午睡



「何をなさっておいでか」
せっかく気持ちよく惰眠を貪っていたというのに、頭上から降ってきたのは限りなく怒気に近いものを多分に含んだ(いや、正確には故意に“含ませた”)声だった。木に寄りかからせていた頭をのろのろと上げれば、そこには案の定、眉間に皺をつくった美しき青年が佇んでいた。その立ち姿に一切の無駄はなく、優雅と表現しても差し支えないであろうに。しかし、それが、いっそ威圧的ととれるほどの雰囲気があるように思えてしまうのは、ただたんに陽子が今、青年より若干分の悪い立場にあるからなのであろう。
気分はさながら、授業をさぼった悪餓鬼が、鬼教師に見つかったときにようなものだった。
慈悲の生き物だの云々。――――青年はそう称される類の生命体であるはずなのに。
こんな態度で人に接していいのか?こやつは…。
やがて、青年は顔色ひとつ変えずに、これまたため息が出るくらいの優雅な所作で、陽子と同じように草の上に座り込んだ。主より上の視線でいることが、“主至上主義”の彼には許せないらしい。
なんだかなぁ、と陽子は思う。なんだか、さっきまでのあの尊大な態度と今の彼の行動が、どうしようもなくちぐはぐな物に見えてしまうのだけれど…。
「何か」
青年にそう言われて、陽子は自分がくつくつと笑っていたことに気付いた。
「いや、なんでもないよ」
「左様ですか」
感情の読み取りにくい顔だ。
苛立ちだの、怒りだのという感情は、すぐに面に出すのに、喜びだとか、悲しみだとか、そういった感情をこの青年がわかりやすく面に表したのを、陽子はほとんどみたことがない。
「ところで、おまえもこんなところで何をしている?」
「主上を探しに参ったのです。白昼堂々、公務をさぼるのはいい加減にやめていただきたい」
「今日中にやらなくちゃいけないことは、もう終わらせたはずだけどな。景麒の小卓に置いてあったでしょう」
「…………」
努めてまっすぐな視線を向ければ、青年は少しだけ視線を泳がせた。そんな彼を見て、陽子は内心ふふと笑みを零す。
これが彼なりの照れ隠しであることを知っている者は、陽子ぐらいなのであろう。きっと青年自身ですら、知らない事実だ。
「私がいなくて寂しかったのかい?」
我ながら意地の悪い質問だ、と陽子は思う。
青年はきゅっと唇を結び、陽子を縋るような目で見つめた。
その美しい瞳に映るのは、主に対するどうしようもないほどの想い。恋情に近いようでいて、その実、全く異なるような想い。家族愛とも違う。兄弟愛とも違う。その感情を、陽子はまだ言葉で表せないでいた。もっとも、それにいちいち名前なんぞをつけようとすること自体が、愚かしい行為なのかもしれないが。
「……おいで」
手を伸ばせば、青年は静かな所作で、その手に頬を寄せた。もう片方の手で、青年の肩を抱いて胸に引き寄せる。ほっと青年が息をつくのがわかった。遠慮がちに陽子の衣の袖に添えられた白い手が、愛しい。
「おまえも疲れているのだから、少し休んでいきなさい」
さらさらと流れる小川のようになめらかな金糸をやさしく撫でてやると、青年の体からみるみるうちに力が抜けていった。
「あとで起こしてあげるから」
子守唄のように穏やかな声色に、青年はゆっくりと頷く。
やがて。
微かに聞こえてきた寝息に、陽子は静かに微笑んだ。

十二国記|050202