莫迦ねえ。
 ソフィーの開口一番がそれだった。もっともっと甘い囁きを望んでいたハウルは期待はずれも甚だしいそれに 「酷いや」 と涙雑じりに訴えた。
「酷い。酷すぎるよソフィー。ぼくがこんなにも苦しんでいるというのに。それが愛する夫に言うべき台詞かい?」
 熱に浮かされて高揚した頬に、腫れぼったい瞼。さっきから止まるとことを知らない鼻水に、いつものバリトン声はどこへやらのガラガラの喉。目が覚めたらこんな酷い有様だったのだ(そのときのハウルの動揺っぷりと言ったら傍から見ている分には、最高に面白いひとコントだった)。
「酷いや……」
 本当は立ってるのも辛いのに。辛い体をおしてソフィーのもとにやってきたのに。優しい声をかけてもらって、抱きしめて欲しかったのに。なのに。「莫迦ねぇ」 は酷すぎやしないかい?
 いくら、ハウル自身がソフィーの忠告を無視して風呂上りに髪の毛を乾かさないで寝てしまったのが、風邪の原因だからといって。
「ただの風邪でしょ。ちょっと寝てれば治るわよ」
 大げさな仕草で、自分がいかに辛いかを力説する夫であるが、しかし妻のほうはというと存外あっさりしたもので。
 ほらとっとと城に戻って、あのゴミ溜めのような部屋で休んできなさいな。そう言って、ソフィーはハウルを城に戻るように促した。夫はというと愛する妻のあまりな態度に呆然としている。ぐいぐい背中を押して自分を無理やり城に押し込もうとする妻に、はっと我に返ったハウルはどうにか踏ん張ってその場に止まり、ソフィーに向き直った。
「ちょ、ちょ、ちょっと、ソフィー!?」
「なに?」
「ソフィーは……ソフィーも一緒に戻らないの?」
 ハウルが尋ねれば、ソフィーはちょいちょいと足元の洗濯籠を指差した。
「あたし、お仕事が残ってるの」
 だから、ハウルはひとりで部屋に戻ってね? ソフィーはさらりと言い放った。
 嗚呼、にっこりと笑うその桜色の口元が憎らしい。
「そ、そんなのマイケルにやらせればいいじゃないか!」
 喉がイガイガとするのも構わずハウルは叫んでみたが、ソフィーはハウルの言葉を少しも取り合おうとはしなかった。
「何言ってんの。マイケルはあんたから与えられた課題をこなすのに必死に勉強してるのよ? お勉強の邪魔なんてしちゃかわいそうじゃない」
「そんなこと言うなら、マイケルには、課題の期限を延ばしてあげるから」
「いつもはマイケルが泣いて期限を延ばしてって頼んでも、無視するくせに、こんなときばかり莫迦いわないで。それに、お洗濯はあたしの仕事よ?」
「ソフィーには新しい仕事をあげるから! 洗濯はあとにして、先にそっちの仕事してみようよ。そうしよう、ソフィー!」
 ああ言えば、こう言う。なんとしてもソフィーに仕事を止めさせたいのか、ハウルはしぶとく食い下がってきた。熱で潤んだ瞳で懇願するようにソフィーを見つめるハウルの情けないこと。美男子がもったいない。
「ね? そうしよう?」
 呆れて物も言えないでいるソフィーに、尚もハウルは詰め寄る。
 ソフィーより10歳近くも上のくせに。ソフィーよりも頭1個分以上も背が高いくせに。ソフィーよりもずっとずっと強い魔法使いのくせに。
 ソフィーはふうとひとつため息をついて、ハウルの額にそっと掌を添えた。予想以上に熱をもったそれに、内心ちょっと驚いたりもして。
「で、あんたのいうお仕事って何かしら?」
 まあ洗濯物を干すのは後からでもいいか。
 仕事をきちんと片せないと落ち着かない気もするけれど、夫の風邪は思った以上に酷いようだ。よく見れば、ハウルの首筋には冷や汗まで流れていた。顔色は白いのを通り越して青くなっているではないか。よくもまあこんな状態で、自分のところにまで歩いてやってきたものだ。
「愛する夫の看病」
「具体的には何をすればいいのか教えていただける?」
 言いながら、ソフィーは再びハウルの背中を押した。
 今度はソフィーも一緒に城に戻るつもりらしい。そんな彼女にハウルは実に嬉しそうに顔を筋肉を緩ませた。
「ぼくが眠るまで傍にいて」
 そして、背中を押すソフィーの手をとって、ハウルは言った。
「それから手も繋いでて」
「困った旦那だんだこと!」


甘ったれハウル。莫迦と書いて愛しいと読む。(ハウルの動く城,2004/12/05)(2005/12/31改)