とうとうやっちゃった、とあれから少しは冷静になった頭の中は後悔の嵐。
熱を持った目元は、鏡を覗くのも恐ろしい。きっと酷いことになってるよ。最近めっきり運動量が減って、ただでさえ顔がぷっくりしてきてたっていうのに。
「落ち着いたかしら?」
そう言って、微笑むのはママ先生。相変わらず年齢不詳で、お美しい。お肌ツルツルだし。シドさんとはラブラブみたいだし。
「はひ……」
鼻水声で頷いても、きっと説得力に欠けるんだろうけど。
「でも、なんかもう……色々、恥ずかしくて……」
「あら、どうして?」
ママ先生は少女のように首をかしげてみせる。
「いや、もう我ながら大人げないというか。いくらなんでも、病人にヘッドロックはまずかったな、と」
思うわけです。
嗚呼、どうしてあたしっていつもこうなの。いつだって感情で突っ走って、感情の赴くままに暴れまわって、喚き散らして。少しは、大人の女性らしく理性的に話をしてみたいものよ。
落ち込むあたしを前に、ふふ、とママ先生は笑う。嗚呼、こんな女性になりたいなあ。
「あの子にヘッドロックをかけられる人は、きっとあなたぐらいのものでしょうね」
「いえ、あれは、スコールが熱出してたから」
たまたま成功したんだと思います。我ながら上出来すぎたと思います。上手く行き過ぎて、スコールってばちょっと涙ぐんでたの。
「あの子は、あれでも鍛え抜かれた戦士ですよ? 熱ごときで、女の子に負けるとお思い?」
「あ……。え、ええと……そう、ですね」
そう、ですか、ね?
「あの子ったら、あなたの前だとよっぽど無防備なのね」
ママ先生は、場違いなほどに朗らかに笑う。
「嬉しいわ」
「は……はぁ………」
そうなのかな。あたしの前で無防備なのかしら? そうなのかしら? そうだと嬉しいけど。だけど今はなんでか素直に喜べない。
「昔から、甘ったれなのに妙に突っ張る子だったから。誰に対する態度もつっけんどんだし。そんなあの子に甘えられる場所ができたのだと思うと、わたしは嬉しいわ」
まあエルオーネには昔から甘えたさんだったけどね。そう言って、うふふと笑うママ先生の顔は、“母”の顔で。こういうとき、嗚呼、この人は彼の“お母さん”なんだなー、と思う。ママを思い出しちゃう。いやだ、また涙が。
「今回はその甘ったれぶりが、かなり発揮されてしまったようだけれど」
「い、いえ。そんな。むしろ彼は全然甘えてくれなかったんです」
「そう?」
「はい。話すらろくにできなくて。……ええ、彼が忙しかったことは知ってますけど。でも、話す機会はあったはずなんです」
「魔女会議のことを、あなたはご存知だったのよね」
「もちろんです」
戦後処理の一環として、議題にあがっていたという“魔女リノアの処遇問題”。世の中がこれだけ騒ぎまくれば、さすがのあたしだって気づくって。あたしだって、スコールがやれ任務だやれ事件だやれ会議だと世界中を飛び回っている間、日々ぼんやりとガーデンで暮らしてたわけじゃないのだから。ニュースは見るし、ネットは検索するし、情報通の友人はいるし。
「彼は頑なにそれについては口を閉ざしてましたけど」
あたしが、傷つかないように、必死になって情報をシャットダウンしてた、あの人。馬鹿にもほどがある。今のご時勢の情報網を甘くみるなかれっていうものよ。
「今、魔女が、わたしが、どんな目で見られてるのかぐらい、わたしは知ってます。そして、わたしをどうするべきかで、世界中が大荒れだったことも。世論がどちらに傾いていたかも、知ってます。魔女に対する偏見も、魔女戦争のせいで傷ついた人や国がどれだけ魔女を恐れ、嫌っているかも、わたしは知ってます。歴史については、ママ先生に沢山教えて頂きましたし」
あたしが魔女ってことで、陰口を叩く人は、実はガーデンのなかにだっていた。嫌がらせも何度か受けたし。その辺のことは、スコールには言ってないけど(言ったら、あの人あれでけっこう怒り狂うタイプだと思うからね。死人は出したくないものね)。まぁ、ガーデンでの嫌がらせなんて、たかが知れてたし(てゆか、あれは魔女のあたしへの嫌がらせというよりも、スコール=レオンハートの彼女であるあたしへの嫌がらせという感じがしないでもなかったんだけど)。何より、会議のたびにカドワキ先生に胃薬を貰ってたスコールに、それ以上の負担をかけたくなかった。
