表情筋が動き難いのは、俺の意識的にそうしたものではなくて、むしろ癖みたいなものだ。でも周りの連中はそうは思わないらしい。殊、年配者受けは最悪だ。威圧的だとか高圧的だとか偉そうだとか礼儀がなってないとか、はたまた生意気だとか。――例は挙げだしたらきりがない。
そうして、もともと動き難い表情筋は神経性の胃腸炎の痛みと相まって、ますます動きが鈍くなる。何も知らない連中はさらに俺を批難して、もう泥沼もいいところだった。
「何が伝説のSeeDだ、下らない」 と面と向かって詰られたこともあるけれど、誤解されちゃ困る。俺は自己紹介で 「ボクは伝説のSeeDでございます」 なんて言ったことは、ただの一度だってないわけで。なのに他人が俺の与り知らぬところで勝手に作り上げた評価で、どうして俺がこうも中傷されなけりゃいけねぇんだろうなぁ。まったくもって意味がわからない。
理不尽極まりない現象に俺のなかのフラストレーションは増すばかり。
嗚呼、カドワキ先生。すべてはカドワキ先生のおっしゃるとおりでしたよ。
俺はカドワキ特製胃腸薬をまるで聖母が十字架を抱くように己の胸に抱いて、能天気なくらい真っ青な空を恨めしく思いながら、仰ぎ見るのだ。
「覚悟はしてるんだろうね、スコール」
やわやわと木漏れ日が差し込むガーデンの保健室前の廊下で、カドワキ先生は仁王立ちをしてすごんできた。のほんとした背景とのこのギャップはいったいどうしたら……。あ、あの、目が……目がすわってます、せんせい。
妙にドスのきいた声と保険医には思えない鋭い眼光には俺ですら背筋が凍る。いや、俺だからこそなのかも。幼い頃から先生には何かと世話になってきたせいで、悲しいかな、俺のなかにきっと恐怖がすっかりインプリンティングされちまってるんだ。
「狸の学園長だって、あんななっちゃうような場所なんだよ」
た……。
「狸……」
たぬきですか。あの学園長を声高らかに狸だと言ってのける人を、俺はカドワキ先生以外知りません。
「そう、狸だよ」
そう言いながら、先生は保健室の扉を見つめた。この扉のむこうで件の狸が一匹眠っているのだ。
「まったく、あの狸はねぇ……もうずいぶんと前から繰り返し血を吐いてたっていうんだから……」
任務遂行中に緊急用端末で学園長が倒れたという情報を受け取ったのは、数時間ほど前のこと。任務の途中でガーデンに強制召還された俺を迎えた学園長は土気色の顔で、すみません、と言った。不甲斐無くて申し訳ない、とも言っていた。
「なんで気づいてやれなかったんだろうねえ。医者のくせに、私もほとほと情けないねえ……」
狸の吐血にこんなことになるまで気づいてやれなかった、とカドワキ先生は心底悔しそうに言う。このカドワキ先生の目を騙すたあ、狸――もとい学園長の演技力は確かに大したものだ。感服するね。
「まあ狸のほうはしばらく寝てりゃどうにかなろうだろうよ。でもねえ、私はねえ、あんたのことも心配で堪らないよ」
「……」
「ただでさえ大人受けが悪いあんただから余計に心配だ。これからあんたが行こうとしてる所に、あんたのことをわかってやろうなんて思ってくれるお優しい人は、まずいないだろうね。360度、四方八方、針の筵だろうよ。理不尽なことだって沢山ある。正論だけでは収まらないことも、ときには誰かを犠牲にしなきゃいけないときだってある」
「――リノアの犠牲が必要だっていうんですか」
「そう考える人間もいるだろうってこさ。いや、実際いるんだよ。まだまだ混乱が収まりそうもないこのご時世だからね。事態の沈静化をはかろうっていったら、魔女を封じちゃうのが一番手っ取り早い。リノアひとりを封印することで、世界の何十億人の心に平穏が訪れるっていうんだったら、世界政府はそれをやってのけるんだよ。――スコール、正しいことが通らないことだってある。ましてや正しいことがひとつだとは限らないし、答えが存在しないことだってあるんだよ」
俺は唇を噛み締めて、俯いた。こんなに大真面目な話をしているときだってのに靴の爪先の汚れが妙に気になった。
