失踪少年はメロン色を夢想する



 窓から転がり込んできた闖入者を、ガルディオス家の若伯爵――ガイは別段驚く素振りも見せずに、快く招きいれた。幼馴染の彼が、こんな具合に、突然ガイの元を訪れるのはそう珍しいことではないからだ。
 彼らの事情を知る秘書も、己が主の幼馴染の姿を見とめるやいなや、執事にお茶の準備を言い渡すべくさっさと部屋をあとにしてしまった。
「どうせ、すぐに帰るんだから、別に気なんか遣ってもらわなくてもいいのになあ」
 炎よりも鮮やかな色をしたざんばら髪に、葉っぱやら小枝をつけたまま、その闖入者――ルークは申し訳なさそうに身体を小さくした。
「そういうわけにもいかないさ。キムラスカのファブレ子爵を丁重にもてなさないわけにもいかないだろう」
 ガイが茶化すように笑うと、ルークは心底嫌そうに顔をしかめてみせた。
 接客用の丸テーブルの上に綺麗に並べられたティーセットと、己のひどい身なりのちぐはぐさに、ルークは居た堪れなくもなってくる。
 自分の身長の倍はあろうかという大きな窓。それを取り囲むのは細かい刺繍の施されたカーテン。カーテンに限らず、この部屋にあるありとあらゆるものに、何かしらの細工が施されている。あるものには花の柄が掘り込まれ、またあるものには動物のモチーフが描かれている。壁にかけられた絵画となれば、絵に興味のないルークですら、それが高価なものだとわかる。
 おかしいかな。幼少時代は、ガイのこの私室以上に煌びやかな空間で過ごしてきたルークだというのに、今、彼を取り囲むこの空間は、今や安宿や野宿にすっかり慣れきってしまった彼を落ち着かなくさせるばかりだ。
 今はただ、唯一テーブルの向かい側に座るガイの昔と何ら変わらぬ笑顔だけが、ルークの救いだった。
「なあ、ルーク。インゴベルト陛下やナタリア、ファブレ公爵からも再三、お前を見つけたら屋敷に連れ戻してくれっていう要請が来てるのは、お前だって知ってるよな?」
 ルークがバチカルの屋敷を飛び出してから、既に一年の半分が過ぎた。まがいなりにもにも王族に籍を置く人間が家出をかましただなんて、キムラスカ王国がそうそう公にできるはずもなく、ルーク=フォン=ファブレが今バチカルの屋敷にいないことを知る者は少ない。
 が、逆に事情を知る数少ない者達は皆、ガイ然り、ルークに近しい人物ばかりで、だからこそルークに容赦がなかった。
「お前が俺のところにちょくちょく遊びに来てることなんか、ナタリアはお見通しだぜ? 彼女だって時間さえあれば、お前を連れ戻しにグランコクマまで押しかけてくるところだろうに。……なあ、あんまり女の子を心配させるものじゃあないぞ、この家出少年」
「だーやめてくれよー! さっきもジェイドんところで、ピオニー陛下にばったり出くわしちゃってさ。あの人にお茶に付き合えとか言われたら、俺が逆らえるわけねぇじゃん? だからしかたなーく一緒にお茶したんだけどよ、この放蕩息子だのドラ息子だの不良息子だのって散々いびられてよー。ジェイドの野郎もにやにやと笑ってるだけで、ちっとも助けてくれやしねぇし」
 嗚呼思い出したくもない、と言わんばかりに、ルークは顔を覆った。
「ああ、なるほどな。だから、お前はここに逃げ込んできたのか」
「ジェイドが定期健診だけは受けに来いってうるさいから、わっざわざグランコクマまで来てやってるのに。なんだって、俺があんな目に……」
 そりゃあ、お前の反応があの悪いおとなの二人にとって面白くて面白くて仕方ないからだよ、とはガイは心の中に留めておいた。言葉にすればルークは、人を玩具といっしょにしてくれるな、と大層腹をたてることだろう。
「ったく。会う奴会う奴、みーんな、俺の顔を見るなり、バチカルに帰れ帰れって……」
