穏やかな風と桜が、蒼穹に舞う、そんな日だった。

朽木白哉は屋敷の縁側を平時より幾分か緩やかに足を運んでいた。朽木家の広大な屋敷のなかでも最奥に位置するここは、いつ何時も静かなものであるのだが、今日ばかりは少々様子が違っていた。
ときたますれ違う女中たちは、朽木家の当主である白哉の姿を見かけるといつもの様に頭を垂れるのだが、すぐにまたどこかに消えてしまう。小走りに広い屋敷のなかを行ったり来たりを繰り返す彼女たちは、ふだんにも増して忙しそうだった。
よくよく耳を澄ませると、妙に明るい笑い声が白哉の耳に届いた。白哉にとって馴染の薄い喧騒だったけれど、意外と不快感は沸いてはこなかった。声と霊圧の方角からして、この喧騒の発信源は、白哉の現在地から正面玄関を挟んで丁度反対側に位置する部屋であろう。その部屋で、死神界だけでなく人間界からも集った者たちがやんややんやと騒いでいるに違いなかった。
式はまだ始まってすらいないのに、この騒ぎ。白哉は呆れたように溜息をこぼす。
まあ、お祭り騒ぎが好きな連中ばかりが集まっては、こうなるのも当然といえば当然の話だ。呆れはしたが、不思議なことに悪い気はしない。そして、この騒ぎの中心にいるであろう橙色の頭髪の青年を思い浮べて、白哉は我知れず口端を少し吊り上げた。

縁側を曲がったところで、白哉はふと歩みを止めた。どこか張り詰めた感のある霊気に誘われるように、庭に視線を移せば、白い装束に足先から頭まですっぽりと包まれた小柄な少女が、そこに佇んでいた。やわらかな春の日差しのためか、彼女の装束のきめ細やかな銀糸の刺繍が、きらりきらりと輝いて眩しい。彼女は、じっと庭を見つめたまま身じろぎひとつしなかった。白哉が後ろに控えていることには、気づいていないらしい。
いつになっても動かない彼女を不審に思った白哉は、彼女の視線の先をゆるりと辿ってみた。
辿り着いた先にあったものを確認して、白哉はかすかに目を細める。
そこには、見事に手入れされた庭に堂々と佇む一本の桜があった。幹が太くがっしりしているのをみ見れば、その桜がそれなりの樹齢をほこることはすぐにわかる。のびのびと空に向かって伸びる枝には、余すところなく淡紅色の花が散りばめられ、そのまわりでは小さな花弁がゆるりゆるりと舞っていた。

遠い。
遠い昔の記憶が蘇る。
眩い春の日差しのなか、艶やかな髪を風に躍らせて振り返り、彼の人が笑う。
やさしく、やわらかな声で、自分の名を呼ぶ亡き人の声がする。

――――白哉様。

薄桃色に霞んだ白哉の視界で、庭に佇んでいた白い装束の女が振り返った。
「兄様……」
少しばかり目じりが吊り気味の黒曜石が、白哉を捕らえた。微かに見開かれた瞳は、ここに白哉がいることに少なからず驚いているようだった。
白哉は音もなく桜色に埋まった庭に降り立つと、彼女の横に並んだ。微妙に開いた彼女との距離は、未だにぎこちなさの拭いきれない義兄妹をそのまま象徴しているかのようだ。それでも、この無口な義兄との距離は、随分と縮まったほうだと彼女は思う。義兄自ら義妹の横にやってくるなど、昔は到底考えられなかったのだから、それに比べれば、大きな進歩だ。彼女にとっても、義兄にとっても。
白哉は義妹を見ようとはせずに、ただじっと桜を見上げており、一方義妹はそんな義兄の横顔を、白い綿帽子の影から黙って見つめていた。どこか遠くを見据えた鋭利な横顔の視線の先に今、どのような光景が映っているのか。彼女はそれを静かに想像する。今は亡き、義兄の妻が、そこにはいるのだろうか。
「ルキア」 白哉はやはり、蒼穹に舞う桜から、あるいは、その桜を通して見る過去の憧憬から、目を逸らさない。
「はい、兄様」
「幸せになれ」
そう言って、口元を緩めた義兄の瞳の先を、ルキアもまた見やる。
薄紅の嵐とあたたかな春の陽射しの洪水のなか、細やかな女性が微笑んでいる気がした。



薄紅の嵐 050829