・整理してたらこんなの見つけた
・焔×鋼
・兄さんが姉さんになってる
・2006年ぐらいに書いたやつ
・姉さんは手足を取り戻してる設定になってる
・姉さんは軍に残ってる
・焔がそれなりにえらくなってる
・オリジナルキャラがいる 出張ってる
・回収しきれていない伏線がある(焔がげそっとしてるのは各方面からお見合い攻撃をうけてたからなのね)
・少女マンガ脳フルスロットル











 親愛なるハイネ

 返事が遅れて悪かった。このひと月、死ぬほど忙しかったんだ。本当に悪かった。
 セントラルは相変わらず目が回るのを通り越してうっかり白目をむいてしまいそうな激務が続いている。神経性胃炎や胃潰瘍で苦しんで、文字通り血を吐いている同僚も少なくない。何を隠そう僕も胃がきりきりと痛む毎日だ。というか、僕の場合、配属先が悪かったんだと思う。士官学校卒業後、それぞれの配属先が決まったときは、君も含め、みんなが口を揃えて「羨ましい」だの「贅沢者」だのと僕に言っていたけれど、僕にはやっぱり貧乏くじを引いたような気がしてならない。
 花形といえば確かに花形だけれど、マスタング准将の管轄は激務のセントラルのなかでも群を抜いて激しさが目立っている。ここだけの話、准将ご自身が噂に違わず、いや、それ以上の究極のサボリ魔だから、堪ったものではない。下っぱである僕たちが必然的に大量の仕事をこなさないといけないというわけだ。この先、有給さえきちんととらせて貰えるのか、ひじょうに不安なところだよ。
 ハイネ、君にこんなことを言うのは無神経なことなのかもしれないけれど、僕にとっては君こそが羨ましいよ。僕は北方司令部でのんびり過ごしたい。そして僕にはそのほうが性に合ってると思う。何故こんな僕がセントラルに配属になったのか、今でもわからないんだ。君のほうがよほど優秀で、真面目であるのに。
 そういえば、錬金術の研究は進んでいるかい? 先日、エルリック少佐に君のことを話したら、是非一度会いたいと言っていた。いつかセントラルに戻ることがあったら、きっと研究所に立ち寄ってくれ。君が国家錬金術師になれる日を、僕は心から楽しみにしているよ。

 ヨハン=シゼル









 アメストリス国軍立科学技術研究所(旧第五研究所)の中層の最奥(第五研究所時代は書庫として使用されていた部屋だ)が、同研究所副所長エドワード=エルリック少佐の執務室、兼、研究室だった。彼女(少佐はれっきとした女性だ)は、いつもその部屋に篭っている。部屋から出てくることは滅多にない。食事のときさえ部屋にひとり篭り、ここひと月は自宅に帰っている様子すらなかった。
 ヨハン=シゼル少尉がその部屋を訪れると、部屋の主の姿はだいたいにして雑然と積み上げられた分厚い書物の壁の向こう側に隠れている。貴重な文献が無造作に放置されていて足の踏み場もない床もなんのその。その目も当てられない惨憺たる有り様にもすっかり慣れたヨハンが散らばる書物と書物の合間からのぞくわずかな隙間を器用につま先だけで探し当て、ようやっとたどり着いた先―――積みあがった書物の上から、その長身を生かしてひょいと顔を覗かせれば、少佐はたいてい床に広げた紙と睨めっこしている。睨めっこをしていないときといえば、少佐は大の字で床に転がって昼寝をしているのだが、8割方は少佐は床に座り込んで紙に向かい、研究に没頭しているのだった。
 そして今日もヨハンが顔を覗かせると、エルリック少佐は例によって例の如く鉛筆を片手に床一面の文献と計算用紙に向かっていた。床に蹲り白衣に包まれた狭い背中は、18歳の少女のそれというよりも、少年っぽさが漂っている。軍人として鍛え上げられた身体に女性らしい円やかさが絶対的に欠けているせいだと思われるが、シゼルがそれを少佐本人に面と向かって言ったことはない。科学者として一流な少佐は武術も男性軍人負けで、しかも性格も男のように荒っぽくガサツだ。そんな彼女に滅多なことを言えば即、罵倒とともに強力な鉄拳が飛んでくることは間違いなかった。ヨハンは自らすすんで三途の川を渡りにゆくような物好きではない。
 「エルリック少佐」
 少佐のハニーブロンドのざんばら髪が窓から入り込んできた風に揺れた。いつ目にしても綺麗な色だ、とヨハンはつくづく思う。こんなに綺麗なのだから、きちんと手入れを施して伸ばせばその美しさはさらに増すだろう、とヨハンは常々思っているのだが、肝心のエルリック少佐にはそのつもりは毛頭ないらしい。
