ずうっと一緒だよね。そうやって無邪気に笑っていられたあの頃が懐かしい。
あたしは強くなった。とてもとても強くなった。背も高くなった。あの頃よりも、あなたとの距離はずっとずっと縮まったはずなのに。縮めようと血の滲むような努力をしてきたのに。
それなのに、今が一番遠い。
あなたの大きな背中が。遠くて遠くて。悲しくて、寂しくて、苦しくて。
息が詰まりそうだ。


花。



やちるを抱えたまま、詰所の奥に入っていこうとする四番隊隊長・副隊長を、剣八が慌てて追おうとすれば、ふと振り返った卯ノ花烈が剣八を一睨みした。彼女の眼光に気圧されて、思わず剣八は足を止める。一瞬の間ののち我に返り、たかが女に睨まれたくらいでらしくもなく立ちすくんでしまった己を剣八は叱咤し、舌を鳴らした。
護廷十三隊のなかでも一番の荒くれ者として有名な十一番隊隊長・更木剣八の、そんなあからさまな舌打ちにも、しかし烈は動じなかった。烈の隣に立つ四番隊副隊長の腕のなかには、気を失った十一番隊副隊長の細い体が収まっている。外傷こそないものの、蒼白な面持ちの彼女の額には脂汗が吹き出ていて、事態はあまり芳しくないようであった。一刻も早く手当てをしてやらねば。それが、四番隊の使命だ。だから、何人たりとも、四番隊の仕事の邪魔はさせまい。
「男たる貴方が、女子の治療に立ち会うおつもりですか」
烈は瞠目する剣八を見やってのち、やちるを抱えた副隊長に、先に治療部屋に患者を連れて行くように促した。部屋から足早に遠ざかっていく音に、神経を尖らせながら剣八は烈を一睨みする。
「ご心配なく。ここは四番隊にお任せください」 ただし、と烈は静かに続けた。 「私たちがよいと言うまでは、決して治療室にお入りになりませんよう。ここで待機なさってください」
そう言って、部屋から出て行こうとした烈が、襖を閉める間際、ふたたび剣八に視線をやって言った。 「更木隊長。おひとりでお帰りになることも許しませんよ。くれぐれも、ここでお待ちくださいましね」


やちるが目を開けると、そこにはほっとしたように微笑む四番隊隊長の姿があった。見慣れぬ天井と、つんとした薬品の刺激臭が鼻につく。
「ここは……」
自分の体の上にかけられているのは布団だった。体を起こそうとしたやちるの背に、烈はやさしく手を添えてやる。烈に支えられながら、やちるは上半身だけを起こし、そして烈に尋ねた。
「えーっと……ここは?」
「私たち四番隊詰所の治療室ですよ」
「……ちりょーしつ……」
「更木隊長が、勤務中に突然倒れた貴女をここまで連れてきてくださったの」
「剣ちゃんが……」
剣八の名を己の口の上に乗せて、はっとしたようにやちるは目を見開いた。そして、そのまま布団の上から立ち上がろうとしたやちるを、烈が静かに制した。
「剣ちゃんのところに帰らなきゃ…!」
邪魔しないでと、烈に訴えるやちるに、烈は首を横に振って見せる。
「更木隊長よりもまず、これを……」
すっとやちるの前に差し出された物に、やちるの目が大きく見開かれる。
それは、白く長い包帯のような布だった。
「どういうことか説明してくださるかしら、やちるさん」


剣八はじっと部屋の真ん中に座り込んでいた。烈に待機していろと言われて、既に半刻は経過している。本来だったら、こんなふうに大人しく他人の言うことを聞く剣八ではない。
が、やちるが烈のもとにいるというのなら、話は別だ。
自然とこぼれる溜息は、いったいどうしたことだろう。らしくない。本当にらしくないと己を叱咤するが、いつになっても剣八の溜息は止むことがなかった。
やちるはまだ眠ったままなのであろうか。

