」
「紳士も所詮、地球人。人間であることには、かわりはない……か」
「あの、最上さん?」
「うん、納得しました。ところで、わたしはこれから事務所に戻りますが、敦賀さんは?」
時計を見れば、わたしも次の仕事が待っている。正義の味方ならぬ愛の使者たるわたしの仕事が。
「オレもだよ」
「じゃあ、お送りします」
ママチャリに手をかけたわたしを制するのは、敦賀蓮。
「今度は、オレが漕ぐ」
「は?」
「さっきは不測の事態だったけど、ふつうはこういうとき男が漕ぐものでしょう?」
さすが、紳士魂。しかしね、紳士がママチャリってさぁ……。
「笑わないでよ……」
ママチャリを漕ぐ彼の背中に額をくっつけながら、笑いおさまらなかったわたしに罪はないと思うのよ。
スキップ・ビート!|050728初出