その日、社さんとキョーコちゃんのマネージャーさんが、サワラさんに連れていかれてしまい、マネージャーがいなくては動くに動けない俺とキョーコちゃんは、LME事務所ビルの社員食堂で時間を潰していた。(というか、俺が彼女を強引にココに連れてきた。)
日当たりのいい窓際の席で向かい合って座って、俺はコーヒーを、彼女はオレンジジュースを飲み、俺たちが主演の映画の台本を黙々と読み続けるキョーコちゃんを、俺はジッと見つていたのだけれど………。台本に集中している彼女は、俺の視線には全く気付かない。
なんかおもしろくないなぁ。彼女の頬でもつねってみようか……と思っていたら、キョーコちゃんが台本から目をはなし、死にそうな顔を俺に向けてきた。
「何、どうかした?」 真っ青だよ。台本をギュッと握り締めて、手が震えてる?
「どうしよう」 蚊の鳴くような声でキョーコちゃんがつぶやく。
「何が?」
今、目の前の少女が何を悩んでいるか、だいたいの想像は付くけど。まぁ、ここは一応聞いておこう。
「今更、この映画出演のお話を断るわけには…………」
「無理だろうね」
俺のあっさりしたような冷たいような声に反応したのだろう、キョーコちゃんはその細い知的な眉を歪めた。 「…………敦賀さんはご存知だったんですね?」
「何を?」 俺も結構意地が悪いよな。君の言いたいことなんて百も承知してるんだけど。
「…………」
眉を歪めたまま、彼女は徐にオレンジジュースを口に含んだ。「私の言いたいことは、わかってるでしょう?敦賀さん!!」とでも言っているかのような、視線を俺に投げかけてくる。
「俺とのラブシーンのこと?」
「!」 一気に赤く染まる、彼女の顔。首元まで赤いや。
こうやって、思ってることがすぐに顔にでる所は、昔と全然変わってないよな。京都にいたころの君と、いっしょだ。
そう、今回俺とキョーコちゃんが共演する映画は、いわゆる恋愛もので、話の都合上かなり濃いめのラブシーンがあったりするんだけど。もちろん、俺とキョーコちゃんのね。
まぁ、俺は知ってましたよ、確かに。(キョーコちゃんより先に台本を受け取っていたから)
「聞いてなかったの?」
「聞いてませんよ!こんな………こんなシーンがあるなんて!」 さらに頬を染めちゃって、まぁ。
「やっぱり嫌?」
「イヤっていうか」
「君が嫌なのは、ラブシーンそのもの? それとも俺?」
どちらも、嫌だって可能性もある。仕事とはいえ、人前で脱ぐということは、誰でも抵抗を感じるものだし。相手が好きでもなんでもない人だったら、あまりいい気はしないだろう。女の子なら尚更。
好きでもなんでもない人………つまり、この場合俺か。あれ、何で、気分が悪いんだ俺。
「ラブシーンは構わないんです。相手が誰であろうと、それも構いません。一度でも真剣に役者を志したんですから、こんな風になることが予想できなかったわけじゃありませんし」
台本をジッと見つめながら、キョーコちゃんは言う。目は真剣そのものだ。俺はそんな彼女を見て、一人感心していた。
相変らず、君のプロ根性。演技のために体の不調もなんのその、脂汗までかきながら演技をしていた君を思い出した。4年前の事件だ。ラブミー部員として活動を始めたばかりの君。俺はあの頃、君のことがはっきり言って気に入らなかったんだよなぁ。あれから色々あって、君に対する俺の一方的な誤解も解けたし、今は気に入らないなんてことはないけど。むしろ、君は大事な可愛い後輩だと思ってるんだけど…。
4年前、俺が見た君の演技力はたかが知れていた。でも、今はどうかな。技術はなかったけれど、その持ち前の根性で俺を本気にさせたキョーコちゃんの、今現在のの演技力はどんなものだろうか?。結構興味あるなぁ。
「だったら、問題ないじゃないか」
「違うんです。問題があるんです。それも、とてつもなく大きな問題が」
「で、その問題とは?」
俺の問いかけには答えず、キョーコちゃんはオレンジジュースのストローを噛みながら黙り込んでしまった。俺の顔をチラリと見て、また視線を逸らして。彼女の微妙に頬がピンク色に染まっているのは、俺の気のせいではないはず。
「どうしたの?」 そわそわした様子の彼女に、極力優しい声をかけてやる。
「…………敦賀さん、笑いません?」 上目遣いで俺を見るキョーコちゃんが、なんだか無性に可愛らしい。
「内容による」
「笑わないって約束してください」
「約束するよ」
「本当ですね」
「もちろん」
俺が君に嘘をついたことなんてあったかな?と言おうとしてやめておいた。よくよく考えると前科がありすぎるな、俺は。
「本当の本当の本当ですね?」
キョーコちゃんの疑いで満ちたその目。今までの俺の君に対する態度がいけないのは、自分でもよくわかっているけど、やっぱり傷つくなぁ。もう少し信じてくれても、いいんじゃない?