……悔しいけどな、わかるよ、先生。世の中ってのは、そういうもんなんだろう。誰かの不幸の上になりたつ幸福だってあるし、幸せ一杯に笑ってるヤツがいれば、理不尽な目にあって泣いてるヤツだって沢山いる。そういうものだ。
でも、でもな。
それでも、俺は――。
「それでも、あんたは行くのかい」
「当たり前です。行きます。もともと俺がやるべきことだったんです。会議には俺が出席するべきだった」
戦後処理と言う仰々しい名のついた世界会議。世界中の国やら何やらを巻き込んだ先の戦争の引き金をひいた魔女。その魔女の今後の処遇にどういう形で決着をつけさせるか、世界は今尚答えを出せずにいる。
そもそも世界会議に、ただの兵士養成学校でしかないはずのガーデンが参加するなんていう異常事態が起きているのは、ガーデンが魔女リノアを保護をしているからだ。
「学園長がああも気を揉むことじゃなかった。さいしょっから俺が行くべきだったんです」
だって、俺は。俺は―――。
「どうだかねえ。魔女を保護しているのは、あんたじゃなくて、ガーデンだよ。そのガーデンの学園長たるあの狸が会議に赴くのは然るべきことだったと私は思うね。ぶっ倒れようが、胃に穴がぼこぼこあこうが、点滴ぶら下げながらだって行くべきところには行かなきゃいかんし、そこにはいくら有名人っていったて、一介の傭兵にすぎないあんたが本来出てゆくべきじゃない」
まるでおまえはこどもだと言われているようで。
そう、俺はどうしようもないこどもだ。それでも、それでも、俺は。
「俺は……俺は、あいつの騎士なんです。その俺が行かなくて、誰が行くっていうんですか。誰があいつを守ってやれると……」
俺はあいつの騎士なのに。
ふんとカドワキ先生が鼻を鳴らす。
「――あんたの口からそんな熱い台詞が聞ける日が来るとはねえ」
「ちゃ、茶化さないでください……」
俺だって、恥ずかしいよ。なんで俺がこんな……こんな青臭い台詞を……。
「いいかい、スコール。魔女の騎士なんて格好いいこと言ってみたところで、誰もあんたの権限なんて認めちゃいない。騎士なんていったって、鼻で笑われるのが関の山だろうよ。騎士といえばせいぜい映画の世界の話ぐらいしか皆思い浮かべないってものさ」
わかってるよ。魔女への理解がないこの世界なら、その魔女の騎士への理解なんてものも存在しない。そんな俺が何を言ったって、何の説得力も効果もないことぐらい、わかってるさ。
「だったら、連中に分からせるまでです。騎士がどういうものか。とりあえずは、シド=クレイマーの名代という肩書きはもらえるんですから、そこからなんとかしてみせます」
分かってない連中には、俺が分からせてやればいい。ゼファーの物語がただの御伽噺じゃないことを、その石頭に分からせてやればいい。
「……覚悟しておくんだよ、スコール」
「大丈夫です」
どうだか、と先生は眉間に皺を寄せる。候補生時代はそりゃあもう散々ご迷惑をおかけしましたせいで、カドワキ先生の俺に対する信用度は限りなくゼロに近い。
「ほれ、行くなら、これを持って行きな」
先生が白衣のポケットから取り出したのは、白い粉薬と錠剤だった。
「何ですかこれ」
「特製胃薬に、整腸剤」
「……は……はぁ……」
「ほんっとに、私はあんたが心配だよ。あんたみたいなひよっこに、狸の名代なんて務まるもんかね」
学園長を狸と呼ぶのも、俺をひよっこ扱いするのも、先生くらいだ。
「えっと、先生……俺は別に薬は……」
「きっと役に立つから持って行きな」
このとき、強引に手渡された薬はその後大活躍をする。カドワキ先生の言うとおり俺は世界の壁の厚さを実感して、その薬を愛用することになるわけで。
なるほど、俺もまだまだひよっこだ、と認めざるを得なかった。
そして、密かにストレス性の胃腸炎に苦しむ俺に、事あるごとに 「あんまりナーバスになるな」 とゼルやアーヴァインは言う。
「いいかいスコール。連中は君のことなんて何も知らないんだ。知ろうともしない。君のことを何一つ知らない彼等の下世話な言葉に耳をいちいち傾けるなんて馬鹿らしいじゃないか」
「そうだぞスコール。気にすんじゃねぇよ。凹んでんじゃねぇぞ」
「気を落とさないでよね」
いつもちゃらちゃらふざけているあいつららしくもなく妙に真面目くさった表情で、そう言うのだ。
