「レオンハートくん」
誰だ、俺の名前を気安く呼ぶヤツは。
どこかで聞き覚えのある中年男の声は、おそらくは会議に参加していたうちの誰かだろう。さっき俺にネチネチとあれだけ嫌味を言っておいて、今更何の用件だ。俺は断固として振り返らないよ。顔も見たくない。
俺は怒ってんの。すごく怒ってるんだよ。
何も聞こえないふりして俺はすたすたと歩く。ところでアーヴァインたちは何処に行ったんだ。とっとと帰るぞ、こんな不愉快なところにもう一秒だっていたかない。早くガーデンへ、リノアのところへ……と言いたいところだけれど、まだ会議は始まったばかり。嗚呼、こんなのがあと2日も続くのか。リノアの汚い部屋が今はこんなにも恋しい。
「レオンハートくん」
アーヴァイン! ゼル! 何処だ!
「レオンハートくん!」
「……」
ここで立ち止まる俺はやっぱり、ここぞというときに弱いのかな。
「やあ」
「く……」
くそじ……。あ、あんたを、くそじじぃ、と呼んでたのはリノアだ。断じて俺じゃない。俺じゃないんだ。っていうのは俺の心のうちの独り言で。
「久しぶりだね」
どうりで聞き覚えのある声だと思ったら、あんただったのか。――振り返った先にいる、カーウェイ大佐。
「ご……ご無沙汰してました」
お元気でしたかと聞くのはどうだろうか。止めたほうがいいかな。お互い元気じゃないってのは分かりきってることだ。お元気ですか? なんて白々しいにも程がある。
「元気そうで何よりだ」
こ、これだから大人ってヤツぁ。俺のどこをどう見たら元気そうなんて言葉が出てくるんだよ。今朝方アーヴァインに 「酷すぎるぅ」 と言われて大笑いされたこの顔だぜ。
「大佐も」
……そして俺は俺で大概人様に流されやすい。
「ははは」
そう言って笑うクソジジイ、もとい大佐の顔に疲労の色は隠しきれない。そりゃそうだろう。魔女リノアの父親ってんで、大佐の立場がガルヴァディア国のなかでもけっこう微妙になっているってのは、政治に係わる人間なら誰もが知ってることだ。
「君の活躍ぶりは本当に至るところで見聞きしてるよ」
「は、はあ……ありがとうございます」
何だよ。俺に話しかけてきたくらいだから、てっきりリノアのことを聞いてくるのかと思ったのに、俺の話かよ。ひとり娘の様子は気にならないのか。
この会議はもう何度となく繰り返し開かれてきたけれど、こうやって大佐が俺に個人的に話しかけてきたのは初めてのことだ。実は会議中だって話したことはない。会議中の大佐はとてもとても寡黙だった。他のおやじ連中のような嫌味や世辞を言うわけではなく、ただじっと会議の様子を静観していた。
己が保身のためか、それとも娘のためか。俺には未だに判断が出来ないでいる。
「いつぞやのように、また何かの折には是非とも君にお願いするよ」
「光栄です」
思ってもいないことを俺は言う。光栄なもんか。シュウに、カーウェイ氏の依頼は俺にまわしてくれるなと頼んでおこうかな。私情挟むなって蹴りが飛んできそうだけどよ。痛いのは嫌だけどこの男の傍にいるくらいなら、俺はシュウの蹴りを甘んじて受け入れよう。
「君はなかなかよくやっているね」
「とんでもありません」
なかなかよくやっていたら、今頃、俺はこんなにも胃を痛めているわけがないんだ。
「レオンハートくん」
「はい」
「君から見て、どうだね」
「……どう、とは?」
「魔女の今後」
そんな。そんな言い方ってあるか。あんたまで実の娘をそう呼ぶのか。魔女、と。
「なんとかしたいと思います」
声がかすかに震えたのは、どうしもない憤りのせいだ。腹の底からふつふつと沸きあがって来る熱い感情を、俺は必死で抑える。さっきから周りの視線が痛いほど、俺と大佐に注がれている。観察されているのだ。魔女リノアに近しい人間ふたりの動向を、世界中の要人たちが気にしている。怒りに任せてはいけない。冷静になれ。落ち着け。落ち着け、スコール。
「でも……彼女はアナタタチが思ってるような、そんな魔女じゃない」
「わたしたち……か」
大佐は薄く笑って見せた。
そうだ。あんたたちだ。魔女っていう存在を勝手に貶めて、決め付けて。
「アデルやアルティミシアは魔女だけれど、魔女がアデルやアルティミシアなわけじゃありません。すべての魔女があなたたちが思う魔女なわけでは決してありません。リノアは少なくとも、アデルとは違う。アルティミシアでもない」
自分で言ってて恥ずかしくなるような幼稚な論理だけど、間違っちゃいない。そして、こんな簡単なこともわからねぇんだ、この人たちは。
「彼らが……我々が欲しいのは、保障だ。絶対的な安全の保障だ。我々には人々の安全を守る義務がある」
なんて、なんて、顔をしてこの人は、こういう話をするんだろう。一年前よりも皺が増えた顔。一年前よりも白髪が増えた頭髪。目を逸らしたくなるくらいにこの人は痛々しかった。
「……リノアひとりとっ捕まえたからって、何も保障されるわけじゃない。そもそも絶対的な安全なんてものが、この世に存在しますか?」
「承知しているさ。しかしね、人々が安心する方法があるのなら、我々はやらなくてはいけない」
「その方法がリノアの処刑ですか。その他大勢ために、ひとりの命を犠牲にしたって構わない、とあなたはおっしゃるんですか」
なんだって俺はこんな偽善くさいことをのたまってるんだろう。
「それが為政者の仕事だ。上に立つ立場にある君には、よくわかるだろう」
!!!
「あんたは……!!」
嗚呼、ここにガンブレードが手元になくてよかったよ。俺のためにも、あんたのためにも。そして何より、リノアのためにも。こんな男でも、リノアの父親だ。血の繋がった、父親だ。――俺とあのおとぼけ大統領の血が繋がっているように。
呼吸ひとつ置いて、何とか冷静さを保たせる。SeeDは常に冷静でなくちゃいけないもんだろう。
「俺にどうしろと……」
「折角のエスタの提案をどうして君は受け入れないのかね?」
「……」
事情など何も知らないはずなのに確信をついてくる侮れない男が、ここにいた。
沈黙する俺に、大佐は苦笑する。
「まあ君と彼の事情をあれこれ詮索するつもりなどないし」
ええ、是非ともやめて下さい。
「何を隠そうわたし自身、あの男のことはあまり好かんがね」
そりゃ、えっと。うん。自分の奥さんの昔の想い人っていうんだからな、面白くないわな。って、あのこと、この人は知っているんだろうか。きっと知らないよなあ。知らないけれど、この人にとってラグナは生理的に受け入れがたい男なのかもしれない。その気持ちはちょっとわかるよ、大佐。あの男はちょっとばっかし騒がしすぎる。
「いつもへらへらと、まったく何を考えてるのかもわかりはしない」
いや、何を考えるも何も。あれは、実際、何も考えていない男だよ。
「しかしね。今回ばかりは、彼の申し出は正直ありがたいのではないのかね?」
「……」
「何より、エスタなら、万が一のときに備えての体制も万全だろう」
「万が一ってどういう意味ですか」
「アレの魔力とやらが暴走する可能性が、無きにしも非ずという話ではないか」
「……あいつはあなたが思ってるほど柔い人間じゃない」
「そうだといいがな。しかし、アレの女親が死んだとき、それはそれは大変だったからね」
大変だったのか。そうだよな。そうに決まってるよな。俺にはよくわかんねぇけど、それはきっととても悲しくて辛いことだ。
「それで、そのとき、あなた何をしていたんですか」
大佐は苦笑するだけだった。
そうかよ、そんなことだろうと思ったよ。リノアの言うとおり、あんたはそうとうなクソジジィだ。
だけど……だけどな、嗚呼、リノア。あんたにこのクソジジィの顔を見せてやりたいよ。

