扉を開けて、一瞬、お伽の国の王子様のように見えた。
キョーコが我に返ったのは、驚愕のあまり言葉を失った自分を、さも可笑しそうに見つめる蓮の憎たらしい笑顔に、気づいたからだ。驚愕したというか、実はうっかり見惚れてしまっていたりしたのだが、それを素直に認めるにはキョーコには屈辱すぎた。
蓮がたたえる笑みは、いつにも増して輝かしい。その輝かしさに中てられて、己の頬が上気しているのを意識しながらも、キョーコは玄関先に立つ蓮を睨み上げた。
「どうかしたんですか、その頭。とうとう気でも違えましたか」
仕事帰りに折角やってきた恋人に対する言葉にしては、あんまりなキョーコの言い様に、酷いなぁ、と抗議してみせる蓮だが、やはり口元は笑っている。悪戯が成功した悪ガキのような、という形容がぴったりと当てはまるような笑みだった。
「役作りの一環で、染めたんだ」 と、蓮は自身の金色に輝く髪の毛をちょいと摘みながら言った。
ああ、なるほど。キョーコは納得する。
「とりあえず、立ち話もなんだから、中に入れてくれるかい? この頭にしたら、余計に人目につくようになっちゃって」
どこに行っても目立つ目立つ、とさらりと笑う男を、キョーコは慌てて部屋のなかに押し込んで、扉を閉めた。今更、下らないスキャンダルなんてお断りだ。今日までこの交際をひた隠しにしてきたキョーコの血の滲むような努力を、この男はいったい何と心得ているのだろうか。
「そんなに睨まないでよ」
金色の髪によって一層際立った日本人離れした彫りの深い顔が、おどけた様に歪む。
「あなたという人は! そんなにわたしを困らせて楽しいんですか!?」
「いや、喜ばせてあげようかと思って」
「はぁ?」
「ほら、キョーコちゃんて実は、金髪とか王子様とか大好きでしょう」
ぐっと言葉に詰まったキョーコは、ひとつ咳払いした。そう、蓮の言うとおりだ。ブロンドの髪の白馬のう王子だとか、幼少の頃は本気で信じていたし、大好きだった。今でこそ、白馬の王子を信じてなどはいないけれど、その手のことが好きなことにはかわりはない。
「そこはあえて否定はしませんが…。てゆーか、金髪はともかく、ご自分を王子様と言ってのけるなんて、あつかましいにも程がありますよ、敦賀さん」 実は、本当にブロンドの王子が絵本のなかから飛び出してきたようだ、と一瞬でも考えてしまっただなんて、口が裂けたって言わないけれど。
「王子が駄目なら、じゃあ、妖精?」
「…妖精……」 キョーコは、たまらず噴出してしまった。腹が痛い。
「あのね。おれを見て『あなた、妖精?』って言ったのは、君だよ」
「いったいいつの話をしてるんですか。大昔ですよ。お・お・む・か・し」
蓮が言うのは、もう10年以上前の話だ。
キョーコはふりふりのお姫様みたいな服を着て、蓮は活発な少年らしいハーフパンツをはいて。キョーコは地毛の黒髪で、蓮も地毛のブロンドに近い薄茶色で。―――そんな時代の話だ。
懐かしいなぁ、と呟きながら、蓮は笑った。そんな彼を見て、キョーコは思わず笑うのをやめた。蓮の様子がどこか変に思えるのは、気のせいだろうか。
キョーコが訝しげに眉を顰めると、「そんな大昔のこと、色々思い出しちゃってね」 と、蓮は自嘲気味に呟いた。
蓮の言う“色々”というものが何であるのか、キョーコは詳しくは知らない。キョーコはキョーコで己の幼少時代が、決して世間一般の平均的な安穏としたものではなかったと認識しているけれど、蓮の幼少時代が、キョーコのそれをさらに上回るほど波乱万丈に満ちていたらしいことぐらいは知っている。また、それが蓮のなかで少なからず傷になっていることも、薄々ではあるが感じ取っている。そして今、髪を金色の染め、昔の己と同じ姿に戻ったことによって、その傷が少しばかり広がっているのかも。
しゅんと項垂れる蓮にむかって、キョーコは徐に手を伸ばして、きらきらと輝く人工的な金色を撫でた。 「……少なくとも、今の敦賀さんは妖精さんって感じじゃぁありませんよね。綺麗なのは相変わらずだけど、ちっとも可愛くないもの」
「この歳で可愛いと言われてもけっこう困るなぁ……」
「あ、でもこうやって弱ってる敦賀さんは、それはそれで可愛いかも」
「ちっとも嬉しくないね」
そうでしょうとも。キョーコは頷きながら、今度は蓮の頭を胸に抱えてみた。
「豊満なバストではございませんで、大変恐縮とは存じますが」
おどけた口調で言えば、胸のあたりから蓮の笑い声が聞こえた。
「これは、これで、嬉しいよ」
「男って単純ですねー」 あー嫌だ。嫌だ。そう言いつつも、キョーコは笑いながら、蓮の金色の頭を抱きしめる腕に一層力を込めた。 「少しは元気でました?」
「うーん……どうだろう」 と蓮が呟いた瞬間だった。背中に感じた軽い衝撃。状況についていけずに、キョーコはただただ目を見開いて、蓮の顔を凝視することしかできない。先ほどまでキョーコの胸のなかで弱っていたはずの蓮が、今度は満面の笑みをうかべてキョーコの顔を覗き込んでいた。先ほどの背中の衝撃は、蓮がキョーコを壁に押し付けたことによって生じたものらしい。
なんという早業。呆れて二の句が告げないで入るキョーコに、蓮はというと 「まだ、足りない」 などとしゃあしゃあと言う始末だ。
まったく…。キョーコは呆れたように眉尻を下げた。こんなことをしておいて、妖精なんてとんでもない。お伽の国の王子なんて、もっての他だ。ありきたりな表現をすれば… 「獣ですか、貴方は」 獣という単語が一番しっくりくる気がする。しかもこの金髪。金色の鬣(たてがみ)に見えないこともなかった。金の鬣と言えば、百獣の王だ。名実共に芸能界に君臨する男には、なんてふさわしい。
「ガオー」 芸能界の王様が、わざとらしく口を大きく開けてみせる。
「なんですか、ソレ」
「獣の真似」 蓮がふふと笑う。
キョーコもふふぅと笑う。キョーコのそんな笑顔を合図にしたかのように降ってきた口付けは、獣のそれとは思えないくらいにやさしかった。
01:ライオンのキス 2005.11.01 2006.01.03加筆修正