 いつだったか、何故髪を伸ばさないのかとヨハンの同僚が少佐に尋ねていたが、少佐は鼻の上に皺を寄せて 「そういうのもセクハラっていうんだぞ」 と、その同僚に釘を刺した上で答えた。曰く、長い髪を洗うのは面倒だから、だそうだ。およそ妙齢の女性らしからぬ言動だった。同僚も、そしてそんなやりとりを隣で聞いていたヨハンも思わず絶句したものだ。
 「少佐、聞いてます?」
 無造作に顎のあたりで切り揃えられた髪を鬱陶しそうに掻き揚げて、少佐はヨハンに目をとめた。ずっと俯いて作業をしていたからだろう。黒縁眼鏡が鼻にかかっていた。
 「あれ、ヨハン?」
 たった今部下の存在に気づいたような口ぶりはいつものこと。作業に没頭していただけの話だ。
 「どした? 何かあった?」
 少佐の男のような口調と、そして些か砕けすぎた感も否めない話しっぷりに、ヨハンは初対面のときこそ驚いたものの、今となっては違和感を覚えることはない。少佐とは、ヨハンがふた月ほど前に士官学校を卒業した以来の付き合いだ。ふた月も彼女の下で働けば、いい加減慣れるというものだった。
 「マスタング准将からお電話があったんですが」
 「准将からぁ?」
 何でだよ、と少佐は眉間に皺を寄せてヨハンを睨み付けるけれど、ヨハン自身には一切の非もない。彼は一介の下仕官(謂わば、中間管理職)だ。只、上官の言伝を預かってきただけだ。責められる謂れはなかった。
 「少佐、僕を睨まないでください」
 「悪い。悪い。あいつの名前を聞くと反射的にだな……こうぞわぞわと悪寒が……」
 ぶつぶつと呟く少佐に嘆息を零しつつ、ヨハンは言う。 「先日お話があった、シン国の式典にご出席される准将の護衛の件についてでしたよ」
 ああ、と少佐は納得したように頷いてみせ、そしてすぐに顔を不機嫌そうに歪めた。
 「ついこの間、すっぱり断ったはずだぜ?」
 「僕も一応そうお答えしたんですけど、如何せん准将が是非にとおっしゃって退いてくれませんので。それにホークアイ大尉を介してではなく、准将自らがお電話くださったのですから、よっぽど……」
 「断っといて」
 ヨハンの言葉を遮って、少佐はにべもなく言い放った。取り付く島もない。
 「は、はあ……あの、少佐」 ヨハンは言い難そうに続ける。 「こんなこと今更かもしれませんが、相手は仮にも“准将”なんですよ?」
 少佐は一瞬きょとんとした様子で、目を見開く。それが何か、とでも言いたげだ。
 「………あ。ああ、そっか、そっか。お前から断らせるのも酷ってヤツだよな。いいよ、俺から断っておく」 少佐は心得たようにヨハンに笑って見せた。
 「あ、いや、そういうことではなく……お心遣いには感謝しますが。えっとですね、少佐。僕は自分が准将にお断りの言葉を申し上げるのが嫌だと言っているわけではなく……」
 実際、彼のマスタング准将の頼みを退けるというのは気がひけなくもないが、ヨハンの直属の上司はあくまでエドワード=エルリック少佐だ。少佐が是と言えば、ヨハンにとっても是であるし、少佐が非と言えば、当然ヨハンにとっても非だ。だから、ヨハンは少佐に従うことに抵抗はない。
 「?」 少佐は小首を傾げて、ヨハンを仰ぎ見ている。
 「あの、余計なお世話とは承知していますが、どうしてマスタング准将の護衛を断るんですか? 准将の護衛となれば、それはそれは大変名誉なことと思いますが」
 本当に余計なお世話だなぁ。少佐は苦笑い交じりに呟いた。 「あのな、俺が“名誉なこと”に興味があると思う?」
 「まったく」
 そうだろう、と少佐は頷く。
 「でもまわりへの牽制にはなるでしょう」
 「まわりって……。なんだよ、また本部の連中から嫌味でも言われた?」
 若干18歳であり、女でもあるエドワード=エルリック少佐の存在を快く思わない輩は、それこそ腐るほどいる。ふだんは研究所に篭っている彼女とて、たまには研究所から目と鼻の先にある軍総司令部に赴かざるをえないときもあるのだが、行けば必ずや誰かしらに謂れのない嫌味やら、嫌がらせを受けるのだ。
 「研究所宛に匿名の不幸の手紙まがいなものも届いてます。剃刀付きですよ。今度実物を持ってきましょうか?」
 「いらねぇよ。剃刀って……物騒というか、お子ちゃまかよ……」
 「暇人なんでしょう」
