スプリングが軋む音とともに、隣に麻衣と同じように寝そべっていた気配が動いた。見上げれば暗がりのなかでもそれとわかる仏頂面がある。麻衣は苦笑をこぼして、ごめんね、と云った。
「ごめんね、ナル。うそうそ。そんなマジな顔しないでよ」
「何が嘘なんだか、僕にはちっとも理解できない」
 ベッドに寝そべったままの麻衣に覆いかぶさるナルは、ひどく不機嫌そうな声をしていた。
「ちょっと疑問に思っただけなの。本当にそれだけ」
 だから、ね。――と、麻衣は手でナルの頬をぺちぺちと軽く叩く。
「そんな無理しないでよ。それにさあ、こういうことはさ、無理にするものじゃあないでしょう? ナルがしたくないのに、無理することはないと思う」
 ナルの身体を押し退けようとするかのような動きをみせる麻衣の両の腕を、ナルは軽く払った。腕を払われた麻衣が意外そうにナルを見上げれば、ナルの眉間の皺は一層不機嫌そうに深いものになっていた。
「……麻衣はどうなんだ」
「は?」
「そういう麻衣はどうなんだ、と聞いている。したいのか、したくないのか」
 一瞬きょとんとした表情をみせた麻衣の顔が、一拍置いて後、みるみるうちに赤く染まってゆく様を、ナルはじっと見下ろす。挙動不審な麻衣を鼻で笑うでもなく、彼女にいつものように嫌味を言うでもなく、ナルはただただじっと麻衣の顔を凝視した。
「な、なんだよー突然ッ」
「先に話をふってきたのはお前だろう。で、どうなんだ」
「どうなんだ、ってさー」
「セックスしたいのか、したくないのか」
「そ、そういう話じゃないでしょう」
「そういう話だろう。違うのか? だったら何だ。松崎さんがああ云っただの、雑誌ではこう書いてあっただの、くだらない話を並べたてたと思ったら、しまいには僕が性欲に欠けた異常者であるみたいな言い方をする」
 ちがう、と麻衣が咽の奥で喘ぐのも無視して、ナルは続けて云った。
「実際に僕が変だとして? 麻衣はどうするつもりだ? 別れるか? 別れて、僕以外のふつうの男と付き合う?」
「ナル!」
 堪りかねた麻衣が叫んだところでやっと口を閉ざしたナルは、しかし相変わらずの表情だった。無言の黒いの瞳が麻衣を責めていた。
「……ご、ごめんなさい。あ、あたしが卑怯でし……た……」
「わかればいい。云いたいことがあるなら、はっきり云え。回りくどい云い方はよせ。不愉快だ」
「あんたにだけは云われたくない……」
 批難交じりの呟きはしっかりとナルの地獄耳に吸い込まれていったらしい。ナルにじろりと睨まれて、麻衣はきまりが悪そうにナルから視線を逸らした。視線を動かした先に、ベッドについたナルの手がある。闇の中でもはっきりと浮かび上がるほど白い手。その手が麻衣に触れるとき、信じられないくらいに繊細な動きをみせることを、麻衣はもう知ってしまった。知っているからこそ、堪らない。
「――ナル」
 ナルの手を見つめたまま、麻衣は蚊の泣くような声で云った。ナルの顔を真正面から見られるような心境ではなかった。
「エッチしよ」
 覆いかぶさる気配が微かに身じろぎする気配に、麻衣はぎゅっと目を瞑る。どうしようもない羞恥心と、拒絶されたらどうしようという恐怖心が麻衣のなかで暴れまわっていた。
 ふっと首筋にふれた感触に、麻衣はびくりと身体を揺らす。そんな麻衣には、ナルが暗闇の中で苦笑をこぼしている様が、気配を通してだけでもわかった。
「……痛がるくせに?」
 皮肉っぽい口調とは裏腹に、ナルは麻衣の身体を彼なりに気遣っているのだ。彼が麻衣に触れなかった理由がそこにあることを、麻衣とて実は気づいていた。
 ナルの気遣いはうれしい。でも、それ以上に、麻衣はナルに触れたいと思っていたのだ。
「へ、平気だよ」
「どこが」
 ナルは憮然として嘆息をこぼしつつも、その腕を麻衣の腰にまわした。それがうれしくて、そして少しだけ恥ずかしくて、麻衣は頬を赤く染めながらきゅっと口を結んだ。やさしい口付けが額に、目元に、鼻筋に、落とされてゆくのが、心地よかった。
「あたし、ナルに触れてもらうの、好きだよ。ナルは?」
 ナルの首に腕を回して、麻衣は云った。
 無言できつく抱き返してくれたしなやかな腕は、何よりも雄弁に、言葉足らずなナルの気持ちをいつだって伝えてくれる。

070602