最近頓(とみ)に多くなった双子の逢瀬。彼らの会話の内容は、専らナルの研究や調査についてだ。それは大概にして殺伐とした話で、ときには血生臭さを伴うこともある。そんなときもナルは決してその鉄面皮を崩すことはなく、ジーンはジーンで決してその柔和な笑みを絶やさない。傍からこの双子の逢瀬を見たら(仮に見ることが出来たらの話だが)、それはそれは奇妙な光景として目に映ることだろう。
「本当に嫌な世の中になったものだねぇ」
 やはり笑顔を崩さずにジーンは言った。ナルの話を聞くだに、後味の悪い事件は絶えない。聞いてるだけで、胸のあたりがむかむかしてきそうだ。
「いつの時代も、そう文句をたれるヤツがいるものだな」 
「ナルは嫌にならないわけ?」
「研究材料が絶えなくて退屈しないな」
 ナルはしれっと答えた。
 例えばここに麻衣がいたとしたら、間違いなく彼女はナルを 「このマッドサイエンストめ!」 と力一杯罵っていた事だろうとジーンは思った。顔を高揚させて怒るであろう彼女を想像するだけで、ジーンの口元は自然と綻んだ。

「それだけ材料があるんだから、論文は調子よく進んでるのかな?」
 会話の流れで何気なしに尋ねてみれば、間髪置かずにナルの口から宇宙語とも思われかねない言葉がばしばし飛んできた。専門用語らしいが、生憎ナルの双子の兄であるジーンをもってすら理解の範疇を超えているものばかりだ。そして当のナルといえば、内容を理解できずに固まっている兄を他所に、些か恍惚とした表情で(尤もナルのその微妙な表情な違いを見分けられるのはジーンぐらいのものだが)己の専攻分野について朗々と語り続けていた。ふだんは必要なことさえ話さないほど無口なくせに、こういうときばかり、ナルは恐ろしいくらいに饒舌になるのだ。
(そんなマニアックなことばかり考えてるから、面白味のない人間になっちゃうんだよ……ナル……)
 いや、ある意味ひじょうに面白いのだけれど。いちいち人間味に欠けるのだ、この弟は。
 いよいよ学者馬鹿に磨きがかかってきたらしい弟に、ジーンはため息を禁じえない。こうやって研究の話をするナルは嬉しそうだ。昔からそうだった。

 でも、どうしてか、今のナルは純粋に研究に没頭しているというよりも、何かから逃げ回っているようにしか、ジーンには思えてならない。いったい何でだろうねぇ……と、ジーンは弟の話を右から左に聞き流しながら、じっと自分と同じ顔を見つめる。
 頻度を増した双子の逢瀬は、おそらくはナルの逃避の証。ここ最近のナルがひじょうに不安定な状態にあることが、片割れのジーンには手に取るようにわかる。いつになく不安定なナルは闇のなかを当所なく彷徨っていて、まるで迷子のよう。
 実は、光はすぐそこにあるのに。太陽のように笑うあの少女はいつだって、ナルの隣にいるのに。ナルはわざわざ光に背を向けて、自ら闇に迷い込んで、そして今度は鏡のなかの兄を呼び付けて、闇に溶け込もうとしている。
 或いは、ナルは今はもう喪(うしな)ったはずの世界を必死に取り戻そうとしているのかもしれない。喪ったものは、もう二度と戻ってきはしないと、聡明な彼がわからないはずはないのだが。
 ナルの必死に逃げ惑う様が、そしてそれをナル本人がちっとも自覚していないというところが、ジーンにとっては本当に滑稽で、哀れで、そしてひどく愛しい。
 何をもってナルはこんなにも臆病になる必要があるのだろう。鏡の世界でしか会うことのできない兄なんかに、今更安定を求めようと悪足掻きする前に、己の気持ちが向かうほうに素直に行ってしまえばよい。素直になれば、こんな仮初めの安心感などではなく、絶対の暖かな安らぎをナルは手にいれられるはずなのだ。
(お兄ちゃんを頼ってくれるのは嬉しいんだけどねぇ……)
 おそらくは、ナル自身、自分が兄に頼っているとは露にも思ってはいないのだろうけれど。何にせよ、どうせ頼ってくるのなら、自分が死んでしまう前に頼ってきて欲しかったと、兄は思う。どんなにジーンがそう望もうとも、生前のジーンにナルが甘えたり頼ったり縋ったりと、そんな素振りをみせたことは皆無に等しかった。
 今はもう、迷える可愛い弟に差し伸べてやれる暖かな腕を、ジーンは持ち得ない。それが、遣る瀬無く、悲しくもある。

「ねぇ、ナル」
 弟の話を極上のテノールでストップさせて、ジーンはやや芝居がかった仕草で首を傾げてみせた。
「ところでさ、麻衣の論文はいつになったら書きはじめるのさ?」
 データはもう随分と集まってるんでしょ? 書かないわけないよね。何せ披見体とあらば身内であろうと切り刻んでしまえるマッドサイエンストの君だものね。しかも麻衣ほど面白い研究材料はないし。――云々かんぬん。ジーンは鮮やかに弟に笑いかける。
 話を途中で遮られたせいだろうか。それとも、麻衣の名前を挙げたせいだろうか。顔を顰(しか)めた弟は、呻くように答えた。

「……未定」


20060706脱稿/20070710加筆修正


19,18,06