 お前も言うねぇ。ヨハンの言い様に、少佐も苦笑した。 「まあ、そういう奴らをいちいち相手にしてもしょうがないだろ。それに俺が本当に准将の護衛なんかしてみろ。牽制どころか、火に油を注ぐようなもんだ」
 「そうですかね」
 「そうだと俺は思う」
 「わかりました」  ヨハンは頷いた。納得しがたいものがあるが、これ以上何を言っても少佐の言うことは変わらないだろうし、あまりしつこく食い下がるのも面倒だった。 「とりあえず僕から折り返しお断りの電話をいれておきますが、それでよろしいですか?」
 「ん? いいよ、アイツには俺から言っておくってば。あんな男でも、一応准将だしなー。軍に入ったばっかのお前に言わせるのも可哀相だ」
 「はぁ……」
 「何んだよ」
 いえ、とヨハンは言葉を濁した。ヨハンはそもそも少佐の“准将”たる男に対するぞんざいな扱いが解せない。だんとつの出世頭であるマスタング准将を掴まえて“アイツ”だとか“あんな男”だとかさらりと言えてしまえる、その度胸。天晴れだとも思うが、ヨハンはやはり解せない。元来、エルリック少佐は目上の人に必要以上な礼儀をつくしたり、おべっかを使用するタイプではないけれど、しかし、彼女はそれ相応の人には彼女なりにしっかりと敬意を示す軍人だ。ヨハンはマスタング准将を決して愚鈍な上官だとは思わない。あの究極のさぼり癖はさておき、しかしそれを差し引いても有り余るほどの才覚を持った男だ。出世頭の名前も伊達ではない。そして、ヨハンはエルリック少佐がそんなマスタング准将の才覚をきちんと量ることが出来ていないとも思えなかった。だとしたら、何故、彼女はこうも准将をぞんざいに扱うのか。
 「ではマスタング准将へのご連絡は、お手数ですが、少佐、よろしくお願いします」
 「構わねーって言ってんじゃん。まったくお前は律儀だなー」
 かかか、と少佐は笑いながら、腰をあげた。
 「んじゃ、ちょうど本部に用もあったし、ちょっくらあいつに会って言ってくるわー」
 「お供しましょうか?」
 ん? とエルリック少佐は白衣に手を突っ込み、長身の部下を見上げた。んー……と少佐は悩む素振りを見せたが、結局彼女は部下の申し出を断った。
 「ありがとうな、ヨハン」
 「いえ。お気をつけて」




 「あら」
 書類を両手一杯に抱えながら廊下を歩いていたリザ=ホークアイ大尉は、向こうから不機嫌そうな面持ちで歩いてくる白衣の少女を見つけた。珍しいこともあるものだ。大概、昼間は軍立科学技術研究所に篭っているエドワード=エルリック少佐を、ここ、セントラル軍総司令部の本部建物で見かけるだなんて。
 「エドくん!」
 名前を呼べば、少女がそのハニーブロンドを揺らして顔あげる。彼女はホークアイの姿を目にとめた途端に、眉間にきつく寄っていた皺を解いて、満面の笑みをこぼした。
 「大尉!」
 そう言って駆け寄ってくる少女はまるで毛並みのよい仔犬のようで、ホークアイは自然と口元を綻ばせた。階級こそ少女のほうが彼女より上だが、少女が軍に正式に入隊するより以前からの縁で少女はホークアイを姉のように慕い、そしてホークアイは少女を妹分のように可愛がってきた。その関係は、今でもずっと変わらないままだ。
 「久しぶり、大尉!」
 「ええ久しぶり。元気にしてた?」
 まあね、と答えながら、少女エドワード=エルリックは何気ない所作でホークアイが抱えていた大量の書類の半分を自分の手に取った。
 「どこに運べばいいの? 准将の部屋?」
 「ええ。ありがとうね、エドくん」
 大人の男だってこんなに気の利く人間は少ない。見た目や言動は言わずもがな、中身まで男よりも男らしいエドワードに、ホークアイはときめきにも似た感情を覚えてしまう。そんなホークアイの胸中を知ってか知らずか、エドワードは自分とホークアイがそれぞれに抱えた山のような書類を交互に見つつ、うげっと呻いた。見ただけでやる気を殺がれてしまうような量だ、とエドワードは思った。こんなものを目の前に突き出された日には、サボリ魔のロイ=マスタング准将でなくたって、裸足で逃げたしたくなるというものだろう。一抹の同情をロイに覚えながら、エドワードは心の中で合掌した。
 「大変だなあ……」
 「そうねえ」
 「あいつもだけど、大尉もあいつのお守で大変そうだ」