やちるの治療を終えたと言って烈がこの部屋に戻ってきたのは、烈たちがやちるを連れて行ってから間もなくのことだ。存外早く終わった治療にほっとしながら、剣八はやちるの元に早く連れて行けと烈に迫ったが、烈は取り合わなかった。烈曰く、やちるはまだ目を覚まさないという。おそらく彼女が目を覚ますのには、まだ時間がかかろうから少し話でもしようではないかと、烈はそんなことを剣八に提案してきた。当然、剣八はそれを断ろうとしたが、結局、やちるは烈の手中にあるわけであり、剣八に烈の申し出を無碍にすることは適わなかった。しぶしぶ頷いた剣八に微笑む烈には、一抹の殺意さえ覚えたが、それを必死に律して剣八は四番隊隊員がよこした茶を口に含んだ。
毒気が抜ける笑顔とはこういうことを言うのだろうかと、剣八は思う。烈の怒りの形相など剣八は見たこともないし、四番隊隊長・卯ノ花烈と言えば常に微笑んでいる印象がある。ほとんど彼女と接点のなかった剣八からすれば、遠目に見かける烈の笑顔はただの気の抜けた笑顔としか思っていなかったのだが、実態はそうではないらしい。
ここまで穏やかな笑顔を向けられてしまうと、こちらがぎすぎすとしているのが馬鹿馬鹿しいと思えてくるような。烈の笑顔はそんな類のものだった。そして、笑顔でいるはずなのに一部の隙もない烈に、剣八も舌をまかないではいられなかった。なるほど、彼女はなかなかの使い手だ。そう思えるくらいに、烈の所作には無駄がなかった。
と、剣八がそんなことを考えているときだった。
「やちるさん、随分とお綺麗になりましたね」
いったいどういう話の流れだったのか。烈の唐突な一言に、剣八は思わず口に含んでいた液体を吹き出してしまった。
「んな……」
「あの花のような愛らしいお姿では、十一番隊でさぞや目立たれるのでは」 むせる剣八にも構わず、烈は淡々と言葉を続ける。
「てめぇ、いったい、何のつもり……」
「これを」
そう言って烈が、畳の上に置いた白く細長い布を、剣八は訝しげに見つめる。
「やちるさんの胸部に巻かれていたものです」 烈は嘆息交じりに言った。 「あまりにきつく巻かれすぎていたこれが、やちるさんの胸部を圧迫していたようですね。やちるさんが倒れられたのも、このさらしが原因かと」
信じられないとでも言いたげな面持ちでいる剣八に、烈は静かに一礼すると、ふたたびどこかに消えてしまった。おそらくやちるの眠る治療室に戻っていったのだろうが。

そして、部屋にふたたび取り残されたまま、剣八は未だに待ち続けている。眠っているというやちるを。
本日何度目かも数えることすら阿呆らしくなってきた溜息を、剣八が零したとき、すっと襖が開いた。やちるだった。彼女から感じる霊圧は、平時の彼女に比べると若干覇気がなかったものの、まあ問題ない範囲ではあるだろう。
「もう帰れるのか」
「うん」 やちるが頷く。 「ごめんね。剣ちゃん」
やちるの謝罪には答えず、剣八はさっさと身を起こすと、四番隊の詰所をあとにした。


後ろをちょこちょこと付いてくる足音がする。その昔、剣八の一歩にやちるは四歩で付いてきた。いや、付いてくるのも大変だからと、やちるは勝手に剣八の背中を己の特等席としていた。剣八の一歩はやちるの一歩だった。
あれから、何年。何十年。
やちるは剣八の背中に乗らなくなった。剣八の一歩は、やちるの二歩になった。
「やちる」
「なーにー? 剣ちゃん」
突然歩みを止めた剣八の横に、やちるが並ぶ。烈が花のようなと称した顔で。絶対の信頼を置いた顔で。やちるは剣八を見上げる。
「乗れ」
はい?と目を見開いたやちるをひょいと抱き上げると、剣八は己の背中にやちるを放った。身の軽いやちるはとっさに剣八の背中を掴んだが、やはり相当驚いたようで 「あああああ危ないでしょ―――!!?剣ちゃん!」 と、剣八に非難を浴びせた。
しかし、そんなやちるの非難にも構わず剣八は早足で歩き出した。やちるだったら、走らなければ追いつけないような速さだ。揺れる剣八の大きな背中に、やちるは必死にしがみ付く。
「おまえはとろいからな」
剣八の声は、どこか不機嫌そうではあったけれど、決して冷たいものではなく。むしろ温かみさえ感じるもので。
やちるは自然と溢れてきた涙を抑えようと、剣八の肩を掴む手に力を加えた。
「あたし、強くなったんだよ」
ふん、と剣八が鼻を鳴らす。 「まだまだだな」
「強くなったんだってば……」
いよいよ涙声になってきたやちるの聞きなれた声を耳元で聞きながら、剣八は言った。 「まだまだなんだよ。だからな、もうしばらく、おまえはこうしてろ」
背中のやちるがはっと息を呑むのがわかった。
「それからだ、あんなヘンテコな布を胸に巻くのはよせ」
同じことを、さきほど烈にも言われた。成長する胸を圧迫するのは大変体によろしくないと散々怒られた。でも。だけど。 「だって、剣ちゃん」
「だっても、剣ちゃんも、あるか。餓鬼が妙な気ぃまわしてんな」
しばしの沈黙の後、剣八の肩を掴んでいた細い腕が剣八の太い首に伸ばされ、ぎゅっと抱きしめられた。肩甲骨のあたりに当たるやわらかな何かに、剣八は気づかぬふりをする。
「ありがとー剣ちゃん」
やちるの言葉を聞き流して、剣八はすっかり日が暮れてしまった空を見上げた。とっとと帰って、残った書類を片付けなければ。
「おい、やちる。ところで、十一番隊の詰所はどっちだ」
「うーんとぉ、たぶんあっちー」
「本当だろうな」
「………」





花。 050907