 なんなんだよ、と膨れっ面のルークは、とてもではないが成人男性のそれには見えなかった。それでも、一時よりは随分と落ち着いた雰囲気を持つようになってきたのではあるが。
 まあルークの身体は21歳のそれであっても、彼のこの世に生を受けてからたった10年しか経っていないからなあ……とガイは考えながら、微かに苦笑した。
「ティアやアニスにも会ったのか?」
「うん」
「怒られただろう」
「ティアなんかよ、開口一番、『お母様にご心配をかけるなんて、最低ね!』だぜ。最低だって……俺、最低だってよ……」
 最低か……。ガイはそろそろと目を泳がせた。自業自得とはいえ、ルークはティアの容赦ない一言にさぞや傷ついたことだろう。心を寄せている女の子に、最低だ、なんて言われた日には、ルークでなくともガイだって一週間は鬱々と過ごすことになるだろう。
「そうだなー……。まあティアは早くに両親を亡くしてるからなぁ」
「わかってるけど、最低って……」
「あはは。まあ、事実、シュザンヌ様もご心配されてるんじゃないのか?」
「……うーん、実はな、ここだけの話だけど、母上には、こっそりと会いにいってるんだよ」
 と、ルークは嘆息交じりに言った。
 今はまだ、あの家に帰りたくはない。でも、自分の身を心の底から案じてくれる母親に心配ばかりかけるわけにもいかなかった。ルークの顔を見る度、にこにこと本当に嬉しそうに破顔させる母親を前にして、ルークは嬉しく思う反面、未だに彼は母親にどういう態度をとるのが最適なのか分からないでいる。おそらくは、母シュザンヌはそんなルークの割り切れない胸中をも、察している。だから、彼女は、いつか必ず帰ってきてほしいとは言えども、今すぐに無理に帰ってこいとは、決して言わない。本心では、どんなにか愛する息子の帰還を望んでいたとしても、だ。
「そうかそうか。うん、お前も色々複雑なんだよな」
「そうだよ、複雑なんだよ。なのに、ティアの奴……! あいつ、折角会いに行った俺をお茶一杯だけ出して『とっととお帰りなさい!』とか言って、すーぐに追い出しやがってっ」
「……」
 追い出すにしても、一応一杯だけでもお茶を出すところが、ティアらしいというかなんというか。そしてティアに言われるままに素直に追い出されてしまうルークもルークだ、とガイは思った。ここぞというときに押しが足りないのは、なんだかんだとルークがお坊ちゃま育ちだからだろうか。
 一向に落ち着く気配のない少年少女の恋路の行く末を、ガイはほんの少しだけ心配した。だからといって何をしてやろうとも思わないが。ジェイドの言葉を借りるのならば、馬に蹴られて死ぬのだけは御免、といったところだ。
「ナタリアは帰ってこいってうるさいし、アニスも相変わらずキツイし、ジェイドも意地が悪いし……」
 こてりとテーブルに額をつけたルークのつむじが、ガイの眼下にある。昔は容易く視界に納めることが出来たルークのつむじだけれど、一年前ふらりとこの世界に還ってきたルークはずいぶんと背が伸びていて、それ以来ガイがこのつむじを見ることは難しくなった。
 そのつむじが、そこに、ある。
 かつての日々のように。
「なんだか、今日のお前、甘ったれだなぁ」
 昔に戻ったみたいだ、と呟きながら、ガイはルークの後頭部を撫でてやった。
「そうだよ。俺っていう人間は、もともと甘ったれなんだよ」
 手を添えた赤い頭の下から、拗ねたような声が聞こえる。そんな情けないことを堂々と言う奴があるか、とガイはルークをたしなめつつも、その頭を撫でる手を休めない。
「なんなら、今夜はうちに泊まってくか? そんで一緒に寝てやろうか――昔みたいに」
 顔をあげたルークは、にやにやと意地悪く笑うガイを思い切り睨めつけて、言った。
「ぜってー嫌だ! なんで今更お前なんかと」
 どうせならティアがいい。そう言って不貞腐れるルークのつむじに、ガイは容赦ないチョップを下ろした。

アビス|070305