「本当の本当の本当です」
キョーコちゃんはすぅっと、息を吸って、ゆっくり吐いて、それを後二回ほど繰り返す。 「実は………」
「うん」
「実は、私…………」
おもしろいくらいに、みるみる赤く染まっていく彼女の頬。
「………?」
「実は、私……………なんです」
「ごめん、聞こえなかった。もう一度言ってくる?」
「私、まだソーユー経験がないんです!!」
ソーユー経験……………ソーユー経験って、今までの話の流れから考えると、…………ソウイウ経験ですか。
つまり、
その、
君はまだ
………処女だと?
不破尚とは何もなかったのか?とも聞けず、俺はただ言葉を失ってしまって、キョーコちゃんも顔が真っ赤で、二人してしばらく黙って各々の飲み物を見つめていた。
妙な沈黙が俺たちを支配する。とてつもなく、居心地が悪い。何動揺してんだ。ガラにもない。
処女か。それは大変だ。別に映画の撮影中に脱処女なんてことはおこらないけれど(当たり前、あくまで演技だし)、生まれて初めて肌を見せるのが仕事の相手で、周りにはスタッフが何人もいて、スポットまであてられ、さらにはその様子が何台ものビデオに収められることになるわけだ。流石にそれはかわいそうかも。
「だから、敦賀さんや他のスタッフの皆さんにご迷惑をおかけするかも」
「迷惑?」
イヤ、君が少し気の毒なだけであって、俺たちは別に迷惑なんか。
「だって、経験がないんですよ!? どう反応したらいいのかとか、どんな声をだすべきなのかとか、想像付きませんもの!! これっぽちも!」
だんだん、話が生々しく…………。というか、君にとっての問題はソコか。
どう演技したらいいかわからない、そういうことか。
「わ!笑わないって言ったじゃないですか!嘘吐き!」
あれ、ばれた? コーヒーを飲んでごまかしたつもりだったんだけど。どうもこの子の前だと、俺も感情が面に出ちゃうんだよね。他の人の前では、きっちり本音は隠せるんだけど。キョーコちゃんの前だと、上手くごまかせない。なんでかな。
「わるい、わるい。すごいなって思って」
「何がですか」
口を尖らせて、頬を染めるキョーコちゃんは本当に可愛らしい。 今日はやたら、彼女が可愛く見える。
「君の根性と、仕事への情熱」
「敦賀さんほどじゃありません」
「そうかな?」
「そうですよ」
「そうか」
「そうなんです!!」
「あのね、キョーコちゃん」
「はい」
「取り敢えずね、ラブシーンのことは俺にまかせておきなさい」
この場合余計な事をしないで、そうしておくのが一番だと俺は思うよ。こればっかりは、経験が物を言うから。
キョーコちゃんの眉間に皺がよる。何か不服そうだ。  「それじゃ、駄目なんです」
「駄目って何が」
「それじゃ前回と同じことになっちゃうわ」
「前回って」
「4年前、初めて貴方と演技をさせて頂いたときです。あの時と同じじゃ意味がないんです。貴方にまかせれば、それはそれで済むかもしれませんけど、それじゃ私が演技してることにならない。貴方に演技させられているだけなんです。そんなのあの時と、まったくいっしょじゃないですか。イヤですよ。自分がまるで成長してないみたいだもの」
キョーコちゃんは、強い光を放つ瞳を俺にむける。
俺と対等にやりたいってことか。俺の演技に喰われることなく、自分で自分の意思で演技がしたいって言いたいのか。
参ったな。思わず、笑みがこぼれる。
おもしろい、俺と対等にやりたいだなんて。ますます、君に興味がわいてきた。俺と対等に渡り合おうとする君の演技力を身近で確かめたい。
「…………それじゃあ、予行演習でもする?」
「は?」
何のことやら、と目を点にする彼女に、俺は彼女にしか見せない意地の悪い笑顔をむけてやる。すると、俺の言葉の意味がわかったキョーコちゃんの頬に、本日何度目か、赤みがさしてきた。
「よ……よ……よこ……演習ッテ……っ!」
うん。いい反応。
「君はイチオウ可愛い後輩だから、俺の体のレンタル料は免除してあげるよ?経験がないのが不安なら、経験すりゃいいわけだしね」
「ふ!フザケナイデ下さ―――――――――――――い!!」
一人のいたいけな少女の怒号が、ぽかぽか陽気の社員食堂にこだまする。
君って本当にカラカイがあるよね。
毎回、毎回、こちらが思った通りに反応が返ってくるものだから、おもしろくてしょうがない。



(スキップ・ビート!,2003)(2006/01/02改)