「集まってるねー」
すごいね、と控え室に備え付けのモニターを見ながら敦賀蓮は感慨深げに呟いた。
蓮が覗くモニターにはざわざわと落ち着きのない表の会場の様子が映し出されていた。カメラを構え、臨戦態勢に入った報道陣の殺気たるや、モニターを通してでも容赦なく伝わってくる凄まじさだ。記者会見の開始予定時刻まではあと30分以上も残されているというのにレポーターたちもご苦労なことだ、と蓮は嘆息を漏らした。
「そりゃね。最大手芸能プロダクションの看板俳優が結婚するとなればね」
当たり前ってモンでしょうね、と沈痛な面持ちで答える最上キョーコを、蓮は苦笑交じりに見つめた。
「緊張してるの?」 と、気遣わしげに声をかけてやれば、 「別に」 と、なんともまあそっけない言葉が返ってきた。もうかれこれ10年以上もこの業界に身をおくキョーコが、今更記者会見ごときで緊張なんぞするわけもないのだ。
「ただ気が重いだけですよ」
キョーコは額に左手を添えながら嘆息を零した。彼女のその薬指に光るのは、紛うことなき“婚約指輪”だ。眩い光を放つそれはダイヤモンドが埋め込まれたスタンダードなデザインだった。これが旦那の給料三ヶ月分に相当するのかどうかという野次馬的な疑問はさておき、とりあえず今のキョーコが“幸せ一杯の新婦”の顔をしていないということだけは確かだった。
「気が重いって、俺との結婚が嫌ってこと?」
蓮が冗談っぽくそう言えば、キョーコは瞠目し、そして次の瞬間には彼女はにっこり笑顔を作っていた。月並みな表現をすれば“花が零れ落ちたような笑顔”とでも言おうか。この笑顔が世の男性群や女性群(むしろキョーコには男性よりも女性の支持があつかったりするのだが)を虜のしてやまないと言われる“似非淑女スマイル(敦賀蓮・談)”(言わずもがな、キョーコの言う蓮の“似非紳士スマイル”を捩っただけの、判り易いと言っちゃ判り易い、安易で、センスの欠片もないネーミングだ)。この笑顔の裏に隠れつつも確かに存在している彼女の本性――そんなものが存在しているだなんて夢にも思わぬ絶対多数に含まれない少数のひとりである蓮は、キョーコのその笑顔を目の当たりにした瞬間、ふっと視線を逸らした。
「敦賀さん」 にこやかな笑顔とともに発せられた声は、やはりそれ相応に明るく優しいが、そんな彼女の周囲をとりまく空気の重々しさはどうしたことか。
(しまった……) 蓮はキョーコに気付かれないように舌打ちをする。
軽い冗談のつもりが、それによってキョーコの機嫌を大いに損ねてしまったことを、キョーコの笑顔で蓮は知る。こうやって表面上だけは穏やかに笑って見せ、その実、負のオーラを容赦なく撒き散らせるといったキョーコの怒り方は、実に効果的だ。事実、蓮はその両の手のひらのうちに、うっすらと脂汗をかいていた。身体は金縛りにあったかのように重い。
蓮がキョーコにそういう怒り方は(怖いから)止す様に言い(お願いした)、結局、彼女に「人のふり見て我がふり直せ」とあっさり返り討ちにあったのは、いったいいつのことであったか蓮はもう思い出せないが、兎にも角にも、キョーコもキョーコだが、蓮も蓮でキョーコと似たような性質があるのは確かだった。似た者夫婦(婚姻届を出して、まだ数日しか経っていない夫婦ではあるけれど)と言うに相応しい、と彼らをよく知る社倖一などは言う。
「本気でおっしゃってるんですか? 私が気の進まない結婚を本気でするとでも?」
「冗談だよ。冗談」
怖い。怖い。本当に怖い。と思いながらも蓮は笑顔をキョーコに向けた。このあたりの表情筋の操作技術は、蓮とてかなりのものだ。伊達に実力派俳優の名前を欲しいままにしているわけではない。
「笑えない冗談はやめてください。この期に及んで人の気持ちを疑うようなことを」
「だから冗談だって。君があんまりにも酷い顔をしてるからさ」
どうだか、とキョーコは蓮を睨みつけた。
「ほらほら、もう少し笑いなさいよ。そのまま記者会見に行くつもりですか、お嬢さん?」 と、蓮はモニターを指差して見せた。 「結婚会見が離婚会見になっちゃうよ?」
キョーコは眉間に皺を寄せながら、肺から二酸化炭素たっぷりな空気を吐き出した。
「気が重いわ」
何が、とは今更問うまでもない。「結婚が?」だなんて、キョーコ曰く笑えない冗談を蓮が言うまでもない。いまさら記者会見なんぞで緊張なんてものをするキョーコではないけれど、ただあの好奇の目にさらされる感覚だけに、彼女はどうしたって慣れないのだ。気が重くなるというのは、そういう意味でだ。決して蓮との結婚が嫌なわけではない。
「だから、最大手芸能プロダクションの看板俳優が結婚するとなればね、仕方ないことでしょう」
記者会見なんて当たり前だよ、と蓮はにっこりと笑う。キョーコは不機嫌そうに眉をひょいと吊り上げて言った。
「ようはあれですね。あなたが俳優で、わたしが女優であることが悪いんですね」
なんでそう思考が飛ぶかな、と蓮が苦笑いをすれば、キョーコは立派な論理展開じゃないですかと胸をはってみせる。
「じゃあ、いっそ二人で廃業でもする?」 と、蓮が冗談とも本気ともつかぬ口調で言えば、「嫌」 と、キョーコは即答した。断固拒否と言わんばかりだ。
「だから、笑えない冗談は止してください」
「冗談でもなかったんだけどねー…」
「“たかが”結婚なんかのために廃業なんて馬鹿らしいことこのうえないです」
(たかが……ねぇ…?) その結婚相手を目の前にしてなんという暴言を吐くのか。蓮はやれやれと肩を落とした。
「なんだかねぇ、ひっじょうに傷つくんだけどなぁ」
「だったら敦賀蓮にとって、俳優業と結婚、いったいどちらが大切ですか?」
うっと一瞬でも口と噤んだのがいけなかった。ふんと鼻をならすキョーコに、「ノーコメント」と蓮は苦々しげに言った。結局、蓮だって俳優業は捨てられないのだ。やはり彼らは似た者夫婦だった。
「まあ、君曰く“たかが”結婚だけど……」 嘆息交じりに蓮は会場の映し出されたモニターに視線を戻した。 「せいぜい役者らしく世間に羨ましがられるような幸せな理想なカップルを目一杯演じようじゃない? キョーコちゃん?」
ね? と蓮は笑う。
「だって、ほら、俺たち役者だし。結婚会見なんて馬鹿らしいけど、それも仕事だと思わなきゃ」
ややあって、キョーコはあきらめたようにため息をひとつ漏らし、そして蓮の目をしっかり見据えながら頷いて見せた。
こちら鬱々控え室 20050502 2006加筆修正