――勝手なことを言ってるってのは、承知の上さ。でもな、スコール、俺はもう二度と後悔したかねぇんだ。
あの日、エスタの大統領官邸の廊下のど真ん中で足をさすりながら、ラグナは言った。ラグナと同じように足をさすりながら、俺はじっと俯いていた。

「リノアに会ってやってください。ガーデンに会いに来てやってください」
そんな顔して遠くを見つめてねぇで、あいつに会いに行ってやればいい。
きっとあいつは、あんたをクソジジィと詰るだろうけれど。それでも嬉しくないはずがないじゃないか。父親に会いに来て貰って嬉しくないはずがないじゃないか。
「無理だよ」
君ならわかるだろう、と大佐は言う。
わかるって何が。親子の確執のことか? それとも、公的な立場がどうしたこうしたとか言いたいのか。
「あんたは、父親だろう? 父親なんだろう?」
父親が何たるかもわかっちゃいない俺が、こんなことを言うのも変は話かもしれないけど。
「あんた、あいつの唯一の肉親じゃないか!」
あんたとリノアは血が繋がってるんだ。俺はどんなに頑張ったって、どんなに願ったって、あいつと血の繋がりを持つことは叶わないけど。

――すぐに認めてくれなんて言わねぇよ。だけど、せめておまえのなかに流れてるレインの血は否定しないでやって欲しい。
ラグナはそんなことも言っていた。

「娘をよろしく頼むよ」
「……」
だから何だ。俺がいるから、あんたは自分が用無しだって? そう言いたいのか?
親子ってそんなもんなのか。そういうものなのか。
だったら、なんで、あんたはそんな情けない顔してる。

レインはラグナを愛してたのかな。愛してたんだろうな。ラグナもレインのことを愛してたんだそうだ。心底愛してたんだそうだ。むせび泣きながら、語ってくれたよ。
愛のなんたるかなんぞよくわかんねぇけど。わかりたくもなかったけど。だけど、最近ちょっとだけわかる気がするときもあるんだ。

なあリノア。
あんたは父親のことを“アイツ”とか“あの男”とか“クソジジィ”とかしか呼んでやらねぇけど、でも、あんたの親父さんは、あんたのことを大切に思ってるみてぇだよ。親父さんなりに心配してる。傍から見てて、くそがつくほど不器用だけど。

人垣の向こうからアーヴァインとゼルが駆け寄ってくる。さらにその向こう側に、ラグナがいた。心配そうな顔をして。

BGMは男たちのピアノで 071210