 ふふ、とホークアイは笑う。綺麗に整った眉を八の字にして、嘆息をつくエドワードの可愛らしいこと。激務の続く軍のなかで、数少ない癒しだと、ホークアイはつくづく思った。悲しいのは、その癒しが最近なかなか本部に顔を出してくれないということだ。研究所と本部建物は広大とは言え同じ敷地内にあるのだから、もう少し顔を出す回数を増やしてくれないものだろうか。
 「私はもう慣れたものだけどね。そういう君も最近忙しいみたいじゃない。ちっとも本部に顔を出してくれないから、皆寂しがってるわよ。今日珍しくここに来てくれたのも、何か用があったからでしょう?」
 「うん。必要な文献を借りに来たんだ。ついでに“あいつ”に用があったんだけど、丁度留守でやんのあいつ」
 ああ、だからか。ホークアイは合点が行ったように頷いた。だから先ほどのエドワードは不機嫌そうな顔をしていたのだ。お目当ての人間がいなくて、不貞腐れていたのだろう。
 「まあいいけどね。文献は借りられたし、さっき皆に会えたし、それに研究所に帰ろうとしたら丁度大尉に会えたし」 にかっと笑って、エドワードは言った。
 「エドくん、今すぐに研究所に戻らなきゃいけないの? お茶でも飲んでいかない? どうせ准将もすぐにお戻りになるわ」
 「え、すぐ戻るの?」
 「ええ」
 ふーん。どうしようかな。エドワードは微かに汚れた天井を見上げながら、唸った。
 「ねえ、エドくん」
 「ん?」
 「君、痩せた?」
 そうかな? エドワードは身体を揺すって、服と身体のバランスを確かめる。
 そんなに痩せたとも思わないのだけれど。そういえば、最近ちょっと研究に没頭しすぎて飯もろくろく食べていなかったかな、とエドワードは思った。
 「俺、そんなに痩せてみえる?」
 「准将がご覧になったら、顔をしかめるでしょうね」
 「うえー、やっぱり帰ろうかな。あいつ、最近会うたんびに、お小言がすんげーの。やれ髪の毛を梳かせ、やれ白衣を洗え、やれ言葉遣いを直せって。もううるさいったらねぇんだからよ……」
 「心配なんでしょう」
 エドワードはけっと言い捨てた。
 「たまにはゆっくりしなさい。お仕事もいいけれど、君は少し休憩することも覚えたほうがいいわ」
 ね? だからお茶していきましょう?
 にっこりと笑う美貌。この美貌の前に勝てる人間は、軍のなかでもほとんど、いない。エドワードも彼女の笑顔に勝てない人間のうちのひとりであった。




 ホークアイはエドワードに痩せたと言ったけれど、痩せたというのなら、むしろこの男のほうがよっぽど痩せたのではないかとエドワードは思った。
 執務室の隣の応接室のソファで、ホークアイが用意してくれたお茶を優雅にすすってみせる男、ロイ=マスタング准将の顔色はたいへんよろしくない。えらく余裕そうに装っているようだが、目元のくまは目立って仕方ないし、顎から首にかけての肉は削げ落ちすぎて、げっそりとしているようにも見受けられた。
 「おい、大丈夫かよ」
 センターテーブルを挟んで、ロイの向かいに腰かけるエドワードは、さすがに心配そうな目つきで目の前の上司を見やった。数週間ぶりに見た上司のこのやつれ様はどうしたことだろう。先ほど彼の執務室まで運んだ資料の山を思い浮かべたが、ロイ=マスタングともあろう人が膨大とはいえ所詮紙切れでしかないものに、ここまで精神をすり減らされるとはエドワードは思えなかった。
 「何がだね」
 白を切るその様が、逆に痛々しい。
 「倒れそうじゃん」
 「馬鹿を言え。それを言うなら君はどうだ。痩せすぎて、胸なんか出るどころかひっこんでいるように見えなくもないが?」
 エドワードは手にしていたカップを目の前の男に投げつけたい衝動に駆られたが、折角敬愛するホークアイ自らが淹れてくれたお茶だ、と必死に堪えた。
 「セクハラって言葉知ってるか? この無能」
 「君にセクシャルな魅力があるとも思えん」
 「そういう台詞が、セクハラっていうんだよ!」
 エドワードはくわっと叫んで、机を叩いた。
 「だいたいなんだテメー。俺に魅力がないだとっ!? お前こそいつぞやは俺に、こ……こ……こくは……」
 かあっと赤く染まってゆく頬を意識して、しまった、とエドワードは顔をしかめた。勢いで口が滑ったものの、羞恥という感情故にそれは潔く滑りきることすらできずに、エドワードの咽の奥に引っ掛かり、吐き出すことも、かといって今更飲み下すこともできない。
 か、格好悪……!