あたしの前では何でもないように装う彼に、あたしは結局、見て見ぬふりしかできなかったけど、本当はどうすべきだったんだろう。今日みたいにヘッドロックをかけてでも、無理やり聞き出すべきだったのかな。
でも、でも。本当は、あたしは、彼から言ってくれることを期待してたんだ。あのなリノア、って言ってくれるのを待ってた。
「彼が心の中で溜め込んでるものを、もっと表に出して欲しかったんです。今回決定したらしいわたしの処遇については、文句は言えません。魔女の存在のせいでみんなが不安がるのもよくわかるし、エスタならスコールのお父さんもいらっしゃるし。文句なんて、言わないのに。なのに、スコールってば、謝ってばっかりで。そのくせ、今日まで、何にも言ってくれなくて。やっと話してくれたと思ったら、今度は謝ってばかりで。こんなふうになるまえに、もっともっと話せることがあったと思うのに」
「そうね」
「わたし、一応、あの人の恋人っていうか。うん、恋人なんです。一応」
「そうね」
あたしたちは、恋人同士だ。魔女と騎士ではなくて、あたしたちは、恋人同士だ。ステディーな関係なのですよ!
「もっともっと、二人で話しがしたかった。彼が、わたしのためだと思って、何も言わなかったのは知ってます。でも、わたしは……、あたしは、」
嗚呼、駄目。また感情が……。涙が止まらない。
「そうね。今回は、完全にスコールの独り相撲で、独り善がり。その独り善がりは、甘えと同じようなものね。あの子のなかでは、あなたなら自分のことを絶対にわかってくれるっていう甘えが、どこかにあったのよ」
「そうでしょうか。そのわりに謝ってばっかりだったけど」
「それも甘えてるのねえ。謝れば済むとでも思っているのかしら。イヤだわ」
「……は……はぁ」 ママ先生もなかなか、キツイ。
「まったく、駄目な子ねぇ」
ぶんぶんと首を振った。違う、駄目なんかじゃない。
「彼は、すごく、すごくやさしい人です」
ママ先生が、ふんわりを笑う。
「そう、あの子はやさしいわ。誤解されがちだけど」
彼はただほんの少しばかり怒りっぽくて、無口で、プライドがやたらめったら高くて、なまじあの美形で仏頂面なものだから、どうしても冷たく見えるだけ。でも、本当のあの人は、すごくやさしい。
「でも、今回は、そのやさしさの方向性がちょっとずれてたわね」
曖昧に頷くことしか出来なかったけれど、たぶんママ先生の言うとおりなんだ。
「彼は何でも溜め込んで、何も話さなくて。彼一人で、悩んで。あなたは、ただそんな彼に守られてるだけ。――あなたは、そんなことを望んだわけじゃないわよね?」
「わたしは、ただ、彼に話してもらいたかった。彼の悩みの種がわたしのことだとしても。ううん、わたしのことだからこそ、一緒に、考えて、悩みたかった。そりゃ、わたしなんかが考えたって、今回の決定が変わったとは思えませんけど。わたしには、そんな、世界を動かせるような力はありませんし」
あたしには、力がない。何の、力も。
SeeDの資格を持ってるわけじゃないし、スコールみたいに司令官なんてすごい地位にいるわけじゃないし、ラグナさんみたいに大統領なわけじゃないし。
「……」
嗚呼。
あたしは、無力だ。
「……リノア?」
きっとあたしは酷い顔してたのだろう。ママ先生がそれはそれは心配そうにあたしの顔を覗き込んできたぐらいだから。
「だから……なのかな」
「リノア?」
「あたしが、心もとない存在だから。ひとりじゃ、なーんにもできないから……」
だから、スコールは何も話してくれなかったのかな?
お人形さんみたいに、守られたいわけじゃない。
でも、あたしに、お人形さんぐらいの価値しかないのだったら?
――辿り着いた現実に、心臓を抉り取られるかと思った。

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