「気にしてないし、凹んでもいないし、気を落としてもいない。ただ、むかつくだけだ」
むっとして言い返せば、途端あいつらはにやりといやらしく笑うんだ。
「まぁた、スコールちゃんってば。強がっちゃって」
オレが些細な中傷をいちいち気にする小さい人間だと、あいつらは知ってる。ひじょうに……ひっじょーに不本意だけれど……。
とりあえず、オレは友人(と称するのもなかなか不本意なんだけれど)たちの言うとおり、いらぬ誹謗中傷には耳を塞ぐ(ふりをする)。ついでになるだけ沈黙を貫いて、必要最低限のことだけをしゃべる(努力をする)。
人間関係を円滑にするための必殺技“愛想笑い”は、カドワキ先生を筆頭としたおとなたちに厳禁とされた。曰く――「コミュニケーション能力幼児並みのあんたが、下手な愛想振り撒いたって、なんにもなんないからね。慣れない愛想なんて撒くんじゃぁないよ。相手は格上の連中ばっかりだ。狸だの狐だの、腹に一物も二物も抱えた化け物爺ばっかりさ。地頭の良し悪しはともかく、経験値であんたみたいなひよっこが勝てるとでも思ってるのかい。言葉巧みな連中にどうやったら、言語障害の気があるあんたが勝てるのさ。いいかい、あんたが、愛想なんて振り撒いてみなさい。慣れないことで、襤褸はでる、そこを突っ込まれる。下手したら致命傷だよ。人の揚げ足をとることだけには長けた連中だ」 ということらしい。
デブ狸やらハゲ狐やら、連中はいつどんなときも、どんなに切羽詰った状況にあろうが、厳つい顔してようが、声だけはジェントルに穏やかだ。お隣さんやそのまたお隣さんや、さらにそのお隣さんの国に愛想を振りまいて、思ってもいないお世辞や社交辞令をぐだぐだ並べ立ててると思ったら、ここぞとばかりに相手の言質をとらえ、突如として攻撃に転じる。攻撃もあくまでジェントルに。笑顔を忘れず。
笑いながら相手の腹のなかを探り合って小さな言葉にいちいち突っかかって。言葉尻を捉えては、意味のない議論をさも意味がありますと言わんばかりに繰り返して。相手の粗探しをしてネチネチ嫌味を言い合って。
こちらの何気ないたった一言が、命取りにさえなる。
カドワキ先生とママ先生作の『対、狸爺ぃ攻略本』を頭に叩き込んだ俺は、慎重に慎重に言葉を選ぶ。なかなか襤褸を出さない若造に、世界の名だたる要人たちはひじょうに不満そうだ。上手い具合にすすまない話し合いに、俺も連中もイライラ、イライラ、ストレスをためてゆくのだ。
嗚呼、いっそ、連中が拳銃でも持ち出してきてくれればとも思うよ。そしたらこっちはガンブレードを突きつけて黙らせてやれる。それでもまだ牙をむくというのなら、ぶった切って三枚におろしてやろうか。
力で押してくる人間に、力で黙らせるのは実に簡単だ。
嗚呼、よくないな。こういう穏やかでないことを考えるのは非常によろしくない。
「若造のくせに」――そうやって連中は俺を見下す。
なぁ成人していないことがそんなに悪いのか。若いことがそんなに駄目なのか。
「お前は何もわかってない」――口にこそしないけれど、連中は皆そういう目で俺を見る。だったら、あんたたちの言う“わかる”って何だ?
連中は若すぎるオレを見下し、軽んじる。そして何よりも、魔女の騎士たる俺を蔑んでいるんだ。
「そもそもこんな事態に陥ったのは魔女が……」
「このまま魔女を野放しにしておくのはいかがなものかと」
「魔女は人を惑わす生き物」
「過ぎた力は我々の未来を破滅させるだけだ」
少ない知識の断片を無理に繋ぎ合わせて、さらにいらぬ想像を膨らませた連中は、いとも簡単に誤解をする。そこに真実をつきつけても、焼け石に水。後の祭り。馬の耳に念仏……は、ちょっと違うか。
とにかく、魔女を悪の権化と信じて疑わない連中は、悪の権化を守る騎士の言葉になんぞ聞く耳を持とうともしない。
耐えがたきは、わけのわからん誹謗中傷。
嘆かわしきは、上っ面だけの狸爺ぃ共。
憎むべきは、魔女リノアへの攻撃。
ただ切に願うは、少女リノアの平穏な生活。―――そのために俺は、ここにいる。
トゲトゲのけもの道 070327初出 110422加筆修正