 思わず曝してしまった醜態に、エドワードは穴にあったら入りたいとさえ思った。だいたい何だって、自分がこんなに恥ずかしがらなきゃいけないのだろう。自分はただ目の前の男にその気持ちを打ち明けられただけだ。
 なにをって、そう、ロイ=マスタングの気持ちを、だ。
 嗚呼、逃げ出せるものなら、逃げ出したい。けれどこのままお茶を飲みきらずに逃走をするのも、ひじょうに癪だった。エドワードはぷるぷると震える手を必死で抑えこんで、なんとか紅茶を咽に流し込んで、己の気持ちを落ち着けようと試みた。
 そんなエドワードの所作の一部始終をしっかりと観察していたロイ=マスタングは、軽く目を見開いて、そして驚いたように言った。 「なんだ、ちゃんと覚えていてくれたのかね?」
 「あ、あのな……」
 ふざけるなよ、とエドワードは思った。人を散々悩ませておいて、その言い草はなんだ。覚えていたのか、とは何事だ。覚えていたに決まっているではないか。とはいえ、彼女のプライドが「実はそのことで散々悩んでいたんです」などと口が避けたって言わせないけれど。
 「忘れらていたのかと思ったよ。君があれ以来ちっとも返事をくれる様子がなかったのでね」
 「ちっともってよ……」
 そもそも返事をするどころか、ほとんどろくに会うことすらなかったではないかという言い分は通用しないだろう、とエドワード自身よくわかっていた。実際、ロイからの思わぬ告白以来、エドワードは意図的に本部に立ち寄ることを避けていた節があった。たまに本部に寄ってみても、ロイに会わずに帰ってきてしまったり、会っても必要な仕事の話だけで終わらせてみたり。
 わかっている。悪いのはエドワードだ。でも、とエドワードは思わずにいられない。いつぞやの特攻のような告白劇以来、ロイの様子はそれまでとちっとも変わらなかったではないか。日が経つにつれて、あれは夢だったのではないかと、白昼夢でもみたのではないかと真剣に悩んでしまったエドワードの気持ちも汲んで欲しいものだった。ロイだけに被害者面をされるような覚えは、エドワードには少しもなかった。
 はあ、とエドワードは嘆息を零す。こちらの気持ちを汲んで欲しいと思えども、かといってそれを臆面もなく曝せるほど、エドワードは素直ではなかった。
 「このまま保留ってのは駄目?」
 「ふた月待った私に、これ以上待てと言うんだね」
 相変わらず青白い顔にじっと見つめられて、ちっとエドワードは舌打ちした。
 「女の子が舌打ちなんてやめなさい」
 「うっせーよ。だいたいあんた最近何だよ。いちいちうるさくて、だから嫌なんじゃん。あんた何様よ。俺のお父様かよ?」
 「おと……」
 ロイは絶句した。よりによって父親? 好きだ、と。愛している、と気持ちを打ち明けた女の、父親?
 「わ、私に、近親相姦のような妙な趣味はないのだが」
 微かに震える声に、エドワードは自分が思ったより彼にダメージを与えたらしいことに気づいた。
 「十以上も離れた小娘に性愛を感じる大人も充分妙だと思うぜ。つーか、ぶっちゃけ変態?」
 追い討ちをかけるように、病院に行ってみたらどうだ、とにこやかに薦めると、ロイは打ちひしがれたように突っ伏した。
 「随分と酷いじゃないか、鋼の」
 「いつも通りだ。いつもど、お、り」
 エドワードはずずと紅茶をすすって、一息つく。ロイも同じようにカップに口をつけた。
 「―――ところでさ、例の護衛の話だけど」
 何気なさを装いつつも、不自然さの拭い切れないエドワードの話題転換に、しかしロイは嫌な顔をせずに頷いてくれた。エドワードはロイの態度にほっとしてよいものか、それとも実はロイに抗議して欲しかったのか。彼女はそんな己の煮え切らない気持ちに無理やり蓋をした。
 「前も言ったけど、断る」
 ロイは今一度紅茶を口に含んだ。 「……理由を、尋ねてもよいかな」
 「理由は多忙、以上」
 その一言に、ロイが納得した様子は当然の如くない。ロイの無言の圧力がエドワードに先を促す。
 「……他に理由をあえて付け加えるとしたら、わざわざ俺が選ばれなきゃいけない理由が見つからない」
 「私が君を選んだのことに、私情を挟んでいるからだとでも言うのかね?」
 「違うよ」
 そうだ、と言ってしまえば、逆にロイの要請を拒絶することもまた私情である、と言い返されてしまうだろう。だからエドワードは敢えて首を横に振った。
 「違う。ただ俺以上の適任者はそれこそ沢山いると思う。よりによって、マスタング准将の護衛なんて仰々しい仕事を、こんな小娘がこなすのも変は話だろう」
 「君は少佐だし、国家錬金術師の資格も持ってる。充分、それが君が選ばれた理由になると思うがね?」
 「でも、女だ」
 「ホークアイ大尉も女だよ」
 「俺は18歳だ」
 「それが何か?」 ロイの声は淡々として、抑揚に欠いていた。 「君はそれを気にしているのか?」
 「いや、まわりが」
 「まわりが気になる?」
 「面倒は避けたい」
 「それならば、君は軍をやめればいい」
 はっと顔をあげたエドワードに対するロイの顔は静かだった。
 「君がこの軍のなかで異質な存在であるのは今に始まったことではないだろう。それが嫌なら軍なんぞやめてしまえばよい。それだけだ」
 揺れる金色の瞳を、漆黒の瞳が静かに射抜く。
 「君の代わりなんぞ、それこそいくらだっているんだよ、エルリック少佐」
 “鋼の”と呼ばず、敢えて“エルリック少佐”と呼んだロイの真意を、エドワードは正確に汲み取っていた。おまえは軍人だ、と。そういうことだろう。
 「君の言う通り、私の護衛をやれるだけの力を持った人間はいる。そして、君が今心血を注いでる研究だって、私にもやろうと思えば出来る。私に足りないのは、それに裂くだけの充分な時間だけだ」
 お前なんぞいらない。言下でそう言われて、エドワードがぎゅっと唇を噛み締めて、俯いた。膝の上におかれた掌は、それぞれ拳をつくり、血管が浮き出ている。きちんと血の通った両手。機会鎧ではない右手。ズボンに隠れた左脚も、もはや機械ではない。血の通う暖かな手足を再び取り戻したときから、既に半年が過ぎた。
 念願の手足を得て、それでも尚、軍に留まり続けると言ったのはエドワードだ。そしてそのとき断固として反対し続けたのが、彼女の後見人であったロイ=マスタングだった。ロイは今尚、エドワードを軍から追い出そうとしている。エドワードが退役して、ふつうの18歳の少女らしく生きることを望んでいる。
 「俺は軍を辞めないぞ」
 「だとしたら、君は上の命令には従う義務がある。ここはこどもに好き勝手をさせてあげる幼稚園ではないのでね」
 こども、と言われて、かっとエドワードはロイを睨みつけた。こうやってロイの挑発に乗ってしまうこと自体がこども染みたことであえると、エドワードとて重々承知している。が、どうにもこうにもロイはエドワードの神経を逆なでするのが巧すぎた。
 「あんたは……! そりゃ俺はあんたに散々世話になったけどな、だからといってあんたに俺の人生云々を何だかんだ言われる覚えはねぇぞ! あんたが俺を好きだろうが、嫌いだろうが、俺は俺の生きたいように生きる!」
 「生きるには柵(しがらみ)はつきものだよ、鋼の。どこで生きようがそれは同じこと。軍にいようが、或いは嘗ての君のように旅をしていようが。エドワード=エルリック少佐、これは命令だ。私について来なさい」
 「嫌だ!」
 「鋼の、甘ったれるのもいい加減に……」
 「あんたが甘やかすんだろう!」
 本日最大の声でエドワードは叫んだ。
 「俺が甘ったれてるんじゃねぇっ、あんたが俺を甘やかそうとするんだよ!! 俺だって上司の命令が絶対だってことぐらいわかってら!! そもそも何が護衛だっ。自分のことなんか自分で充分守れるくせに、何で俺に頼むよ!? だいたい何かあったらあんたは俺に守られるどころか、逆に俺を後ろに押し込めて、何もさせないんだっ。 そのくせ口先じゃぁ、護衛しろ、だぁ!? ふざけんなっ、人を馬鹿にすんのも大概にしろ、このっ無能!!」
 一息に言い切って、エドワードは肩をぜいぜいと上下させた。
 一分か、十数秒のことか。或いは十秒にも満たない時間か。エドワードとロイは真正面からお互いがお互いを睨みつけるように、見詰め合って、そしてほぼ同時に嘆息を零した。
 「下は上に馬鹿にされるものだ」
 悲しい世の中だね。でもそれが世の中ってものだよ、とロイはもっともらしいことをしゃあしゃあと言う。
 「近頃じゃ、パワーハラスメントって言葉も流行ってるらしいぜ」
 「ああ言えば、こう言う……」
 これだから口だけが達者なこどもは手に負えない、と言わんばかりにロイは天井を仰いだ。
 「俺は絶対について行かねぇぞ」 念を押すエドワードの口調は、駄々をこねるこどもそのものだった。
 「私は君について来て欲しい」 対するロイの声色は、もはや上司が部下を諭すような響きではなく―――。
 「なんでだよ」
 「君をひとりで置いてゆくのが心配でたまらん」
 たかが一週間かそこらの出張とはいえ、彼女をこんな狐や狸の巣窟に置いて行けというのか。
 「やっぱり私情ばりばりじゃねぇか、糞上司!」
 「断る君も私情だらけだ。たとえば私が君に想いを打ち明けていなかったとして、そうしたら君は別段何を考えこともなく、この仕事を引き受けてくれたであろうし」
 「そんなことな……!」
 「そんなことはないと言い切れるかね? そもそも私情が悪いとは私は思わんよ。それでやるべきことを見失うようでは、いけないとは思うがね。いいかい、エドワード=エルリック。私は君を女性として愛してるし、守りたいとも思っている」
 ふた月前の告白を再現されたかのようで、エドワードはたまらず俯いた。
 なんだってこう、この男はこういう台詞がさらりと言えてしまえるのだろう。それがエドワードには理解しがたい。きっと一生真似出来ないだろう、とエドワードは思った。真似したいとも思わないが。
 「……俺を女扱いするな。差別だ」
 「違うな。私は、君を性別で蔑んだことはないよ」
 そんなことわかってら。どうにかして反抗したかっただけだい。頬を膨らまさんばかりの勢いエドワードに、ロイは苦笑をこぼした。エドワードはこういうとき妙にこどもじみていて、困る。それすらも愛しいとさえ思えてしまえるのだけれど。
 「そんなに君を女扱いする私が嫌かね?」
 「反吐が出る」
 「……」
 即答だった。ロイは傷ついた。大変傷ついた。
 言ったエドワードのほうも、少しばかりきまりの悪そうな顔をしている。言い過ぎたとでも思っているのだろう。それが少しだけ、ロイを癒した。ほんの少しだ。




 「結局ついて行かれるんですね」
 「……」
 不貞腐れる上司の背中を見やりながら、ヨハン=シゼル准尉は苦笑した。
 鼻息も荒く研究所に戻ってきたエドワード=エルリック少佐は怒りまかせに、研究資料に身体を向けている。
 「とりあえず、少佐」
 「何だよ」
 いつにも増してぶっきらぼうな口調を気にした様子もなく、ヨハンは淹れたばかりのミルクティーを興奮中の少佐に差し出した。
 「お茶にしましょう。頭に血が上ってちゃ、研究も捗りませんよ」
 ヨハンのもっともな言い分に、エルリック少佐はしぶしぶといった風に従った。彼女がミルクティーを受け取るのを見て、ヨハンはにっこりと笑う。こういうときに改めてエドワード=エルリックはヨハンよりも三歳年下なのだ、とヨハンは実感する。天才と謳われるその頭脳も、少佐という階級が不釣合いな18歳という年齢も、軍人というには華奢すぎる肢体も、軍においては不自然で異質なものに見えるものすべてが、自然なものに思えてくる。エドワード=エルリックは元来とても素直な子なのだ。彼女の下で働くヨハンはそれをよく知っていた。そんな少女が、あのマスタング准将においそれと勝てるわけがない。今日、直接マスタング准将と話をつけてきたらしい彼女が、本部で准将といったいどんな会話を繰り広げてきたのか、ヨハンには知るよしも無いが、彼女が准将にとことんやり込められてきたらしいのは、護衛を引き受けることになったという結果だけで簡単に想像できた。
 大人の世界の汚い言葉の駆け引きを、少女は知らない。否、ヨハンよりも軍にいる時間は彼女のほうがよっぽど長いのだから、彼女とて頭ではわかっているはずだ。でも出来ない。或いはしないでいてこれた。おそらくは、ロイ=マスタング准将、その人のおかげで。
 彼女の後見人であり上官でもあるというマスタング准将が、いかに彼女を大切に慈しんでいるのか、ヨハンは身をもって知っている。ヨハンがエドワード=エルリック少佐つきになってひと月ほど経ったある日に、准将として多忙な日々を過ごすマスタング准将が、ヨハンにエルリック少佐をどうか守ってやって欲しいと言って頭を下げたのだ。仕官学校を卒業して間もない自分に曝された准将の後頭部を、ヨハンは今でも鮮明に思い出せる。あの時感じた衝撃はそうそう簡単に忘れられるものではない。衝撃のあまり、滅多にのらない調子にのってしまったヨハンが、「守ってやってくださいなんて、僕が彼女を利用しようとしたらどうします? 准将が今おっしゃったことは准将の弱点を僕に曝したようなものですよ」とマスタング准将に言ってみれば、「ひと月ほど君を見てきたが、君みたいなやる気のない人間に誰かを利用してまで上へ這い登ろうなんて高尚な心がけがあるとも思えんのでね」と、マスタング准将は余裕の笑みで切り替えしてくれた。絶句するヨハンに、マスタング准将はもちろん脅しもしっかり忘れなかったが。曰く、「万が一にも、君が何か彼女に危害を加えるようなことがあれば―――」、以下、ヨハンの想像に任せるとのこと。あれは怖かった。仕官学校時代の実地の訓練よりも怖かった、とヨハンは思い出すだけで身震いできる。人間、調子に乗ってよいことなんぞ、ひとつも、ない。
 「どしたよ、ヨハン」
 「い、いえ。少しばかり嫌なことを思い出しまして……」 腕を擦り、ヨハンは気を取り直すように言った。 「しかし、困りましたねぇ」
 「何が」
 「マスタング准将と、少佐が一週間もいなくなってしまうとなると、研究所の責任者が二人揃っていなくなってしまうわけで……。ほら、准将はこちらの所長という肩書きもお持ちじゃないですか」
 「……」
 ミルクティーを持ったまま呆然とするエルリック少佐の顔は、まるで忘れてましたという顔だった。
 ああ、やっぱりな、とヨハンは思う。天才なくせに何だってこの少女はこうも抜けているのだろうか。それとも天才という生き物が皆こうなのだろうか。
 「どうしたんですが、エルリック“副所長”」
 ロイ=マスタング准将が多忙すぎるという理由で、実際の研究所の仕事のほとんどをエルリック少佐がこなしてきたためだろう。エルリック副所長はマスタング所長の存在をすっかり忘れていた。忘却の彼方だった。
 「ちょ、ちょっと本部にもう一回行って……。あ、いや。電話でもいい」
 「護衛の件、お断りするんですか?」
 「俺まで一緒に研究所を空けらんないだろう」 嬉々とした表情を必死に厳つく取り繕いながら、エルリック少佐は言う。
 「はあ……」
 そうですかね。自分で言っておいて何ですが、どうせそつのないマスタング准将のことですから、それ相応のピンチヒッターは用意されてるんじゃないですかね。というヨハンの言葉を聞く間もなく、エルリック少佐は本部に電話をかけていた。
 結局、ヨハン=シゼル准尉の思った通り、ロイ=マスタング准将は研究所の臨時責任者として豪腕の錬金術師アレックス=ルイ=アームストロング大佐という立派な代役をうち立てて、エドワード=エルリック少佐の小さな希望の光をいとも容易く消し去ってくれたのだった。
 そうしてマスタング准将の出張先で、ふたりはまたひと悶着おこし、しかも周囲をまきこんでどったばった騒ぎ立てるのだが、またそれは別のお話。


 2006?